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ラーメンアーカイブ来集軒⑥

~ 竹町来集軒が特別だった理由 ~

戦後この近辺には多くの中華料理店(街中華)やラーメン店が誕生したが、その中に戦前から連綿と続く歴史のある来集軒の系譜、しかも総本店の料理長という本流のお店があったことは、一部のファンを除いてはあまり知られることはなかった。

その竹町の来集軒は、他の来集軒にない特徴を備えていた。

~ 竹町来集軒のラーメン ~


ひとつはラーメンそのものだ。他の来集軒と違い、スープから魚介の香りが立ち上る。常三さんが釣り好きだったとおばあちゃん(常三さんの奥様)に聞いたことがあるが、その影響なのだろうか。おそらく総本店では提供していなかった独自の味をこのお店ではベースの味としていたのだ。東京ラーメンと呼ぶにはイメージより一回り太い力強い麺は確かに来集軒であることを感じさせるが、そこに戦後増えてきた魚介(煮干しなど)で豊かに香るスープを合わせ、現代にも通ずる普遍性を生み出していた。

かなり大きなのワンタンが乗るワンタンメン、特別な素材は乗らないがポーチドエッグが一味違うアクセントとなる五目そばやもやしそばも麺類では人気があった。


~ ソースチャーハン ~


そして、もうひとつのスペシャリテだったのがソースチャーハンである。日本でチャーハンといえば塩などでシンプルに味付けする中華料理らしいオーソドックスなものと、街中華などで見られる醤油(やラーメンのタレ)を加え茶色く染まるチャーハンとに二分されることが多い。また、その街中華に洋食の要素が入った中華洋食(軽食)のお店では、その調味料がケチャップになりチキンライスやオムライスを提供するところもあり、人気も高い。だがソースを使うお店はそう多くはない。

ただ、家庭ではソースチャーハンは結構普及していて、思い出の味だと語る人も多い。野菜由来の甘みと軽い酸味が炒められることによってより引き立ち、米にまとう。ネギは玉ねぎであることが多いく、ソースは中濃っぽいねっとりとした食感になるものを使うお店が多いように思うが、そういった意味では竹町の来集軒はまさに王道のソースチャーハンだった。

また、常三さんが亡くなってからのソースチャーハンは、必ず奥様であるおばあちゃんが鍋を振っていた。

「鍋を(あおるように)使えるのは私だけなのよ」

と語っていたことをよく覚えている。閉店になるまでずっと振り続け、メニューから消えることのなかったソースチャーハンはまさに竹町来集軒の名物であり、食べ手も作り手にも思い入れのある一品だったに違いない。

逆に来集軒の象徴であるシュウマイはメニューにはない。以前はあったそうだが、いつしかメニュー落ちした。手間がかかって大変だったから、と言っていたから、もしかしたら常三さんが亡くなった、もくしは、体力的にきつくなってきたところで止めてしまったのかもしれない。総本店料理長が残したレシピのシュウマイを一度は食べてみたかった。

戦後製麺所を含め、20以上に店舗が増えた来集軒。その中でも料理長のお店はきっと特別だったに違いない。地域に愛されるラーメン店というだけにおさまらない味自体が特別であった名店。現代から眺めるのではなく、過去から時を進めていくと、このお店の魅力が改めて浮き彫りになっていく。

すでに閉店してしまったことはただ寂しい限りだが、中途半端な形では続けることができない特別なお店であったことをこうして語り継いでいこうと思う。

つづく

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