西田敏行さん、父上は永遠に
10年前ハワイへ旅行に行った時の事、昼時にワイキキを散策していると目の前に一台の車が停まった。
降りてきた人物に目を疑った。
西田敏行さんだった。
え?こんな偶然ある?
と驚きながら近づき声をかけた。
「西田さん!こんなところで偶然ですね!」
「おおお!瑞穂!なになにどうしたの?」
「旅行で来て散歩してたら西田さんが目の前に現れたんです(笑)」
「そうかそうか、うんうん元気にしてたか?なんか嬉しいな」
人懐っこく見る目がとても愛らしく、西田さんを好きになる人柄の一つでもあります。
西田さんは帽子がとても好きで、ハワイの行きつけの店に寄ったところでした。僕も一緒に店に入らせてもらって西田さんの帽子を一緒に選びました。
「瑞穂、ありがとう。おかげで可愛いのが選べたよ。また東京で会おう」
別れ際、そうな風に声をかけてくださり本当に温かい方です。
西田さんと共演させて頂けた作品は4本。
一本目は何と言っても私の俳優デビューとなった
2000年NHK大河ドラマ「葵徳川三代」です。
葵徳川三代は大河ドラマでは珍しく三代に渡り主役が変わる
贅沢なドラマでした。
一年の内初期中期後期と分けると初期の主役は徳川家康役を演じられた津川雅彦さん。
中期の主役は二代目秀忠役を演じられた西田敏行さん。
後期の主役は三代目家光役を演じられた歌舞伎の尾上松禄さん(当時尾上辰之助)
そして私は後期からの出演で二代目秀忠の次男忠長役でデビューします。
つまり西田敏行さんが父上なのです!
初めてご本人を前にした時「本物だあ!」と嬉しさ込み上げるも、喉に詰まった餅を強引に飲み込むが如く力いっぱい気持ちを抑えました。
芸能界に入ったのだから浮かれてはいけないという気持ちが上回りました。
撮影当時、演技の勉強をしたことが無い上に難しい時代劇の台本や台詞の言い回しに苦戦し、そばにいる西田さん始めたくさんの出演者の方に多大なご迷惑をかけてしまいました。
そんな中で焦る私に西田さんが「感じがつかめるまで待つから落ち着いてやってごらん」と台詞合わせまでお付き合いくださり、恐縮している場合ではないので無我夢中で食らいつきました。
リハーサルで監督からの注文に応えることが出来ず迷いに迷っていた時、西田さんから親子を反対で演じてみましょうと西田さんが忠長役、自分が秀忠役を演じるというお試しを監督に提案しました。
監督は、それはとんでもないからそこまでしなくていいですと断りましたが西田さんの希望は監督の心も動かしお試しが実行されることとなりました。
これはほか出演者の時間も割くことになり、押さえている部屋の時間などスケジュールに入っていないことなので大変なことなのです。本来はやらなくていいこと。
しかし西田さんの忠長を見れる機会は無いとその場にいた人たちから逆に注目を集めることに。
ただ残念なことは、これだけの機会を戴けたのにも拘わらず自分にとって悩みが解消されず終わってしまいました。
「瑞穂には殻を破るきっかけがあるといいのだろうね」と西田さんも一緒に頭を悩ませて下さり、不甲斐ない自分が酷く悔しくなりました。
けれどもこの経験はその先の大きな土台となり、俳優業としての未来を創っていくのでした。
※当時の事を監督やほか出演者の先輩方が口を揃えて「役者が役を交換するなんて無いことだよ。とても有難いことだからね」と教えてくださり、その後俳優を続けていくうちにさらに分かりましたが、先輩が特に大先輩が後輩のセリフの練習に付き合うことなどありません。況してや役を交換することはありえないこと。
西田さんがどれだけ愛情持って接していてくださったことか、改めて隅々まで感謝に尽きます。
西田さんの眼差しは強く優しく温かく、見られていると陽射しを浴びている様な感覚さえ覚えます。
自分は素人で演技の方法が分からないから考える事さえ出来ませんでしたが、西田さんのお陰で自然に身を委ねたお芝居が出来ました。
家光との争いで忠長が家光から虐げられ悔しさを父上に相談する親子のシーンでは、何も考えずとも西田さんの言葉や態度や表情だけで伝わるものがあり自然と涙が溢れました。
しかし反対に怒りや嚇しになると、本当は自分の事嫌いなんじゃないか?と疑念が浮かぶほど恐怖しました。
「本当は嫌いとかじゃないですよね?」と後に真剣に確認しました(笑)
毎週月曜日はリハーサル。
リハーサル後は毎度西田さんを筆頭にNHKの近くにある日本食のお店で出演者で集まり飲み会。私も毎週参加しました。
いつも盛り上げ役に徹する西田さんはみんなに優しく、お喋りしながらもお酒や食事が足らなくなるのを見つけるとすぐに「どんどん飲みなさい。どんどん食べなさいと」各所に声をかけるのです。
私は21歳の食べごろ男子ですから、西田さんが「瑞穂!食べてるか?飲んでるか?たくさん食えよ!」と言って諸先輩方が手をつけなかった刺身の盛り合わせを僕の前にサッと置き「遠慮なく食べなさい」と言いながら「すみません!ここにご飯の大盛りひとつください!」と僕のご飯まで頼んでくれました。
西田さんの地元福島は日本酒の産地でもありそれはそれは詳しくて、この日本酒も美味いんだ!と言って色んな種類の日本酒を飲ませてくださりたくさんの銘柄を教えて頂きました。
会話の中にはその場にいないどこかの俳優を名指しで毒舌吐き、「でもね、これは悪口じゃないよ。批評なんだよ。良くなってほしい気持ちだから寧ろ愛情だね。いや、これはもう愛憎だ!」と結局悪口なんだけどね、とみんな分かっていても西田さんの茶目っ気にみんなで大爆笑してほんとに楽しかった。
その後2006年に放送された西田さん主演TBS「特命!刑事どん亀」ではレギュラー出演し久しぶりの共演が叶いました。ただ部署が違い共演の機会は葵徳川三代の頃の様にはなりませんでしたが、約4か月間一緒にお仕事出来たのは嬉しかった。
そして翌年には西田さん主演TBS「浅草ふくまる旅館」でゲスト出演でき、1話のドラマ終盤の少しだけの共演でしたが再び共演出来たことも嬉しかったです。
2013年に西田さん主演テレビ東京新春ワイド時代劇「影武者徳川家康」が4度目の共演。
この作品ではなんと高杉瑞穂の生みの親でもある葵徳川三代で忠長役を抜擢してくださった重光亨彦監督がメガホンを取り、あの頃の気持ちが溢れるように蘇り、芸歴13年の自分は一気にひよっ子に戻りました。
その後共演は叶いませんでしたが、僕にとって全てが掛け替えのない尊い経験です。
今でも台本を読むときや、演技プランを考える時や悩んだ時、いつも西田さんから教わった様々なことが力になっています。
そして今はそれを自分の為だけでなく、講師として開催している演技ワークショップにも参加した方々のために役立てています。
西田さんが好きで感謝しているひとはどれだけ居たことか。
たくさんの人から愛された人で、この悲報は本当に本当に残念でなりません。
西田さんからいただいた愛情を心から感謝しております。
そして教わったことはこれかも大切に過ごしていきます。
本当に本当にお世話になりました。
父上、お疲れさまでした。
天国で大好きなお酒とたばこでのんびりしてください。
ご冥福を心よりお祈りします。