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抽象の音像化

抽象的な事をあれこれと考えるのが好きだ。

学生の頃、ポストロック的なバンドを組んでいた。
そのバンドでは四季をイメージした曲や、雨や光、風について曲を作った。抽象的なイメージを、バンドで音にしてみたい。基本はインストゥルメンタルの楽曲を中心としていわゆるポストロック的な音作りをしていたのだが、ポストロックが先か、「抽象的なことを音にしたい」と思ったのが先か、もうあまり覚えていないがとにかくそんなことをしていた。

社会人になった今、一人で気の向くままなんとなくギターを弾いて音楽を作っているが、言うなれば概念や感覚や感情といった抽象的なことをギターで音像にする作業、みたいなことだ。
ギターで遊ぶように音を出しながらコード進行やフレーズを弾いていくうちにそれが自分の中でなんかあの感覚に似てるな、、と気づいて、この感覚ってこんな音かもなあ、と弾き連ねていって構成されて曲のようになっていく。その逆もあって、頭の中にこんなイメージをこんな感じの音とリズムで表現したいなあというイメージがあってそれに近い音を弾きながら探していくこともある。

弾いているうちに一応曲としての体裁を気にしだすと録音しながら構成と展開や音作りを思考し始めて、ただそうなると、そこから結構迷路に入ることが多い。
やっぱりギターで遊ぶように自分のイメージや感覚にしたがって一気に弾いた音のまとまりが基本にあってあまりそれをいじくり回さない方が、すっきりする。

日々脳裏に浮かぶ残像という概念を音にする試行の中でこんな音ができた。これはもうただ音を録ってみた、だけに近い。こんな感じだなと思う音をエフェクターを通して鳴らしているうちに、ああなんかここまででいいなあ、というかたまりができた、みたいな感じ。

こんな感じで作った曲は、なんだかよくわからない掴みどころのない音になっている、と自分では感じている。簡単なような難解なような、気持ちいいような気持ち悪いような、そう、なんかよくわからん感じだ。僕自身の感覚に沿っていわば自分のために弾いているようなものだから、客観的に聴いた時にわかりにくいんだろうなあと思う。


先日、テレビをみていたらクロード・モネの特集がやっていて何となく観ていた。恥ずかしいくらい教養の無い僕はその時、「印象派」と言う芸術運動が、クロード・モネの「印象・日の出」に由来するということを初めて知った。
モネの絵画は当時「何が描いてあるか」わからない、「印象」しか残らない、と受け取られていたそうだ。

ぼんやりテレビを観ながら、僕は絵画のこともよくわからないし、印象派については結局テレビの解説もろくに覚えてやしないんだけど、自分が曲として名付けている音も、まあ客観的に聴くと「印象しか残らない」ものだろうなあと思った。


ぼんやりと印象しか残らないけどそこはイメージや音にしたい概念があって僕の感覚で確かに弾いている。それはうまくいえないけど、自分という存在を表しているようだなあと考えたりする。




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