❨577❩1973.金.晴/自然の王者に想うこと/マラカイボ:コロンビア❨Columbia❩
割と静かでいい町だと思う。ホテルから300m位の所にプラヤがある。穏やかな青い海だ。
そういえば昨日バスから見た女性の衣装がめずらしかった。キリストの着ていたような、ダブダブのマキシを着ていた。
黒が多いが、その他も色々あった。足には、大きな毛玉をつま先の方につけ、ゾウリで歩いている。妙な格好だと思った。
11時から3時まで泳いだ。軍艦が入り、油で少し水が汚れたのはシャクにさわった。
夕暮れ、夕日の沈むのをじっと眺めていた。
堂々と静かに、そして美しく、海を紅く染めながら沈んだ。
華々しく夜を明け、地上を焦がす程に照り輝き、自分の勤めを全て成し終え、満足したかの様な姿だった。
高杉晋作、斎藤道三は、海の波の如くと人生を云ったが、俺は、太陽の如くと言いたい。
俺はこの「自然の王者」の様になりたい。
何も物を云わなくても、人間は彼の存在を文句なしに認める。必要であるからだ。
そして彼を信頼しきり、人間が何も云わなくても、彼は彼の役目を果す。
彼がいなくなった時、同様に人間も従い、働きを終える。全てが彼中心にある。
彼を偉大と思うのは、休まない事だ。社会においても、真に必要とされる者は、こうあるべきであろうか?
いや、人間は自然の力を越える(もしくは、 同等)事は、不可能であろう。
何か妙な文になってしまった。つまり俺は、ここに、あまりにも夕日が美れいだったから、それを書き留めたにすぎない。
俺は今、無駄な事をしているのだろうか?
フッと心細い思いをする時がある。
もっと書に接し、その道(体育)に必要な教養を積むべきだろうか?
しかし最終的に求めるものは、金でも名誉でもない、自己の全能力(出しうる限り)を発揮するという事なのだから、間違ってもいない気がする。
今俺がしている事(この旅)は、自分の力を実際に試しているのであり、また、自己のどうも発揮しにくかった(日本で)個性を表に出し、以前からあったものは更に磨きをかけようとしているものだから、結果において、もし成果がなかったにしろこれでいいのではないかと思う。
道なんてどうでもよくなる時もある。一度きりの人生なら、思いっきり面白おかしくやってみるか、それとも、他の自由に目もくれない程、一つの道を追究してゆくかのどちらかだ。
中途半端はいかん。今、どちらを取るかといったら・・・・難しい。
これは、 自然に決まる事ではないか?
もしそうなら、そうしたい。
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