2021/10/1 健康診断で検尿だけ断固拒否するメンタリスト
太鼓の達人でこの曲を知った。ポップで明るいんだけど、8bitの音色の懐かしさが少し寂しさを含んでいるところが良い。
最近、10とか20とか年上のひとが、「力(ちから)」にしか見えない。「権威」が服着て歩いてるわ〜、と思うとちょっと笑える。そうやって認識の精度を落として、笑えるようにしないと、やっていけない。
初対面の年上は「力(ちから)」でしかないから、恐怖心以外の感情を持てない。しばらく付き合うと、少しずつその人の弱さとか「本当にかかえているもの」が見えてきて、単なる「力」ではなくなる。ひとりの人間になる。そのひとが生きていることをちゃんと認識できる。
だけど、ひとたびそのひとが力を見せると、途端に恐ろしくなる。たとえば、ちょっと強い言葉を使ったり、語気が荒かったり、何かを無理やり決めつけようとしたり、余計な介入をしてきたり、そんな些細なことで。そのひとは途端に、単なる「権力」でしかなくなる。そうなると、ただただ怖い。怖い以外の感情はなくなる。
すいちゃんがアルバム出したり、鈴木凹さんが新譜出したり、とあPの「MIKU/TOA」がサブスクに来たり、サ柄直生さんのEPが出たり、聴き込みたい音楽が溢れてる。あ、そういえば細井徳太郎さんの1st「スカートになって」めちゃくちゃ良いです。「エンガワ」を聴きながら、闘病中の祖父のことを想います。
会長のフリーチャットが閉鎖されてしまった。どんどん増えていく同接と熱いメッセージで溢れかえるTLを同時に見ながら、涙がちょちょぎれた。卒業してもなおTwitterのトレンド日本1位、世界2位に君臨し、フリーチャットの同時接続10万人超えを成し遂げる影響力は、はっきり言ってめちゃくちゃだ。しかし、その数値化可能な影響力(の全体)を称賛したいのではない。
なんというか、僕は一人の存在が周りを巻き込んで、否応なく時間に残してゆく「つながり」の意味場を見ていたい。Vtuberというひとつのバーチャル空間が、バーチャルとリアルの別を超えるほどの存在感を伴って、色濃い「関係性」を無数に残してゆくのを見ていたい。
桐生ココも知り得ないほどのきめ細やかさで、リスナーひとりひとりの生活のうちにその「関係性」は生まれている。一人のアイドルに出逢えば、一つのコンテンツを知ってしまえば、もうそこに唯一のつながりが生まれる。個人的・私秘的でとんでもなくミニマルなんだけど、その人にとっては代替不可能な「日常の支柱」みたいな、つながり。手では掴めないけど、それが存在していることは強く感じられる。
その「関係性」の数々はこんなふうに、もはやタレント本人やクリエイターの制御可能な力を超えて、奇跡みたいな爆発を起こす。
僕は、一人のタレント・コンテンツを推していくのではなく、オタク文化に積極的に参加するのでもなく、タレント相互、コンテンツ相互、リスナー相互に自然発生する「関係」が起こすいくつもの偶然を、冷静に(、でも時々思わず熱くなりながら)見ていきたい。