【麺屋武蔵 二天】~ 20周年ラーメン ~(2002年編②)
~ 麺屋武蔵が提案した価値 ~
多くのラーメン好きがその登場に興奮した「麺屋武蔵」。1996年のことである。話題を提供し続けるというマーケティングは、職人気質で質実とした(イメージの)ラーメン界に華やかさをもたらし、新しい価値を提案した。
ただ、麺屋武蔵の味といって強烈な味の個性をパッと思い浮かべられる人は(今では)そう多くはないだろう。「青山(せいざん)時代の秋刀魚節だ」という当時からのラーメン好きは少なからずいるだろうが、1998年に新宿に移転し、ネットを含めたメディアへの露出と行列が正比例するように増え、混雑していくと、徐々に食べ手の印象が、味自体よりも個性や限定メニューなどの話題へとシフトチェンジしていき、次第に麺屋武蔵という看板自体がはるか先へと先行するようになった印象がある。
話題にのぼり続けるというのは難しい。これはどの分野であってもそうだ。流行りは、じきにフォロワーを生み、陳腐化され、淘汰される。常に話題であるために、常に新しくある必要はないのだが、味と同じくらい限定メニューや新しいコンセプトの店舗展開を売りとする麺屋武蔵にとっては、それはアイデンティティのようなものだろう。だが果たして20年以上も人気店であり続けることができたその要因は、その新しい提案にだけあったのだろうか?
麺屋武蔵の経営方針は飲食店の中でも独特なことで知られる。
ラーメン店をチェーン店やフランチャイズ展開するのではなく、極めて個人店に近い形でファンをつけ、話題を提供し続ける仕掛けを行う。飲食店としては異色だが、一般の企業として考えれば「新しい魅せ方を常に意識している=わくわくさせる企業」と置き換えることができ、そこに武蔵の強みがあったということだろうか。
~ 二天の特徴 ~
この二天はその麺屋武蔵の2号店として2002年9月1日池袋に誕生した。特徴は豚天(や玉天)が乗ることだったが、後に様々な揚げ物が乗ることと解釈を広げ、鶏天も乗るようになった。ただ、ある意味「革命的で上質」を追求することが社是となっている武蔵では、もっとも革命的な店舗だと言えるだろう。
2010年フルモデルチェンジ。先の経営方針にもあるように店長交代により、揚げ物を封印し、濃厚つけ麺の店へと大幅に変化した。しかし、この後はしばらく迷走し、メニューも二転三転し、結局この店舗での営業は2012年8月閉店となり、9月現在の場所へと移転をする。
~ つけ麺へのシフト ~
初代社長山田雄(たけし)さんのあとを継いだ矢都木二郎さんは、年間100食も坂戸にある丸長でつけ麺を食べていたほどのつけ麺マニアだったそうだが、その彼が二代目の代表に就任するとつけ麺色が各店舗強くなっていった印象がある。実際つけ麺の売上のシェアはラーメンを上回るという。
二天もその例に漏れず、現在券売機メニューでつけ麺が先にきている。麺量は無料で600gまで増量ができ、つけ麺のスープは濃厚とそうでないものの二種があり、濃厚がよりアピールされている。時代のニーズに合わせ、顧客が望んでいるものを提供する二天(武蔵)は、昼時、今でも若者を中心に多くのお客さんが訪れていた。実際に味も高いクオリティを保っている。つけ麺の生命線である麺の茹で加減、締め加減も素晴らしく、また丁寧に仕上げられている。これだけのグループになるとスタッフの質を一定にすることも非常に大変だろうと思われるが、店の雰囲気作りも含めて、高いレベルで達成されていて、そのことに感嘆した。
~ 麺屋武蔵グループ本当の強み ~
各店舗の個性を尊重するだけでなく、経営者が変わればその個性を前面に押し出せる度量があり、同時にそれが独りよがりにならず、常に顧客を見ながら求められる姿へと変化できる強さ。それはまさに正しい企業の姿である。話題を提供し続けることが麺屋武蔵のアイデンティティだと感じていたのは表層的な部分で、実はこの根底にあった「あるべき姿」が麺屋武蔵グループの本当の正体であると二天を通して知った。
「新しい魅せ方を常に意識している=わくわくさせる企業」というイメージは、「常に顧客に寄り添い、高いクオリティを提供することで=わくわくさせる企業」という本当の姿に書き換えられた。
二天はこの日(平日)の昼時、一度も空席が出ることがなく回っていた。20年前、麺屋武蔵が提示した話題に魅せられ、その後他の新しい話題へと目移りした最先端を追うフリークたちにとっては、ここしばらく視野に入っていなかった麺屋武蔵系列の店舗の活況は、意外な光景に映るかもしれない。ただ彼らは、20年間こうしたあるべき姿を提示し続け、また「革命的で上質」であることも決して忘れず、若者たちをワクワクさせ続けている。