Over 70s 恋のから騒ぎ
令和6年、NHK大河ドラマ「光る君へ」にあやかって、平安の清少納言ならぬ令和の貴少納言として筆を取ることにしました。
私は現在後期高齢者、アラウンド80です。約4年前、世界中が新型コロナウイルスに振り回されていた頃から、自分の身のまわりで繰り広げられるシルバー世代の恋愛模様を密かにウォッチしては、徒然なるままにスマホの中に書き留めてきました。ささやかな日々の記録、拙い文章ではありますが、少しずつここに綴り直していきたいと思います。
【第1話】その男の名は北村
市誕生100年の節目に、わが町に「ホタルホール」(仮名)なる施設ができた。イベントホール、図書館、トレーニングルーム、プール、体育室、卓球室、その他いろいろ備えた複合文化施設である。
市民が集い、学び、楽しみ、交流するのがコンセプト。このホールの卓球室で、私はシルバー世代の心模様を知ることになる。
ある日、私は友人のよし子さんと二人でおそるおそるその卓球室に出かけてみた。6台の卓球台はすべて埋まっていて、順番待ちの男女30人くらいが壁際のイスにずらりと並んで座っていた。よし子さんと私はいちばん奥の空席で順番を待つことになった。ここは指導者のいる卓球教室ではない。65歳以上なら誰でもできる。しかも無料である。その代わり、自分たちの番がくるまで待たねばならないというデメリットがあるのだ。待っていれば当然、目の前でプレイしている人たちの様子やイスに座っている人たちの会話に関心がいく。この町はとても小さいわけではないが決して大きいわけでもなく、私はこれまで10年くらいは市内の卓球教室に通ってきたのだが、その日ホタルホールの卓球室にいたのは初めて見る顔ばかりであった。
しばらく待ってようやくよしこ子さんと私の番がきた。いざ打ち合おうとして初めて知った。ここには自分の球を持ってこなければならなかったのだ。私たちはふたりとも球を持ってこなかった。まわりに球を貸してくれそうな人もいない。しかも次に待っている人からは冷たい視線さえ感じる。みち子さんと私は諦めて帰ろうとした。その時、大きな右手がすっとふたりの前に伸びて、白い球を貸してくれたのだ。見ると大柄なおじさんだった。「使え」とひと声のみ。ありがたくてありがたくて、神様に見えた。後に知ったのだが、この人はトメさんと呼ばれていて、若い頃は卓球選手として、活躍していたらしい。その強さにより卓球の神様と呼んでいる人もいたらしい。(ところがである。無口でシャイで強そうなこのトメさんの印象は、観察を続けていくうちに大きく変わってしまうことになる。それについてはこれから追々綴っていこうと思う)
さて、それからみち子さんと私はふたりの時間が合う時のみ、たまにこの卓球室に出かけていたのだが、彼女は肩を痛めたとかでだんだん行かなくなった。私はひとりで行かねばならなくなった。あ~あ勇気がいる。しかし人間、最後はひとりなのだ。やはりどうしても行きたい。卓球室前のドアのすき間から中を覗く。やっている、やっている。男女入り交じってのシングルスやダブルス。でも見知った顔はない。やっぱりやめよう。きびすを返したその時、卓球室からひとりのおばさんが飛び出してきて、危うく私とぶっかりそうになった。見れば目に涙を浮かべているではないか。「ど、どうしました?」私は思わずそう尋ねた。するとそのおばさんは、初対面にも関わらず、よく聞いてくれたと言わんばかりに早口で喋り始めた。なんでもキタムラという卓球おじさんが、いろいろ注意してきて、最後に「ここであんたが一番嫌われてるぞ」と言ったのだとか。それでショック受け、「もうこんなところには二度と来ない」と言い捨てて、帰っていった。
私はひとりで卓球室に入るのをためらい、その日はすごすごと家に帰ってしまった。そして1週間が過ぎた。やはり私は卓球をやりたい。車の運転もできない私にとって、ホタルホールの卓球室ほど便利なところはない。なにしろ自宅から徒歩8分、自分の都合の良い時間に行けばOKというシステムなのもいい。どこに行っても苦手な人は必ずいるものだ。きっとそれなりに丁度いい卓球相手もみつかるだろう。……などなど自分に言い聞かせ、意を決して私は再び出かけた。入り口でシューズを履き替えていたら、ラケットを持ったおばさんが、ちょうど卓球室に入っていくところだった。今だ!何も考えないようにして後を追うように私も入った。やはりずらりとイスに座って自分の番がくるのを待っている人たちがいた。私は先に入ったおばさんの横に座って軽く挨拶した。気さくな感じの、たぶん私と同じくらいの年齢だろう。彼女はそのまた隣のおばさんと雑談を始めた。
卓球室の並びには同じ広さの多目的な体育室があって、その間はただ天井から吊り下げられたネットで仕切られているだけだ。この日、向こうでは社交ダンスの練習をやっていた。卓球にはおよそ似合わない、切ないブルースやワルツの曲が体育室全体に流れていた。
年配の男女がぴったり身体をくっつけてダンスの練習をしている様子を、私はぼんやり見ていた。私の横に座っているおばさんたちも、目の前でやっている卓球プレーではなく、向こうのダンスを見ているようだ。「まあ ~あんなにベタベタ身体をくっつけて、嫌だわ~。うちなんか、主人となるべく離れたくてここに来てるんよ~」
するともうひとりのおばさんが「ま~そりゃご主人が元気やけん言えることで、主人がもうおらん私はうらやましいわ~」
「何がうらやましいんね!ずっとおると鬱陶しいがね」
横並びに座って順番を待ちながら隣の人と会話していると、自然と知り合いになっていくのだろう。高齢化社会において「話す人がいる」というのは大事なことで、その意味でもここは意義があるのかも知れないと思ったりしていたら、あら!私の番がきた。でも、私の横にはもう誰もいない。ずっと向こうの休憩席に美人のおばさんがひとり座っているだけ。よし!私はその人に相手になってもらおうとお願いに行ったのだが、
「あ~、今は休んでるし~」とあっさり断られてしまった。相手のいない私は「壁の枯れかけた花」か?やはりひとりで来るんじゃなかった!そう思い、惨めな気持ちになりかけていたその時、ダブルスを終えたばかりのおじさんが「あんた、相手がおらんのか?いっしょにやろうか?」と声をかけてくれたのだ。見ればハンサム、その眼は切れ長で、いつか見た役者の眼に似て涼しげ。なんとラッキー!……それが北村さんとの始めての出会いだった。
北村さんは親切で卓球がとても上手い。いつも誰かに頼まれてはダブルスの試合をしていた。彼は初心者に対しても嫌がらず相手になったり指導したりしていた。あるおばあちゃんなどは、「チョコレートあげるから教えて!」と帰りかけた彼を追いかけていたくらい。(その時、私は心の中で思った。もしも自分がチョコレートを持って追いかけねば相手にしてもらえないようになったなら、どんな事もやめてやると)
北村さんを知ってからというもの、私は卓球室に行きやすくなった。頼めば必ず相手になってくれるし、ぽつんとしていれば、いつも何かしらの優しい気配りをしてくれるのだ。私は彼に本当に感謝した。卓球室に行くと、まずは彼がいるかをこっそり確かめ、彼が誰とプレーしていても、私の眼は彼を追った。そして北村さんもまた、そんな私の視線を感じるのだろうか。スマッシュを決めると、得意気に私を見てくるようになった。
そしてある日の夕方。卓球の終了時間が来て、最後までいた少数の人たちで台を片付け、床のモップがけをしたりしていた時のことである。隣ではまだ社交ダンスの甘いメロディーが流れている。その時、北村さんが私に近づき、耳元でこう言ったのだ。
「お隣さんみたいに踊りに行ったり、どこかに出かけたりしない?」
キタ━(゚∀゚)━! やっぱりover 70でもナンパとかあるんだ!
その後、私は北村さんと一度だけ一緒にランチを食べに行き、海辺の町までドライブした。海を眺めながら何か話したが、内容は忘れてしまった。覚えているのは、今ひとつ会話がぎこちなく盛り上がらなかったことと、卓球室で見る彼のあの輝きが、レストランや車の中ではまったく消え失せていたことだけである。
その後も北村さんはひたすらこの卓球室に通いつめ、主のような存在になっている。私が初めてひとりで卓球室に行ってみた時、泣きながら帰っていった女性が言っていた名前がそう言えば「キタムラ」だったと気づいたのは、それからずいぶん後になってからのことだった。