自己紹介 〜幼少期〜
一昨日、予定から予定への隙間時間を潰すために立ち読みをしようと思い、近所の明屋書店で、読みたいことを、書けばいい。/著・田中泰延をバク読みしました。
そこで感じたことは、日々の感じたこと、仕入れた情報をアウトプットすることに対して、満足にできていない自分にもどかしさを感じて、酔っ払った勢いで、デザイナーツールとしていいよ!との評判があるこのnoteを選んで、意味のわからない記事を投下したことに深く後悔しております。
はて、そういう気持ちにさせたのはそもそも何だったのかと問われると、仕事でお客さんと話すとき、初対面の人と出会ったとき、飲みの席、そんなシーンではまず自分がどういう人間であるのか、何ができるのか、何がしたくて生きているのかを明確に相手に伝えた上で、コミュニケーションが始まるし、そこから何かが発展していくということをここ数年、かなり顕著に教えられた気がします。
その場によって伝え方、伝わり方、認識のされ方は多様なもので、自分はなんなのか?を今明確にはっきりさせておきたいなという気持ちに駆られました。
自分は、大王製紙やユニチャームを筆頭に製紙会社が軒を連ねる、紙のまち 愛媛県四国中央市に生まれました。
小さい頃は丸々と太った典型的な肥満児でして、将来は相撲取り。と親戚に断定されていたくらいのありさまでした。
ですが、肝っ魂は蟻の糞よりも小さく、ガタイのよさを生かしてジャイアン的な存在に成れる可能性をもっていたにもかかわらず(多分体型が大きいので力もつよい)、幼稚園では、サッカーや野球で遊ぶ友達を尻目に、漫画やキャラクターのイラストをこちょこちょと書き溜め、それを覗き込んできた同級生に「すげー!」と言われることが生き甲斐であった、そんな陽か隠かでいうと完全にインアウトサイドな性格の持ち主でした。
幼少時代に覚えていることといえば、通わされた書道教室で、トイレの場所を把握しているにもかかわらず、質問をすることや、空気を乱すことにたいしてとてつもない恐怖心をもっており、自分なんかがおしっこにいってもいいものだろうかという不安から、授業が終わってから行けばいい・・・と2.3時間我慢した挙句、終了20分前で盛大に放尿するという祭事を起こしたり、太っていたため、幼稚園でのお遊戯会で、何かの劇(ねずみの嫁入り?)の公演中に、かがんだ瞬間に盛大にぱっくりとズボンを割ききって観衆の目前で大爆笑をかっさらい大号泣するという、肥満隠児さながらの感涙エピソードが多々あります。
母には破れたズボンを何度縫い合わせてもらったことでしょう。
そんななか、ひとしおに生き甲斐を見つけたことが、幼稚園の園児通信で、自分の日々書き溜めていたイラストの挿絵が採用されたこと。
ここから、自分の承認欲求を満たしてくれる何かに対して執拗に固執していく旅が始まったようにおもいます。