【麺彩房】~ 20周年ラーメン ~(2001年編①)
~ 麺彩房が教えてくれる「美味しい」の真実 ~
僕たちは食べ歩きを行うときの大義として「情報」や「知識」という甘い蜜を吸うことがある。その代償として、一定の、好みでもなく、また、クオリティも高くはないものを、食べることを受け入れている。食べ歩きをする人は、味とは別の満たされ方をときに志向したりする不思議な人種だ。
無論、それは決して一方的に悪いことではなく、そんな知的好奇心が次の良いものを生み出していくサイクルを、人は延々と繰り返しているわけだが、一方で麺彩房のような昔から愛される価値を見失いがちになる。温故知新という言葉には、これを諭す、昔からの知恵が詰まっているわけだ。
もし、あなたの、今日の食の目的が、こうした情報欲や好奇心ではなく、単純に「美味しいものが食べたい」のならば、麺彩房のような“探せばいたる所に本来ある”名品を訪ねると良いだろう。
~ 麺彩房の歴史 ~
麺彩房は、大成食品のアンテナショップとして2001年にその大成食品のすぐ近くに開店した。前身はタイチャンメンという名だったという地元の人の話も聞くが、確かな記録はない。直販店として楽麦舎を持ち、そのイメージキャラクターが「たいちゃん」であることから、そう呼ばれていたのかもしれない。
製麺所がその麺の良さを広く知ってもらう目的として、また、中華店部門としてお店を出すことはよくあることだ。古くは来集軒や珍來、児玉製麺所から生駒軒などがある。品質の良い麺を安価に提供する、というのはそもそもラーメンそのもののコンセプトにも符合し、理に適っている。
しかも、2001年といえば、96年組と呼ばれる「麺屋武蔵」、「青葉」、「くじら軒」などが興した新ラーメンブームの潮流と、東池袋大勝軒に影響を受けた、というよりファンだった店主のお店が次々と誕生したことで、もりそばが再度注目され、つけ麺のブームが起こり始めた時代だった。
つけ麺の魅力は様々な角度で語ることができるが、そのひとつが、麺の良さをダイレクトに感じることができることで、それは製麺所がもっともアピールできる(したい)部分である。そして、もうひとつは(比較的)お腹いっぱいにしてくれる、というものだ。また、そこも製麺所である特性を活かし、
を無料で選ぶことができる。つけめん(もりそば)の世に広げた山岸一雄さんが「お腹いっぱいになってもらう」ことをコンセプトとしたそのマインドは、こうしたところに影響を与えた。そして、またそれを食べ手が熱狂的に支持したからこそ、この後のつけ麺ブームがこのあと訪れることになるのだ。
また、大成食品は鳥居式らーめん塾を開講している。自身で得たノウハウを惜しげもなく、新規参入者に分け与える姿勢には余裕を感じるが、製麺所としての100年以上の歴史の余裕なのだろうか。時代に左右されず事業を継続するための知恵は、競争よりももっと大切なことなのかもしれない。
大成食品の歴史は、
である。1910年代は、1910年に來々軒、1912年人形町大勝軒など日式のラーメンを提供する店が次々に誕生し、また先の来集軒製麺所(1910年)や、生駒軒の前身である児玉製麺所(1917年)など多くの製麺所が誕生していた時期だ。言い換えれば、第一次ラーメンブームの一員であったのである。
ラーメン屋さんの良い香りがフワッと立ち込めた。鶏や豚の充満した匂いとも違う(それはそれでいいものだが)魚介も含めた清く混濁とした香り。そこに気のせいか麺が所狭しと積み上がるほの香りもしたような気がした。
魚介と豚骨や鶏の濃厚なスープを合わせた豚骨魚介というジャンルは、今後、六厘舎やとみ田といった当時の意欲的な若者によって大ブームを興していくことになるが、一部の優良店を除き、その多くは強い味と印象を与えるための仕掛けをしていった。しかし、その行き過ぎた飽和状態が、やがて飽きを生み、ブームとして消費されていってしまった。新しいお店(個人店から資本が入ったものまで)がほぼ豚骨魚介でつけ麺を売りとしていて、そんなお店に出会うと「またお前か」を略し、“またおま”系などと揶揄されるに至ると次第に話題にならなくなり、お客さんも離れ、お店は淘汰されていった。
そこで生き残ったお店は、やはり元々きちんと味作りを行った優良店だけである。流行り廃りを傍観しつつ、100年以上の事業を継続してきたノウハウは、実際こんなところでも生きたというわけだ。そして、そのメソッドは、麺彩房から出たお弟子さんにもしっかりと受け継がれていく。
・杏樹亭
・めんさいぼう五郎左
・びんぎり
・麺屋わおん
これらのお店の近況を改めて食べてみた。
~ 杏樹亭 ~
この杏樹亭のクオリティの高さはつけ麺という市場の中でも傑出している。杏樹亭が麺彩房から独立をしたのは2005年。もともと築地で仕事をしていたという主人が転身し麺彩房を経て出したお店だが、すでに17年が経ち、ラーメン店として風格さえ備えていた。
改めて話題になりにくいが、地元のお客さんに、クオリティの高さで愛されている店の強さは、移ろいやすい「話題」というマーケティングを圧倒的に凌駕する。この強さは麺彩房譲りであろう。
~ めんさいぼう五郎左 ~
麺彩房という進学校が生んだ異端。店内に所狭しと張り出されるポップは賑やかだが、味は実に落ち着いていて安定している。さながら学生時代に勉強をきちんとやった者が、道を外れるような余裕のあるアウトローっぷりがいい。2011年創業。
塩つけ麺。麻辣のタレが抜群の存在感をみせながら、根っこにある麺彩房を感じさせる。それを示すように客層も広い。良い店の証である。
~ びんぎり ~
2011年創業。大成食品の製麺士をやりながら、昼にこのお店を、という形で独立してすでに10年以上。店頭に大成食品の麺箱が置かれている。名刺代わりというやつかもしれない。
フラグシップは店主の地元、勝浦タンタン麺。刻まれたニラ、大量の玉ねぎなどは整然とし、麺もステンレス椀に入れられ待機している。これだけハードボイルドな辛さのラーメンだが、都度小鍋で丁寧に白湯スープと辛味をブレンドし仕立てられる。麻辣が軽やかに香り、油もしつこく絡んでこない。辛いが四川のそれに比べたら標準的である。麻辣麺の決定版というくらいに美味しい。
~ 麺屋わおん ~
2019年創業。麺彩房各店に10年従事したという。ラーメンを待つ間、厨房での作業工程を眺めていると、実にきびきびとしていて気持ちが良く、十分に時間に飽くことがない。すべてが丁寧で気がこもっている。
何ひとつ奇をてらっていない一杯。こういうお店が新人賞に名を連ねるというのは健全だと思う。個性を主張するのとやぶれかぶれなスタイルなのはまったく違うもの。安心感のある佳店だ。
~ 20年の強さ ~
麺彩房をプロフィールで語れば、2,3行で説明はついてしまう。しかし、この20年間、(支店の閉店などもあったが)ブレずに、お客さんを満たさんと、高いクオリティで久しぶりに食べたとしてもガッカリさせず提供してきた価値は、いちいちブームに湧き、それを消費する世の中では、とても尊い。それをお弟子さんにも伝播させ、成功させるモデルは理想的だ。
もし、食べ歩き行き詰まったり、迷ったりするならばこういう麺彩房のようなお店に立ち戻ってみると良いだろう。