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『気象予報士をSF考証する』第1章──感性としての気象予報

2021年の夏の夜──小説家の直感なのか、SF考証としての論理的帰結なのか──〈気象予報士試験〉を受けようと思い立ちまして、ドキュメンタリ/モキュメンタリ的にこうしてnote連載していきます。

思い立ったと言っても、当然いろいろな理由があります。ということで初回のテーマは──なぜ今〈気象予報士試験〉なのか、あるいは小説家+SF考証の〈感性〉です! 2021/09/05

理由の前に/取材とは少し違うものとして

言い訳する前に言い訳する理由みたいなものを書いておくと、〈小説家+SF考証〉しているぼくにとって〈気象予報士試験〉はおそらく、結構微妙/絶妙な距離感だと思います。もっとはっきり言うと「他のアプローチもあるのでは?」ということです。

気象予報士が主人公のお仕事小説を書くために〈気象予報士〉を取材することはもちろんアリで、取材の一環として試験内容を結構勉強するのも当然で、その延長として受験までしてしまうのも(個人的には)それほど不自然なことには思われません。

ぼくは今、アニメ会社でSF考証を担当する新卒正社員が主人公の長編小説『いであとぴこまむ』を書いていて、超いろいろ取材を重ねており、もし関連の資格試験があったら即座に受験準備を始めますが、現状はそういうものはなく、取材はもっぱら実際にぼくがSF考証をしていくというフィールドワーク的なもので進んでいます。

《いであとぴこまむ》のどこか1話に相当する短編「配信世界のイデアたち」は、『Genesis 白昼夢通信 創元日本SFアンソロジー』所収です!

小説家やSF考証は何をやっても取材だと言える/言い張れる仕事なので、〈気象予報士試験〉を受ける途中で知りうる色々なことは、いずれなんらかの作品に活かせるとは思います。なんとなれば、もう、今参加しているアニメやゲームにも。

とはいえ上述のとおり、それは受験しなくても入手できる知識なのです。

いつも数学や物理学あるいはVR/ARの最先端を調べているように、気象について論文や専門書を読んでいけばいい──ではなぜ〈気象予報士試験〉なのか?

受験理由①──検索以外のアプローチとして/取材の拡張

以下いろいろ受験理由を書いていきますが、おそらく一番大きいのは──上の取材の話とも関連して──知りたいことに対して、検索以外のアプローチになりうる、というところにかなり期待しています。

確認しておくと、いわゆる取材はあくまでも二の次です。気象予報士として働くか働けるのかはいったくおくとしても、合格すれば気象予報士の卵的なものにはなるはずで、ぼくがゲリラ豪雨でずぶぬれになることは避けられるかもとは思っており──これはぼくの思考パターンな気もしますけれど──ストレートに/普通に資格勉強をしていきます。

そして、そういう行動の果てに、検索以外のものにたどりつけたとしたら、それはとても楽しいことであり、それは取材の拡張と言ってもよいのではないか、ということです(もしかするとSF考証SFの執筆と似て、フィールドワーク的な取材に近いかもとは思います)。

受験理由②──〈気象〉と〈予報〉の可能性

この世には超多くの資格試験があり、理由①では〈試験〉を受けることしか言えておらず不十分です。

ではなぜ気象予報士なのかと言えば、それは〈気象〉〈予報〉〈士〉それら3つの概念にぼくが関心を持っているからであり、もっと強めに言うと小説家+SF考証としてこれから気象+予報+士が超重要なキーワードになっていくと直感し、あるいは論理的に結論したからです。

〈気象〉についてはもはや言うまでもなく、現在のぼくたちはどこに住んでいても、いわゆる異常気象にいつでも巻き込まれる危険性のただなかにいます。新海誠監督『天気の子』は気象コントロールSFであり、連続テレビ小説『おかえりモネ』は気象予報士が主人公のお仕事ものということで、このあたりも小説家+SF考証として後手後手に回っている感があって「いまさら気象?」ということは重々承知しつつ──それでもなお──〈気象〉はあらためて向き合うべきだと思うのです。

〈予報〉についてはほとんどいつものモチベーションで、自然科学的な興味が大きいです。気象という現象の分析も含めて、気象の予報にはぼくが知らない数学や物理学が使われているに違いなく、それは端的に知りたいことです。拡張という言葉を使えば「自分の数理の拡張」となると良いと思います。

〈士〉とはつまり士業{しぎょう、さむらいぎょう}のことです。

で、そういえばというか、ぼくは運転免許証も持っておらず、そういう資格的なものがどういうものなのかを知りたいのは理由の少し後ろのほうには置かれるものです(※厳密には──記憶が超あいまいですが──ぼくは物理学科出身で、必修科目として物理実験の単位を取っており、確か単位とペアで、危険物取扱者的なものがもらえているかも)。

受験理由③──スケジュール感

理由も三番目ともなると、いろいろとあれですが、節タイトルのとおり、資格試験というシステムが持つ、きっちりとした日程は──小説執筆+SF考証にはないものとして──ひとつ、自分のなかのスケジュール感覚のなかに入れておきたいということがあります。

小説執筆にもSF考証にも当然〆切はありますが、それはおおむね2週間後に提出だったりして、小説だと来月や来年という言い方もしますが、資格試験/受験勉強はそういう〆切案件とも少し違う時間感覚で向き合うものです。

小説執筆やSF考証は──必ずしもすべての作品がそうではないと思いますが──基本的には時間をかければかけるほど良いものになっていくはずのものです。逆に言うと、〆切は自分たちで決めるしかない、自分で〆切るしかない、ということになります。だから〆切の随分前に完成する(と思い込める)ことはあるし、出版された後になっても完成はしない(気分になる)のです。──標語的に書くと〈小説は〆切日と完成日が一致しない〉となるでしょうか。

ところが試験勉強というのは、あるいは〈合否〉というものは、明確な線引きであって、合格してしまえば受験勉強は終わりです。気象予報士として立派になるということは永遠の目標として掲げるとしても、ひとまず〈気象予報士試験〉の合否はわかりやすく点数で決まります。

小説完成のために執筆する日々には(完成したと思いこむ以外に確定的な)終わりがなく、試験合格のために勉強する日々には(合格という不確定な)終わりがあります。

準備期間としても〆切としても、いつもの仕事とはいささか違う資格試験勉強というものをスケジュールに差し込みたいというのは、多くのいろいろな資格勉強をしている人たちと共有できるモチベーションだろうと推察します(もちろんみなさんもぼくも、まずはその資格を取得したいということは確認しつつ)。

今回のオチ──気象予報士試験の合否と、小説家の感性の成否

受験理由①②③をまとめれば、「気象予報士試験を受けるのは、小説家としての感性あるいは勘が、そうすべきだと告げているから」ということになります。

小説家+SF考証は──世界の気象はわからないまま──世界について〈予報〉できるのか? 

きっと答えはわかっていて、予報できることもあれば予報できたこともあって予報できないこともあり予報ができなかったこともあった、となるでしょう。

今回のぼくの〈気象予報士試験〉は──それが正しいことだったかどうかは結果を見ていただくとして──少なくともこの連載を含めて、面白くなることはすでに感じていて、気象予報士試験をぼくと同じタイミングで受ける方にもぜひ楽しみながら読んでいただければと思います。

気象予報士試験の詳細は本連載第2回に書きますが、直近の試験は来年2022年1月なので、そろそろ勉強を始めたほうが良さそうということもあり、日記風に書き進められる本連載、続きはまもなくです! 今回は以上です。おつかれさまでした!

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