人格バックアップ時代の生死観

記憶のバックアップを取っておいて、万が一、死んでしまった場合には体細胞クローンに記憶を注入して復活できるようになったら便利ですよね。……というような話が出た際に、それは自分の記憶のコピーを持った他人であって断じて復活ではない、無意味だ、という反応を時々見かける。そんなに無下にしなくてもいいんじゃないか?というのがこのnote。

漫画『一番湯のカナタ』には、その方法で復活を果たすネタが出てくるが、これが、その世界の宇宙人達には標準的な哲学的にも倫理的にも問題無いと見做されている復活方法として描かれているのか、あまりに酷いブラックジョークとして描かれているのかは分からない。映画『スター・ウォーズ』シリーズでは、作中に登場するドローンと呼ばれるロボット達にとっては、記憶のリセットは死を意味するらしい。その後、記憶をバックアップから書き戻すと復活と見做しても大丈夫なようだが、「最後にバックアップを取って以降の自分」は死ぬことになるので全くの無事という訳ではない。

記憶のバックアップからの復活がアリなのかナシなのかを考察するため、寝ている間に自分のクローンを作った場合について考えてみる。すると、登場する人物というか、視点というかそういうものは、以下の3つになる。

  • 寝る前の自分

  • 起きた後の自分

  • クローン

ここで「寝る前の自分」と「起きた後の自分」が同一人物なことには疑う余地がない。では、「起きた後の自分」と「クローン」は同一人物だろうか?

ここでそもそも、「同一人物」というのは、ある瞬間に同時に居る2人の間に成り立つ話ではない。2人が並んでいれば、それは絶対確実に他人だ。「あなたはこの作品を書いたのと同一人物ですか?」なら、「あなたは、過去はこの作品を書いた人と同一人物ですか?」の意味だ。犯罪捜査中の警察が「監視カメラAで撮られた写真と、別の場所の監視カメラBに撮られた写真に写ってるこの人物は同一人物の変装なのか?」と言ってる場面であれば、AとBで写真が撮られたのは異なる時間に違いない。同じ時間に別の場所で撮られた2枚の写真に同一人物が写ってるか?とかに頭を悩ませる警察には、社会の安全を託したくない。

そんなわけで、2人並んだ「起きた後の自分」と「クローン」は、そもそも同一人物であるはずがなく、そんなことは考える時点で無駄である。「起きた後の自分」が「クローン」に対して「俺が本物でお前は偽物だ。俺の財産の一部がお前のものだと見做されて奪い取られる可能性があるし、俺が死ぬことでお前が俺に取って代わってしまう危険性もある。お前の存在は邪魔だ。死ぬがよい」とか言い出しても、それはしょうがない。というわけで、この件で本当に考えるべきは、異なる瞬間に属する「寝る前の自分」と「クローン」は同一人物か?という問いになる。

考える取っかかりにもうちょっと別のパターンとして、寝ている間にクローンを作ったら、本物の自分は起きる直前に心臓発作で死んでしまった、というシチュエーションを考えてみよう。もしこの話を聞いたとしたら「起きる前の自分」は、どんな風に考えるだろうか想像してみる。自分を「私」だと思い込んでいるクローンだけが生き残るなんて許せない、クローンも処分しろ!となるのか。あるいは、本物の方が死んでしまうのは悲しいけど、私はこの先、クローンとして生き延びられる分、まだましか、と思うのか。

そもそもクローンは自分の続きではない、という考え方もあるかと思う。が、それに固執しなくても良いんじゃないか、とも思っている。なにしろ、今この瞬間の自分そのものは、次の瞬間には居なくなっている。次の瞬間に居るのは、今の自分を構成する原子や電子が、物理法則で動かされてできる、別の自分だ。よくある厨二病哲学に、自由意志とは何だ?と考え始めてしまう定型のテンプレがある。小説などの登場人物は作者が勝手にそのように描いたものなので、彼ら彼女らに自由意志は存在しない。生きている自分にはもちろん自由意志が存在する。……が、生きている自分も、物理法則に従って勝手に原子や電子が動いているだけで、その法則や動きを自分の自由意志が制御できるわけではない。それが物理法則であれ、作者の考えであれ、自分で制御できない何かに勝手に動かされ続けているという意味では、自分も物語の登場人物達も同じなのでは?とかそういう。

この辺りの、コピーを自分の続きと見なすのか?という話については、偉大なるSF小説家のグレッグ・イーガンが山ほどネタにしておられる。氏の小説は難解で最高なのだが、もっと分かりやすい説明はできないかと自分で挑戦してみたのが、以下2つ。
『最小の叫び https://ncode.syosetu.com/n1509kd/
『離れがたき「ここ」https://ncode.syosetu.com/n9088kc/
さて、纏めると以下のように見なせる。

  • 寝る前の自分 → 一晩分の時間経過で物理法則が、元の自分を材料にして、別の自分へと書き換え → 起きた後の自分

  • 寝る前の自分 → コピー装置により何かの原料から自分を組み立て → クローン

前者はアリだけど、後者はナシだ許せん、と決めつけるのはもったいないと思うのだ。前者はおおむね元通りの材料に微調整が加えられただけだけど、後者は0から作り出されているからダメ……というと、テセウスの船の話になり、却下する根拠としては薄い気がする。前者のような天然自然の物理の働きなら良いけど、人為的な操作が含まれる後者はダメ……というのは、自然崇拝っぽい印象を受ける。自分の好きなとおりに崇拝するのは構わないが、後者を受け入れて生きながらえようとする人に「それはダメだ」と文句を付けるのはどうなんだろうか。自ら進んで名誉ある死を受け入れるのが人の道だと切腹を進めてくる武士のような迷惑さを感じる。

さて、めんどくさいので、とりあえずクローンは自分の続きと見なしうるということにして、そう考えると気持ちが悪い部分について整理する。自分のクローンが「寝る前の自分」にとっての未来だと見なせたとしても、それでもなお、「起きた後の自分」にとっては「クローン」と対面するのは嫌だろう。なぜそういうことが起こるのかというと、立ち位置が変わっているからだ。「よし、記憶のバックアップを取ろう」と思った瞬間の自分にとって、その、今から取られるバックアップは、いつか自分に何かが起こった際でも、今の自分が復活できるようにするための大切な希望のデータになる。一方で、「よし、記憶のバックアップを取ったぞ」と思った瞬間の自分にとって、取り終えたバックアップは完全な希望にはなり得ない。そのバックアップは自分の未来ではない。この瞬間の思いは、そのバックアップから復活する自分には生えてこないのだ。

「起きた後の自分」と「クローン」が別人だとしても、そもそも人類は大昔から、自分が死んだ後に子孫達がその後を継いでいくという現実を受け入れて。その考え方を応用すれば、ちょっと前の自分、今の自分と似た記憶を持った誰かが、自分が死んだ後を受け継いで行く、という現実を受け入れるのも難しくはないだろう。そんなわけで、取り終わった記憶のバックアップを自分の後継者の元だと考えて大切に取っておく人も多いと思う。逆に、自分の子孫なんかに自分が稼いだ金を渡したくない、みたいな人も居るわけで、自分のバックアップを取り終えた端から消したくなる人も出てくるだろう。そういう人は、常にバックアップをとり続けるような仕組みができるまで心穏やかでは居られないに違いない。

さて、このような状況になると、死とは何かを見直す必要が出てくる。人間をコピーする方法が無い場合は、生まれてから死ぬまでというのは一直線で分かりやすい。しかし、コピーを作ったりできるようになって人生に分岐が増えると、1回生まれた人が、あちこちで何回も死んだりする事例が出てくる。

例えば、毎週週末に記憶のバックアップを取るようにしている人物Xが、週の半ばに事故で亡くなったとしよう。そして、数ヶ月を掛けて体細胞クローンが作られた後、バックアップされた記憶が書き込まれて復活を果たした。こういう場合をどう捉えれば良いのか?1つの考え方として、『スター・ウォーズ』におけるドローンと同様な、以下のような認識がアリなんじゃないかと思っている。

  • 「ある人物の死」という考えは捨てて、代わりに、「ある瞬間のある人物の死」という考え方を採用する

  • 「ある瞬間のある人物」の続きがどんな形でも存在しなかった場合、「その瞬間のその人物」は死んだ、と考える

先の例では、最終的に復活したXの主観としては、生まれてからバックアップを取って復活するところまで、欠けなく繋がっている。そのため、この範囲のXは、まだ死んでいないと見なせる。一方で、週の半ばで死んだ主観の続きはどこにも存在しない。なので、「記憶のバックアップを取ってから事故に遭うまでのX」は死んだと見なす。

さらにその後、Xが自分のコピーを作り、そのコピーはアンドロメダ星雲を目指して旅立ち、しばらくして連絡が無くなったとなったとする。地球に残った方のXはまた記憶のバックアップを取った後、事故で死んでしまった。バックアップから復活させようと思ったが、今度はデータがランサムウェアの攻撃で暗号化されていて復号出来ない。今後数億年、パスワードの総当たりを続ければ暗号を復号して戻せる可能性はあるが果たしてそれまで文明が維持され続けているかどうか……。というようなことになったとすると、またややこしい。

アンドロメダ星雲へ旅立つ前のX氏の死が確定しているかどうかは、分からない。これは、一般的な行方不明と同じ扱いで良いだろう。記憶のバックアップを取ってから事故までのXは先ほどと同じように死んでいる。アンドロメダ星雲へ旅立った後、バックアップを取る前のXの生死は、遠い将来に暗号解除ができるかどうかに懸かっているので、それまでは確定しない。この場合、Xの個人の権利をどう扱うかについては、法的な取り決めが必要になりそうに思う。

いいなと思ったら応援しよう!