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オウンドメディアの時代がやってきた!!!
マクルーハンの時代から、新聞・雑誌などの活字媒体、あるいはラジオやテレビなどの放送メディアも、一部の利権者たちのものにすぎなかった。
メディアは総じて、一般人には無縁のものだ。わたしたちは日々、彼ら既得権者から注がれる大量の、決して質の高くない、時に汚れたシャワーを無自覚に浴びせられていただけだった。
しかし、時代は変わった。
インターネットの台頭はメディアの在り方を変えた。とくに近年のSNSを含めた通信テクノロジーの劇的な革新によって、メディアの主役は「新顔」に取って代わろうとしている。
通信分野において、相変わらず日本は遅れを取っている。
2012年、米国ではネット広告がテレビの広告出稿料を抜いて一位に躍り出ていたというのに、その前年の2011年、日本は、放送と通信と融合を拒絶して、地上デジタル放送の導入を骨抜きにした。その小さな、しかし、時代の必然の改革を邪魔したのは、民放連などの既存の放送業者であることはいうまでもない。
その後の10年間で、ネットの技術革新は誰も予想できないほど進み、砂の中に頭を突っ込んでいるダチョウの日本は、はるか後方に置いていかれることになった。
たとえば、来年の2月の北京オリンピックを契機に「デジタル人民元」を導入して、世界通貨戦争の覇者たらんとしている中国と比してみても明確だ。QRコードなどで日本生まれのテックを模倣してきた中国だが、ここにきて、3年後の「新券(新札)発行」のために印刷を開始したと喜んでいる日本を完全に抜き去った。いまや中国にとっては日本は古く懐かしい国である。
政府も政府だが、そうした国家の恥辱を喜んで取り上げているメディアも情けない。なんという時代錯誤、怒りを通り越して恥ずかしい限りだ。国有地払い下げや税の優遇措置で、財務省と国税庁に牛耳られた日本の記者クラブメディアらしい報道姿勢だが、ここまでひどいともはや相手にもしたくない。
こう書くと、16本のレギュラー番組を下ろされた頃のようにまた黙殺による嫌がれせを受けるのだろうか。いや、もうそんな力は残っていない。私上杉隆にも、テレビにも…。この10年間で、既存メディアを相手にしない空気は日本に広がってしまったのだ。
時代錯誤の日本のメディアのことはさておき、そのような遅れた状況の中、しびれを切らした企業や個人たちがついに動きだした。改革の先頭を切ったのは、メディア業界から現れたのではなく、意外なことに、自動車業界、そう、その雄であるトヨタ自動車であった。(つづく)