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立花孝志とその一派によって壊された家族

またしても立花孝志とその一派が罪のない平和な家族を破壊した。はじめに記しておくと、実はわが上杉家も彼によって壊された家庭のひとつだ(すでにSNSやメディアで何度も言及しているのでここでは深くは触れない)。

立花のやり口は極めて巧妙かつ卑劣だ。仲の良かった上杉家は彼のデマによって分断、修復不能なまでに破壊された。もちろん被害に遭った家族は上杉家だけではない。他にもいくつもの平和な家庭が彼のデマ拡散とトロール攻撃によって崩壊している。

2025年1月、また新たな悲劇が加わった。犠牲になった家族は、兵庫県姫路市の竹内英明元兵庫県議会議員の一家、平和に生活してきた家庭が、立花孝志という不埒な権力者によって破壊されたのだ。

竹内英明は1974年4月6日、兵庫県姫路市で生まれた。竹内の父、亮三は兵庫県姫路市の高岡病院で40年間事務職として勤務した。母の昭子は教育熱心で、竹内に早い段階でパソコンを使える環境を整えるなど、教育面で大きな支援をしていた。

2024年の母の逝去時、竹内は「子どもたちのしつけは総じて母の役割でした」と振り返り、深い感謝の念を示したものだった。このように幼少期から教育熱心な家庭環境で育ち、小学生時代にはドラマ「スクールウォーズ」の影響を受けてラグビーにも打ち込んだ。

高校生になると、竹内は弁護士や検事を目指すほどの正義感を持つようになる。この正義感は、幼少期に読んだ絵本「泣いた赤鬼」の影響を受けたものだと言われている。

早稲田大学政治経済学部に入学すると、鵬志会に所属し政治に触れた。在学中に奥田敬和衆議院議員の学生秘書を務め、新進党の学生青年部の経験なども経たことで、後の政治家としてのキャリアの礎となった(ちなみにこの頃筆者は竹内と会っている)。

大学卒業後、竹内はセブンイレブンジャパンに入社する。政治家の先輩から「民間企業での経験が政治活動の役に立つ」というアドバイスを受け、一度は民間企業を経験することが重要だと考えたためであった。

2007年、兵庫県議会議員選挙に初当選すると、5期にわたり県議を務めた。立憲民主党所属の「ひょうご県民連合」に所属し、地域政策に尽力してきた。

竹内の家族生活は、妻と2人の子供(長女14歳と長男12歳)との4人家族だった。子煩悩な父親として知られ、竹内の公式ブログには家族との日常生活や子育ての様子が多く投稿されていた。

政治家としての活動と並行して、竹内は家事や育児にも積極的に参加していた。洗濯物の取り入れや夕食の準備、子供たちとの入浴や就寝前の絵本読み聞かせなど、家族との時間を大切にしていた様子がうかがえる。

しかし、竹内の政治活動は彼の家族生活にも影響を及ぼした。とくに、斎藤元彦兵庫県知事の問題を調査する百条委員会の委員を務めていた際、立花孝志やその一派の主導したトロール攻撃によるSNS上での大量の誹謗中傷は、その矛先を家族にも向け、一家全体で精神的な負担を強いられるようになるのだった。

2024年11月、竹内は「一身上の都合」を理由に県議を辞職したが、その背景には家族を守るための決断しかなかった。議員を辞めればきっとトロールも止む……。しかし、その願い虚しく、辞職後も立花とその一派による誹謗中傷は続き、竹内は警察や同僚に相談を続けていた。

2025年1月18日、竹内英明は50年間の人生の幕を自ら下ろした。彼の突然の死は、誹謗中傷のターゲットになった者にしか決してわからない。自分だけならまだしも、立花とその一派は常に卑怯な手法で、弱いところを衝く。必然的に家族はその的となったのだ。

竹内英明の生涯はその最期まで、政治家としての使命感と家族への深い愛情の間で葛藤し、最終的には愛する者たちを選択した苦悩の姿を示していた。

彼の死後、SNS上での誹謗中傷の問題が改めて注目される。彼への誹謗中傷は、立花とその一派によって操作された政治的なデマ攻撃だと判明し、公人のプライバシーと表現の自由のバランスについて社会的な議論が巻き起こりはじめている。

仮に、立花とその一派が断罪されたとしても、竹内の人生とその家庭の平和は永遠に還らない。いったい立花とその一派によって、いくつの大切な人生が奪われ、いくつの平和な家庭が破壊されたのだろうか。

これ以上、立花孝志とその一派を放置することは許されない。警察と検察の良心が問われている。

(※写真は竹内英明ブログより掲載許可申請。幼少期に母と兄弟と)

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