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【広島】広島市内・宮島に行ってきた【2014年8月】
どーも、たかしーのです。
昔の写真を整理しながら、過去に行ってきた場所の思い出を書いていきたいと思います!
今回は、2014年の広島です。
でんぱ組.incの広島公演を観に行ってきたので、そのタイミングで広島観光もしてきました!
↓ 2015年に参戦したでんぱ組.incの代々木公演の模様はこちらから
観光したところ
MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島(広島市南区)
広島を本拠地とするプロ野球の球団「広島東洋カープ」のホームグラウンド、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島にやってきました!
広島駅から近い場所にあるので、新幹線で来てもアクセスがしやすい場所にあります。
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MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダ ズーム・ズーム スタジアムひろしま)は、広島県広島市南区南蟹屋にある広島東洋カープの本拠地球場です。正式名称は広島市民球場です。
1957年に完成した広島市民球場が老朽化したため、2009年に建設されました。鯉の躍動的なイメージをコンセプトに左右非対称のデザインとなっており、線路外の野外席を大きく取って正面側に広場を設けることで、街に開かれた野球場を目指しています。
観客席は砂かぶり席、スイートルーム、パーティーフロア、テラスシート、パフォーマンスシートなど多様な種類が用意されており、大リーグ球場並みの横幅50cm、奥行き85cmを確保しています。また、車椅子スペースやオストメイト対応型多目的トイレなど、障害者や高齢者、小さな子ども連れの方など、誰もが利用しやすいユニバーサルデザインに配慮した施設です。
「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」という愛称は、マツダのキャッチコピー「ZOOM-ZOOM -もっと乗りたくなる。-」から引用された言葉で、英語圏における幼児語の「自動車(日本語で言えばブーブー)」を意味しています。企業名や商品名ではなく企業団体のキャッチコピーが命名権で用いられるのは異例です。
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ただ、この日は試合は開催されておらず、また他にも行く場所があったので、カープの選手と一緒に写真が撮れるブースだけおジャマして、記念写真だけ撮ってきました。モニターに映っているのは、野村祐輔選手です。
ちなみに、広島カープは、2016年シーズンから3年連続セ・リーグ制覇を達成し、ここマツダスタジアムがめちゃくちゃ盛り上がることになります。
原爆ドーム(広島市中区)
そこから路面電車に乗って、原爆ドーム駅で下車し、原爆ドームに向かいました。
原爆ドームは、広島市の中心部にある広島県産業奨励館の焼け跡で、1945年8月6日に投下された原子爆弾によって破壊された建造物です。爆心地から至近距離で被爆しながらも奇跡的に倒壊を免れたため、当時の姿のまま保存されており、人類が初めて被った核兵器の惨禍の跡を留める資産として世界遺産に登録されています。
原爆ドームは、1915年に広島県の物産品の販売促進を目的として「広島県物産陳列館」として建てられました。設計はチェコの建築家ヤン・レツル氏で、構造は煉瓦造で一部鉄骨を使用し、外装には石材とモルタルが施されていました。原爆投下前は広島県内の物産を陳列したり博覧会などが開催される建物でした。
原爆ドームは1995年に世界遺産(文化遺産)に登録され、国内外から多くの人が訪れています。被爆当時の姿を保つことで、時代を越えて非人道的な核兵器の脅威を世界中に訴え続けています。
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なかなか言葉にするのが難しいですが、実際に来て、自分の目で見るべき場所であるとは感じました。教科書やネット、動画で観るよりも、実際に来て、原爆が投下された同じ場所で観ることに意義があるスポットだと思います。
厳島神社(廿日市市宮島町)
そこから、今度は電車に乗って、宮島へと渡るフェリー乗り場へ。
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そこからフェリーで10分ほど揺られ、
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宮島に到着しました!
宮島(みやじま)は、広島県廿日市市宮島町にある島で、瀬戸内海西部、広島湾の北西部に位置しています。本土とは最短距離で約300m、連絡船の航路距離では約1800m離れており、長さ約10.5km、幅約3.5km、面積は約30.2km2で、全島が花崗岩で構成されています。
宮島は「いつくしま(厳島)」の別称で、通称は安芸の宮島(あきのみやじま)とも呼ばれています。島全体が信仰の対象で、古代から弥山とその周辺の山容に霊気が感じられるとされ、地元の人々が自然崇拝していたことにはじまります。厳島神社は593年に創建され、806年に弘法大師空海が島からの霊気を感じたことから弥山に御堂を建て、真言密教の修験道場となりました。
宮島は、太平洋の松島、日本海の天橋立と並んで日本三景にも数えられ、深い緑色の森林景観と海、そして鳥居の色鮮やかな対比は日本を代表する景色となっています。島内の「嚴島神社」や「弥山」の原始林などは世界文化遺産に登録されており、「大聖院」や「五重塔」「千畳閣(豊国神社)」など歴史的な見どころも多数あります。
宮島に来るなり、たくさんの鹿がお出迎えしてくれました。
お店が立ち並ぶ通りにも、鹿が普通にいるので、普段ではあまり見られない光景かもしれません。
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可愛かったので、一緒に写真も撮りました!
カメラ目線にしてくれたので、とてもいい写真となりました!
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フェリー乗り場から少し歩いていくと、厳島神社の大鳥居が見えてきました!(テンションあがって走り出すウチの嫁)
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到着しました!
こちらが、世界文化遺産である厳島神社です!
嚴島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の宮島(厳島)にある神社で、全国に約500社ある嚴島神社の総本社です。海を敷地とした大胆な配置構成で、平安時代の寝殿造りの様式を伝える日本屈指の名社で、1996年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
嚴島神社は、推古天皇元年(593年)に佐伯鞍職が創建し、平清盛が仁安3年(1168年)頃に現在の姿に造営したとされています。遠浅の浜にある境内は満潮時には海に浮かんでいるかのような優美な光景となり、背後に広がる緑とのコントラストもまた格別な美しさです。
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大河ドラマでよく観る寝殿造りの渡り廊下に、思わずテンションがあがり、舞を奉納してしまうウチの嫁。外観のみならず、内装も格式高く、タイムスリップをしたような気分になりました。
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はい、こちらが厳島神社の大鳥居でございます!
厳島神社の大鳥居(いつくしまじんじゃおおとりい)は、広島県廿日市市宮島町にある厳島神社の鳥居で、世界遺産「厳島神社」を構成する文化財の一つです。高さ16.6m、棟の長さ24.2m、主柱まわり9.9m、総重量は約60tとされ、木造の鳥居としては日本最大級で、国の重要文化財に指定されています。
大鳥居は、平清盛が神社を海上社殿として大修築した際に創建されたとされ、天文16年(1546年)に大内義隆らが再建した時から両部鳥居になったと言われています。現在のものは明治8年(1875年)に再建された8代目とされていましたが、近年の研究により9代目であると判明しています。
大鳥居は固定されておらず、自然の重みだけで立っています。主柱は樟で、各主柱の立つ基礎は松丸太を打ち込み、その上をコンクリートと花崗岩で固めています。鳥居の島木と笠木は箱状の構造で、内部には約4トン分の小石が詰め込まれており、その重みによって自立し、風波に耐えています。
大鳥居は宮島のシンボルであり、1168年以来ずっと島の入り口を守るように立ち、聖と俗の間の境界線を示しています。また、四方位を表しており、陰陽道との関わりが深いこともうかがえます。東側の錺金具は太陽の印、西側の錺金具は月の印で、灯籠もこの太陽・月マークがかたどられています。
この時間帯は、潮が引いていて、鳥居の近くにも行けました!
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他の鳥居と違い、とてもダイナミックで、支柱がムキムキしていました。
(びじゅチューンでも同じこと言ってたw)
おわりに
それから10年経った2023年に、仕事の関係で、再び広島に行くことがあり、訪問してきました。
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原爆ドームは、今でも同じ姿を維持し続けています。
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ですが、やはり崩壊した建物を維持するというのは、とても大変で、中には骨組みが張り巡らされていました。
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別の角度から観ても、やはり当時の骨組みがむき出しとなっている外観には、とても訴えるものがあるなと感じます。
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コロナが明けてから訪れたので、外国人観光客も多く来ていました。
英語が話せるガイドさんも近くにいたので、さまざまな国の人が、どういう建物だったのか、どういう経緯でこうなってしまったのかを感じていただけたのかなと思います。
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原爆死没者慰霊碑にも足を運びました。
実はここからのぞくと、原爆ドームが見えることがわかります。
碑文には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と書いてあります。
こうした思いをどう感じ、どう生かして、どう行動していくか。
戦後に生まれた我々に課された使命なんだと思いました。
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原爆ドームの東隣にあるおりづるタワーにも行ってきました。
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実は、この「おりづるの壁」は、来場者が折った折り鶴で構成されています。有料にはなりますが、展望スペースから折った折り鶴を上から落とし入れることができます。みんなで作るというコンセプトも含めて、とても素敵なデザインだなと思いました。
他にも、ストックしている写真はいくつかあるので、また気ままに書いていきたいなと思います。
それでは!