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❨242❩1972.4.30 日 晴 親切な家族/サンフランシスコ:チリ(San Francisco→San Fernando:Chile)

朝は、霧が大分出ていたようだ。

昨夜は3時頃だったろう、公園の前の家の人 がわざわざ「寒かろう」と言って、家の中で 寝るようにと起こしてくれた。

断わる理由もなかったので、言われるままに家へ入り、粗末な小さなベッドではあったが、厚い毛布の中で寝た。
知らず知らず、つい10時すぎまで寝た。

失礼すると云うと、パンとチーズと紅茶を出してくれて、寒い朝には何よりも有難いものだった。

この家は、セニョーラ(奥さん) ニーニャ(女の子)3人、ニーニョ(男の子)2人、セニョリータ(娘)2人、がいたと思う。

女の子は、スカートの下に長ズボンをはき、妙なカッコウをしていたが、クルッとした大きな目が3人ともカワイく、またよく話す人なつっこい子だった。

家の前で、記念写真を撮り、送る事を約束して Adios!
貧しい家族だったが、親切な人達だった。

この南部、田畑が沢山あり、北部と比べたら全く違う国みたいだ。
道路沿いの安そうなレストランを探すのには苦労するが・・・

サン・フェルナンドにダウン。
最初公園のつもりだったが、子供達の好意で駅に泊まることとなった。

公園では、サインぜめに合って、一時間位書かされた。
子供ながら、サンドイッチとビスケット、それにタバコを少しくれたぜ!
金も、1エスクドくれるという子供がいたが、それは遠慮した。

また、ここで体操を少し教える。
バク転をやって見せようとしたら、疲れとしばらくやってなかった為に、からだが重く、 ぶっつぶれたのしか出来ず、チョッと、恥じだったナ。

駅では、これまた二人の人に誘われ、近くの店へ飲みに行く。
ここのブドウ酒は甘みが全くなく、俺には合わない。
12時頃まで付き合わされ、言葉の応答には少々、頭を痛めたな。
まあ、いつもの調子で大半は通じたが。

夜は霧が深く、寒い。


チリーは、北部1000kmは砂漠地帯で、南部1000kmは農業の盛んな緑地帯となっている。
随分、気候・地形の差の激しい国である。

幾日も幾日も岩と砂ばかり見て走り、味けなく思っていたが、南に下るにしたがい緑が増えて来て、何んとなくホッとした気分になった。

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