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もう元の世界には戻らない、戻れない

今更ながら、新型コロナに言及した投稿をしようと思う。

これを書いている時点では、アメリカ、ニューヨークが世界の感染蔓延の中心というように報道されていて、日本では先週、正式にオリンピックの延期が発表され、東京のロックダウンは時間の問題だろうと言われている。
(志村けんさんも、コロナウイルスから昨日お亡くなりになられた。)

状況の変化がとても早く、自分が住んでいるニューヨークと、たくさんの友人や家族のいる日本の、毎日のニュースについていくだけでいっぱいで、書いている間に状況はさっさと変わっていそうだけど。

それでも、一度コロナについて書かないと、次に何も書くこともできないという気持ちになっている。(いつまでも、「テレビをみて楽しかった」、なんていう呟きをくりかえすのも退屈だし。。。)

とはいえ、ウイルスそのものの事なんて、自分なりの考えはあっても、専門家の意見を検索してもらった方がいいと思うので、
このウイルスの蔓延が理由で起きている状況について、自分が考えていることを書き記しておいてみようと思う。

適応のプロセス

様々な都市の封鎖やロックダウンが遂行されたことで、私たちは否が応でも新しい方法に適応しなくてはならなくなった。

毎朝出勤して、オフィスで同僚と物理的に同じスペースで働いていた人達が、
在宅勤務になりリモートワークのやり方を模索しなければならなかったり、

子供達や学生も、オンラインでの授業で学習をすすめなければいけなかったり、

外出できないことで、同居人以外の人々とはラインやズーム、フェイスタイムなどのアプリを通してのコミュニケーションしか術がなかったり。

私の知るたくさんのヨガインストラクター達は、みんなズーム越しのオンラインクラスに切り替えている。

こちらでは、"Social Distancing"と言って、外では他の人と距離(具体的には6フィート、約1.8メートル)を置くように勧告がでているし、

同居していない家族や親族、それから会社の同僚だけではなく、
スーパーや道端の見知らぬ人々はもちろん、ご近所さんや友人とさえ、距離をおかなくてはいけない事になっている。

分離を余儀なくされている生活。

大きな意味で捉えれば、それは今に始まったことではないが、
その分離の極み的な状況を経験することによって、逆にそこからの反動を大きく感じている。

人との繋がり

つまり、こんな状況に置かれているからこそ、逆に強く浮かんでくるのは、「人との繋がり」。

離れて暮らす家族と、普段より頻繁に連絡をとりあったり、
疎遠になっていた友人同士が、どうしているかとメッセージを送ってみたりと、
心と心の繋がりをあらためて大切に思ったりする。

私の住んでいるアパートのエレベーターには、
免疫力が弱いことから、外に出る事を勧められていないお年寄りの方々へ、
「スーパーなどへの買い出しの代行を無料でやりますよ!」
といった内容の貼り紙が、同じアパートの住人からいくつか貼りだされている。

こんなふうに、実際的な問題が起きれば、ご近所コミュニティーの人々と、
何かしらの助け合いをするような繋がりも出てくる。

そもそも大きくみれば、同じウイルスが世界中に、国境や大陸といった垣根を越えて蔓延しているということは、私達が世界中の人々と多かれ少なかれ繋がりをもち、関わり合いながら生きているという証拠だ。

自分自身との繋がり

そして、何よりも今、私たちに求められているのは、
「自分自身との繋がり」。

これは、今、一体何が起きているのかを、私のガイドに聞いてみて貰ったメッセージなのだけど、
この分離の状態を生み出した事態は、私たちの内側の分離の意識が生み出したわけで、人々と距離を置かなければならない状況を機に、自分が、自分自身の一番の親友のようになってあげること、と伝えてきた。

上の如く、下在りき。内の如く、外在りき。

社会全体に一時停止がかかることで、自分にとって本当に必要なもの、大切なもの、喜びにつながるものを思い出し、
そして、不必要なものを手放してゆく機会を、新型コロナウイルスの蔓延という事態を使って与えられている、と言ってもいい。

自分の中に内在するものが、炙り出される様に表面化している。
今、いろんなニュースを観たり聞いたりすることで、恐怖や精神の混乱を経験している人も沢山いる。それは、潜伏状態で内側に持っていた、恐怖や精神の混乱が、表面に出てきているということ。
しっかりと向き合って、手放していくチャンス。

元の世界には戻らない

今一番感じることは、私達が今まで慣れ親しんできた世界は、もう既に変わってしまったということ。
そして、嵐がさった後も、もう元の世界には戻らない。

スマートフォンやコンピューターのスクリーン上で、今まで以上に様々な用事をこなしてゆく状況は、それがどうしても必要な状況が終わったとしても、きっと続いていくだろう。

この事態で職業を無くした人々が、新しい働き方を開拓していくことによって、
人々の社会に対する考え方や価値観の刷新をさらに早めてゆくだろう。

そして、それが何であれ、自身のコミュニティーを見つけることを沢山の人々が切望し、その輪のなかでの繋がりがもっともっと大切にされていくだろう。

それら全てが「新しい普通」となる。

今こそ、「あの時に世の中はとてつもなく飛躍した」と振り返ることになる、大きな転換期だと感じる。

だから声を大きくして言いたい。
今、この時を、ぼんやりと見過ごさないで欲しい。
目の前の小さな火消し作業だけに追われるだけて、ぐっとひろい目線から見渡す全体像を見逃さないでほしい。

ただ目で見るのではなく、心の目も動員して見る。
ただ耳で聞くのではなく、心から深く聴く。
ただ感じるのではなく、全身全霊で感じる。

これは、私たちの生涯の中で、大きな意味を持つ変容のプロセスなのだ。
私たちは、こんな時代の目撃者なのだ。

これは次元が移行したということかもしれない。
もしくは、次元移行の最中の痛みを感じている時期といってもいいのかもしれない。

最後に

どんなに悲惨な現実が目の前に現れているとしても、誤解を恐れずに言えば、私はこの瞬間を目撃していることに、心を踊らせてもいる。

母親が新しい命を産み出す時には、平穏とはいえない混沌の情景が繰り広げられるが、そこにはとてつもなく大きな創造のエネルギーがはたらいていて、
そのプロセスの後には美しさと祝福が待っているのだから。

この時代の目撃者にも、そんな美しさと大きな祝福の経験が待っていると信じている。

医療の現場では、とても壮絶な事態が繰り広げられているという。最後に、医師や看護師をはじめとする、第一線で奮闘してくれているすべての人に声援と感謝の意を表して〆とさせていただきます。

ありがとうございます。


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