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【短期集中連載】ジャニーズカルテル(4)最終回「帝国は崩壊したか?」
ジャニーズ事務所の問題で本当に悲惨だったのは、デビューできなかったジュニアたちです。 百歩譲って、タレントとして活躍しているデビューできたジュニアは相対的にまだ幸せです。実は、その何倍もデビューできなかったジュニアたちがいるわけです。
そうしたジャニーズジュニアというのは、ジャニーさんとの関係を断った人、もしくはジャニーさんから寵愛を受けなかった人、あるいはデビューまでは我慢したが、心の傷を負い、その後退所した人など、こういう人たちは事務所を辞めていくしかなかったわけです。
そして、辞めてどうなったかというと、やはり少年ですから 心の傷、身体の傷を受けるわけです。その傷を背負ったまま、誰にも言えない苦しみを宿し、親にも 言えない、友人たち、仲間にも言えない。一方で、華々しくテレビの世界で活躍しているジュニアの仲間を目にしながら、人生の負け組というレッテルを貼られ、学校に戻ろうとする者もいるが、実際はそこに居場所はないんですよ。
「あいつ、ジャニーズ事務所にいたよな。だけど、なんかあいつ、全然デビューもできないで終わってしまったじゃん」みたいに強烈な劣等感を植え付けられて、心の傷もそうですけど、キャリアの傷もついて、なかなか普通の仕事や生活もできないわけです。あるいはゲイの世界に引き込まれる人もいました。
だが、一番悲惨だったのは、当時、私が確認したっだけでも2人の少年が、自ら命を絶ったという現実です。これがニューヨークタイムズでの取材の原動力にもなりました。シムズ特派員もそうだったんですけど、これは絶対に許せないな、絶対に放置すべきじゃないと認識を一致したのがこの情報に接したからだと記憶しています。
この問題を3回にわたって記事にしたはずですが、三回目は掲載を見送られた。3回目の取材時に担当のシムズ特派員が アメリカに戻ってしまったので、 ニューヨークタイムズにはこの問題を引き継いでやる記者がいなかったということもあります。そこで、フリーになった私がジャニーズ問題を引き継ぐ形になったんです。
とはいえ、私自身、独立した当初はステルスでした。しかし、この問題は必ずやらなくちゃいけないなと心に決め、実際に力をつけた数年後から発信を再開しました。それが、連載で触れたり、講演で話したり、あるいはラジオやテレビでさわりだけ触れてスタジオを凍らせたり、そんな感じでジャブを打ち続けていました。
しかし、なにをしても、この問題になるとどんなに優秀な記者やメディアでも黙殺になるんですね。『週刊文春』も途中で黙殺しだしたんですよ。松井清人さんが経営に行ってしまい、木俣正剛さんが現場を離れ、島田真さんが別の部署に行ってからは、ジャニーズ事務所の写真集などを出したりね、文春自体も間違いなく妥協していましたね。
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