ラーメンアーカイブ人形町大勝軒①
【『大勝軒』 名前のルーツに迫る】
~ 屋号継承の本質 ~
『大勝軒』
という大名跡。
この屋号はこれだけ人口に膾炙しているのに、その系譜はともかくルーツについて触れることはあまり多くない。庶民の文化というものはえてしてそういうものだ、と言われてしまえば反論の余地はない。だが、大勝軒、引いてはラーメンという文化が今も最前線で現在進行系であることを考えると、ある程度は整理をしておいたほうがいいのではないだろうか。
名前は大きくなれば、そこにお金が発生し、ブランディングの第一歩にもなりうる。正しい姿で継承されていくのではあればまったく問題はないし、それを多くのファンが望んでいるが、本質が変容していく様は見ていたくはないし、なにより、元々「美味しいものを食べたい人に提供する」という純粋なお店の気持ちと歴史そのものがねじれていくことがあるとすれば寂しいばかりだ。ただ商標をとれば勝ち、負けという世界線ではなく、偉大な名のもとにその時代々々の人々も尊敬の心が芽生えるような文化の継承を食文化の中で築くというのは、きっと食大国の日本の矜持になりうるだろう。
~ ラーメン店屋号の歴史 ~
一昔前のコントで、ラーメン屋の出前を電話で受けるお店場面があると、
「はい!こちら來々軒です!」
というセリフが使われていたことを記憶している人も多いだろう。来々軒とは、かつて日本のラーメン店発祥の店として語られ、その後日本のラーメンブームを起こしたお店と訂正された。
先のコントのエピソードは、それだけ「來々軒」がラーメン屋の屋号としてアイコン化していたことを端的に表しているが、その名前の由来自体は日式のラーメン屋であると意識され、つけられたものではない。いわゆる千客万来の意味を込めた中華(文化)の発想でつけられた名前であり、そのほうが南京街(現在の横浜中華街)などの中華料理が下地にあった当時は受け入れやすかったわけだ。
高級中華料理から、庶民的な中華料理に至るまで、「〜楼」「〜飯店」「〜房」「〜菜館」と名前のつくものから、龍、門、宮など漢字が入るものなどが非常にポピュラーだが、由来の多くは中華の発想である。
ただ、「〜軒」という屋号もよくみるが、これは日式で、もともとは洋食店につけられていたことが多かったという。それが、洋食店同様人気店になるように、また先の來々軒の大成功もあって、次々に「〜軒」が増えたとされる。現代でいえば、「麺屋武蔵」が1996年に創業して以降、「麺屋~」という名前が増えたのも同じような例と言えるだろう。ちなみに「來々軒」の商標は第二次世界大戦中に期限が切れ、その後またたく間に全国に來々軒という名の店が乱立したと言われている。その多くは修行経験や味の影響を受けたお店ではなく関係のないお店だったと思われる。
~ 大勝軒という名前の独自性 ~
だが、その中にあって大勝軒という屋号は、全体の響きこそ中華料理店然としているようにも思えるが、「〜軒」がつき、前半の「大勝」というのものも日式の表現だ。(中国の大勝は大胜という)
また地名でも人名にも由来せず、よくよく考えると、ただ、歴史の中で不思議に佇んでいる。その名が現代に渡って大きな影響力を持ち、何故人々の脳裏に焼き付いているのかを考えてみると、もしかしたら、他の中華料理・街中華然とした店名にはない、言葉の持つ魅力があったのかもしれないと想像を膨らます。
大勝軒という屋号は、誰がいつ、どういう経緯でつけられ、そして、流行していったのだろうか。その名前のルーツを知るためには、まず1912年創業の「人形町大勝軒」という最古の大勝軒を紐解く必要がある。