留学日記#11:スイス旅行(その1)ハイジを探して〜🇨🇭
お久しぶりです。アムステルダムに来てからもう早いもので4ヶ月半が経ちました。留学生活ももうすぐ終わりに近づいています。Noteも月1更新を目指していましたが、なんとかペースを守れているといった感じですね。
さて、昨日までスイスに旅行に行ってきたので、そのリポートを書きたいと思います。スイスというと、どんなイメージでしょうか。山に囲まれた国、永世中立国、国際連盟、物価の高い国、裕福な国、チーズとワイン。そんなところでしょうか。
今回は時間も限られているので、スイスの山々を鉄道でめぐる旅にしました。今回の挑戦は、「ヨーロッパの寝台列車に乗る」「ハイジに会いに行く」「スイス1周旅行!」の3つ。今回は0〜1日目、前半2つのお話。ということで、まずは0日目のことをお話ししようと思います。
アムステルダム→チューリッヒは寝台列車で!
まずはオランダからスイスまで移動します。行き方は大きく①飛行機、②Flixbus、③鉄道の三種類がありますが、今回は鉄道で。飛行機だと高いし、バスだと10何時間も座りっぱなしで疲れてしまうので、Nightjetという寝台列車に乗ることにしました。日本では寝台列車はもうほとんどなくなってしまって、今残っているのは東京・出雲市/高松間のサンライズ出雲・瀬戸号のみ。
その一方で、ヨーロッパでは寝台列車が復活しつつあります。その理由の1つは、環境問題への配慮からです。近年、飛行機の二酸化炭素排出量が問題になっており、近距離区間では電車やバスを使おうという気運が高まっています。寝台列車もその一環。夜の間に列車で移動できて、昼の列車よりも安く、しかもホテル代が浮く。今になってまた人気を博しています。
僕も小学校の頃から寝台列車は大好きで、上野→札幌の北斗星号、上野→青森のあけぼの号、東京→出雲市/高松のサンライズ号、そのほか座席のみの夜行列車では新宿→白馬のムーンライト信州、東京→大垣のムーンライトながらに乗ったことがあります。でも、この10年間で「サンライズ」以外は全て廃止になってしまいました。そこで、せっかくなのでヨーロッパで寝台列車に挑戦してみようというわけです。
この列車は寝台車・座席車にわかれていて、寝台車はCabin(個室)、Couchette(普通寝台)の2つ、座席車は1等車と2等車に分かれています。日本で言えば、Cabinが個室のA寝台、CouchetteはB寝台。私が今回乗ったのはCouchetteで、3段ベッドの1番下でした。これで1人€69.90(約9600円)。日本でサンライズの寝台に乗ると最低20,000円はかかるので,破格の値段ですね。
寝台列車に乗るといつも悩むのが、どのくらい寝るかどうか。「せっかく寝台列車に乗ってるんだから寝たらもったいないなぁ」と思う一方で、いやいや、「せっかく寝台列車に乗ってるんだから寝なきゃもったいないなぁ」とも。その間をとって、一度目覚めたら1時間くらいぼーっとすることにしています。今回も無事に(?)途中で目が覚めて、そのまま座席車両に移って1時間くらい真っ暗な車窓を眺めることにしました。
朝3時くらいに目が覚めました。列車の揺れとか、隣の線路を電車が走っていく音で目覚めるのも、なんとなくいいですよね。眠い目を擦りながら外を見ると、フランクフルト駅に停車中。あれっ、確かフランクフルトは2時過ぎに発車じゃなかったっけと思って車掌さんに聞いてみると、「ああ、今もう1時間半遅れてるね」と。「このまま行って、時間通りにチューリッヒに着くんですか?」「いやあ、無理だろうねえ」こちらの寝台列車は1〜2時間の遅れは当たり前のようです。日本だと、2時間遅れると全額払い戻しになるくらい時間に厳しいので、大きな違いですね。さすがヨーロッパ。
停車中とはいえ急に出発されても困るので、ホームに出るのではなく車内から列車と駅を撮影することに。よく見ると、電光掲示板には次の列車が表示されていて、チューリッヒ行きの夜行列車はもう出発したことになっています😅
その後もう一眠りして7時ごろ目覚めたら、いつの間にかスイスに入っていました。この寝台は簡単な朝食がつきます。ドイツによくある固い丸パンにジャムとバター、水、それからコーヒーか紅茶を選べます。個室に泊まっている人はもう少しオプションがあって、ハムやソーセージ、ヨーグルトなどを選ぶことができるようです。
約1時間少し遅れて9時半前にチューリッヒ中央駅に到着。結果的に長く乗れたし、1時間長く眠れたのでよしとしましょう。
チューリッヒからマイエンフェルトへ
チューリッヒでスイスに留学している友達と待ち合わせて、マイエンフェルトというスイス東部の街に向かいます。Intercity(急行列車)とRB(普通列車)を乗り継いで1時間半程度の短い旅です。
その「マイエンフェルト」という場所に何があるのか?ひょっとすると、ご存知の方もおられるかもしれません。
実は、ここは「アルプスの少女ハイジ」のモデルになった村がある場所なんです!いわゆる「ハイジの村」ってやつです!マイエンフェルトの駅からバスで15分、徒歩で30分のところにあります。今回はバスがちょうど行った後に着いたので、歩いていきました。当日の気温は27℃。さすがに暑い!
駅から結構時間をかけてきてしまったので、着いた時には閉村1時間前に。せっかく来たからお土産でも買おうと思ってお土産屋さんを覗いてみると、なんともいえぬクオリティに圧倒されました。
写真は撮れませんでしたが、実際にハイジの村の施設の中で羊や牛が飼育されていて、なんだかハイジの当時の時代にタイムスリップしたかのよう。静かな時間が流れていました。
その後は、近くにある原っぱを散策して、山を見たり、原っぱを走ってハイジになってみたり。「アルプスの少女ハイジ」が書かれたのは1800年代ということですが、ハイジのモデルになった少女はいつ頃の時代だったのでしょうか。ひょっとすると、もう少し古い、中世かそこらの時代のものだったのかもしれません。でも、ひょっとすると、この村から見える景色は当時も今も変わっていないのかもしれません。
自動車や電車、便利になって、変わっていくものはあるけれど、ここから見える山々、西陽に照らされて黄色く輝く畑、ぶどう畑、牛や羊についたベルのカランコロンという音、何年経っても、何百年経っても、変わらないものもある。今僕たちは、「今」の時代を生きながら、時間旅行をしているのかもしれないなぁ、そんなことを考えながら、村から見える山々や街並みを眺めていました。
その後は、陽が沈むまでのんびり周りを散歩して、駅に戻ってくると、西陽が差し込んでいました。太陽に照らされて明るくなった山肌、美しい黄色に輝く畑。その中を電車が、滑り込むようにやってきました。なんだかその風景が美しくて、30分くらい駅のホームで眺めていました。写真にも挑戦。DAZZカメラで撮るといい感じです。
ハイジになってみたい!
ところでみなさんは、ハイジのお話をご存じでしょうか?実は私もあまり詳しくは知らないまま行ったのですが笑。マイエンフェルトの近くの村に生まれ、幼い頃に両親を亡くしたハイジが、少し離れたアルムの山小屋のおんじのもとに預けられて、山の中で成長していくのですが、8歳の時に無理やりドイツのフランクフルトに連れて行かれてしまいます。そこで足が不自由なクララと出会うのですが、ハイジは生まれの村が恋しくなってしまいます。
電車も車もない時代。学校もスーパーマーケットもありません。太陽とともに目覚め、羊や牛と一緒に日中を過ごし、日の入りと共に床につく。食べ物は自給自足が基本で、飲み物は井戸から水を汲んでくる。学校に行って勉強をすることも、大都市の中で人に揉まれて過ごすこともありません。お友達は自然の中の植物や動物。いわば、今私たちが生きている「俗」な社会からは完全に隔絶された世界。
そこからある日突然、おばあさんに連れられて、フランクフルトという大都市に連れて行かれたとき、ハイジは何を思ったのでしょうか。「大都市」に、「文明」の街に、「俗」な社会にいきなり飛び込んで、あまりのストレスにハイジは夢遊病を起こしてしまうのでした。
僕らはどちらかといえば、間違いなくフランクフルトで育った側の人間でしょう。それで、都会は便利だ、なんでも手に入ると、お金を使ってあらゆるものを手に入れています。スマートフォンという素晴らしい発明品を手にして、世界中の人々と繋がって生きている気になっている。「自然」というものを超えて、超えた気になって、生きているのかもしれない。
でもその一方で、そんなものがなくても、生きていける人はいたし、今もいるんだということを、忘れてはいけないように思います。もちろん、今すぐに自給自足ができるとか、スマホを手放して、財産を捨てて隠居生活をしたいということではありません。そうではなく、私たちが日々感じている閉塞感というのは、こういった便利なものの中に生きているからなのかなぁ、なんて思ったりします。
私は今の生活全てに嫌気が差しているわけでは全くないのですが、ときどきスマホみたいなデバイスにストレスを感じることがあります。LINE(失礼、ヨーロッパではWhatsAppですね笑)やInstagram、Twitterを使って誰とでも繋がれるし、Google先生を使えばどんなことでもすぐに調べられる。それはそうなのですが、チャットアプリを使っていれば、毎日必ず誰かからメッセージが届く。Instagramを開けば、誰かの日常の一片が目に入ってくる。知りたくなくても、必要以上の情報が頭の中にばーっと入ってきます。
メッセージやメールは、放置すればするほど溜まっていきます。私はどちらかというとマメに、溜めずに返信する方ですが、時差の関係で、朝起きた時に50件ものメッセージが来ているのを見ると、いくら好きな人たちからのメッセージでもちょっと憂鬱になる時があります。今SNSで繋がっている人たちの中で、本当に繋がっている人たち、本当に心が通っている人たちというのは、どれくらいいるんだろうか。そんなことを考え出すと、このLINEでいろんな人とメッセージすることにどんな意味があるんだろう。そんなことを考えてしまいます。本当は、海外にいても気にかけて連絡してくれるのはとても嬉しいはずなのですが。なんだか、申し訳なくなりますね。
スイスに来てからというもの、そんな時に感じていた閉塞感というものから解放されていたような気がします。まず、スマホを見ている暇がなかった。目に映るもの全てが美しくて、スマホを見ている時間がもったいなかった。写真に収めることすらもったいなく思えました。撮ったところで、今自分が見ている景色には到底敵わないから。本当に美しいものに出会った時、人はそれを表現する術を失うのだと思います。
スイスの街並みは、確かに外国のそれなのですが、それと同時に「帰ってきた」という不思議な感覚に私たちを誘っていきます。なんだか、目に映る景色が、日本で見たそれに似ている。山梨、長野、北海道、それらを足してn倍(nは整数)した感じが、スイスの景色といった感じでしょうか。安心感があります。
話が逸れてしまいましたが、もしかしたらハイジも、いきなりマイエンフェルトの小さな村から、フランクフルトに連れて行かれて、戸惑ったのかもしれません。閉塞感を感じたのかもしれません。都会育ちなので想像の域は超えませんが、でもなんだか、あの子の気持ちがわかるような気がします。心のどこかで、こんな静かな場所で暮らしてみたい、という気持ちがあるからです。
もし自分がハイジだったら。山の中ではしゃいで、お友達といえばペーターと、羊や牛や虫。学校にも行かなくていいし、仕事を探す必要もない(目の前にある)。そんな生活をしていたらどうだっただろう。今僕たちが悩んでいるようなことって、ハイジにとっては本来無縁のことだったんじゃないかなぁ。僕らが生きてるこの世界って、なんなんだろうなぁ。そんなことを、答えの出ない問いを、村を歩きながら考えていました。
ともかく、間違いないことは、緑はやはり人間にとっての最大の癒しだということですね。アムステルダムに住んでいると、Netherlands(オランダ:低い土地)という名前なだけあってなかなか山を見ることがないので、久々にみる山々の景色は疲れた心を洗い流してくれます。イケメンとか可愛い子が1番の目の癒しになるという人は、ぜひその推しの人と一緒にここを訪れてみてください笑。どっちが癒しになるか。
そんなことを考えていたら、いつの間にか1日目は終了。この日はマイエンフェルトに一泊して、次の日はいよいよ鉄道で周遊旅行です。その模様はまた後日!
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