【ajito(ism)】アーカイブ
~ 常に革命は異端者によってもたらされる ~
音楽の長い歴史の中において、ロックンロールは異端として始まった。しかし、次第に多くの人の心を捉え、やがてメインストリームへとなっていった、という変遷を辿る。当時異端には見えたかもしれないが、その時点で多くの人のコアに訴えかける力を備えていたのである。音楽としてはシンプルな構成だったが、シンプル故、いろいろな要素(クラシックやR&B、ジャズなど)を取り込みながら垣根を超えた魅力を発揮していった。そして、何より大切なことは若さの象徴である衝動性を捉え、同時にポップな大衆性を獲得していくところに最大の魅力があった。
例えばTHE BEATLES。
はじまりはジョン・レノンによるThe Quarry Menというスキッフル(洗濯板などの日用品などで音を出す)のグループが始まりであったが、次第にロックバンド化していく中でその後のメンバーと合流していく。原点の活動とされるのがドイツ・ハンブルグのパブでのショウである。メンバーが語っている通り、そこで1晩3回のステージで技術を鍛え、また酔った聴衆の関心を引くため、曲を長く、大きな音で“うるさい音楽”にしたと言われている。それが、当時甘いポップソング全盛の音楽シーンにセンセーショナルに登場していく下地となったというのは有名な話である。
その後Beatlesは音楽性を変容させていきながらも時代の最先端を生き、またそこに大衆性という武器を携えて世界中の人を魅了した。
~ ロックとラーメンとの類似性 ~
よくラーメンはロックに例えられる。若き衝動の受け皿として機能することが多く、また敷居の低いことや、直接的に感情を揺さぶるインパクトを持っていることなど共通点が多いからだろう。そして、様式的なものと拡散性を縦横無尽に行き来しながら、いろいろなジャンルの音楽(料理)と融合していく過程も良く似ている。
なかには音楽的に幼稚なものを含みながら、ごく一部の革命的な者によって飛躍的にクオリティを上げ、幅を広げてきたという意味でこの2者は非常によく似ていると思っている。
ラーメンのジャンルが他(の料理)に比べて格段の拡散性を持っているのは、その都度新しい価値を提案する者がいたからだ。古くは豚骨ラーメンのような白湯、背脂、魚介、手打ち麺などがそう。誰が始めたのか、という話は別として、最近では鶏白湯やベジポタ、強い煮干しスープや、あるいは二郎というものがイチジャンルとして認知しているのであれば、そういったものも、幅を押し広げる力となったに違いない。
ただ、そのいずれもが、出発の時点で異端であったという仮説は成り立つだろう。いつの時代も、「○○はこうであるべきだ」と主張する人は必ずいる。それが健全に機能する場合ももちろんがあるが、それは形骸化した概念を死守する目的ではなく、継続的で観念的な文化に向けられるべきものだと個人的に思う。Beatlesがただやかましいだけの若者の音楽、というだけで大人たちに潰されていたとしたら、人類の大きな損失である。
~ ラーメン界の異端児ajitoの登場 ~
前置きが長くなった。ラーメン界に彗星のように登場した「ajito(ism)」の話である。ajitoは2007年7月3日、大井町から少し離れたスナックの居抜き物件でスタートする。店名はこのときまだ「ajito」であった。店主は三浦康弘。
『既存店の味をお求めのお客様は、入店をご遠慮お願い致します』
自らが発信する「異端宣言」。それとは裏腹に、新しい価値や革命者の開拓に余念がない熱心なファンたちは、早くもこの異端に目をつけ、アンダーグラウンドの熱狂を生み出すことになる。その熱狂はネットを通じて拡散していき、ajitoは知る人ぞ知る佳店として認知されていく。
スタート時のメニューは(ajitoの)つけ麺のみ。だが、店はラーメン店である、と呼ばれることに抵抗していた。創作麺料理である、と謳っていたこともひそかに話題となった。
店主はイタリアン、フレンチ、和食店などで長年腕を振るった方だが、よくこうしたお店の場合、プライドが邪魔をして、どっちつかずのお店になることも多い。しかし、ajitoは違った。それは後に常連となっているお客さんたちが、ラーメンに通ずる“何か”を感じる、つまり、店主三浦の根底にある、確実にラーメン(やラーメンのような日常食)の魅力を捉えるセンスが、このつけ麺には備わっていたことに気付いたのだった。皮肉にもラーメン屋と呼ばれたくないという表明とは裏腹に、熱いラーメン好きの熱狂を生んでしまったのである。
~ ベジポタスープの衝撃 ~
そして、もうひとつ。ベジポタと呼ばれることになる「大根、ニンジン、玉ねぎ、セロリ、トマト、にんにく、生姜など野菜と背脂、鶏ガラ、魚介出汁をブレンドした」スープの斬新さだ。こうした野菜を煮込みとろみをつけたスープはajitoがパイオニアではないが、こういったスープをもっとも上手く活用し、自分のものとして魅力的に売り、世間に認知させたのは間違いなくajitoであっただろう。単に素材・技術としての活用というよりは、店主のキャリアから生み出されたイメージの産物だった。
ajitoはこの後、様々な新しいメニューを生み出していくことになる。また、多種な人たちが訪れるようになり、味を洗練させていくことになるが、このajitoのつけ麺だけは閉店に至るまで大きな変更を加えることなく普遍のメニューとして残り続けた。15周年記念で提供されたのもこの原点の味だった。それだけ店主もファンも思い入れのあるメニューだと言えるだろう。
~ ajitoのルーツ ~
店主三浦さんの経歴を窺い知るものはあまりないが、御本人がもっていた雑誌の切り抜きが残されていた。神宮前にあった「ラフロール」というお店のものだ。早朝から深夜まで営業したお店。
メニューは常に三浦シェフのひらめきから生まれていたという。トラットリアであり、カフェ的でもあったのかもしれない。このカフェ飯的というポイントが後にajitoの「ジャンクなのにポップな着地」として開花することになる。
~ ajitoからajitoismへ ~
ajitoは2013年5月11日旧店舗よりほど近い場所に移転を果たす。半地下の物件でガレージロックのようなロック的なカッコよさがある箱だった。店名にismをつけ、半分地下から抜け出したのだ、というメッセージを込めた。
すると、ほどなくして客層が変わってくる。女性の一人客もポツポツと見えだし、次第のその層は広がっていく。気付いたら、カウンター全員がピザソバだったり、締めのリゾットを戸惑いながら注文している光景が当たり前となった。飲食店として当たり前の光景かもしれないが、あのヒリヒリとした空間に慣れた常連客も含め、お店が一番戸惑っているように思えた。もちろん、良い意味で。
そうなった理由は、前述の通り、異端のようにみえて、ジャンクでポップな多くの人のコアに訴えかける力を備えていたからであるが、奥様がカウンターの内と外を繋ぎ、気遣いを振りまき続けたおかげでもあるだろう。バンドいえば、名マネージャーである。
~ 多彩なメニュー ~
また、多彩なメニューの創作は引き出しとして確実にajitoに引き継がれ、初期には多くの(お遊び的なものも含めた)限定メニューが生み出された。その一部を紹介しよう。
一時夏場は、暑さを理由に『cowboy from hell』というブランドとして、ハヤシライスの店になったりしたこともあった。
〜 ロッソがひとつの分岐点 〜
この中で、後に準レギュラーとして残ったものはいくつかあるが、大きな転換となったのはロッソである。
トマトを使ったラーメンというのは、その旨味の相性の良さから現在はよく見かけることもあるのだが、2007年当時はまだ珍しかった。もとからあったベジポタスープにトマトペーストを加えたものだが、今となっては当然ハマるだろうと思えたこのメニューも当時は“異端”であったのかもしれない。
ajitoismへと移転後、限定メニューはイレギュラーメニューとして、いくつかの準レギュラーメニューが順繰りと登場するようになった。特に事前告知はされず、「限定とは狙うものはなく、出会うものである」と言わんばかりに当日店に行ってみて知るスタイルであった。情報にまみれた現代社会に驚きや新鮮味を与えてくれる演出だった、といってはおおげさだろうか。
~ 名作ピザソバの誕生 ~
このロッソは、またたく間に評判となり、さらに、このメニューがきっかけで名作ピザソバが誕生することになる。pizza of ajito と題された遊び心とロック魂が宿ったメニューが後年ajitoを代表する名作となる。
ラーメン屋ではなく、創作麺料理である、と公言していたajitoの、真の創作性はこのピザソバによってもたらされ、またこれ以降のメニューは劇的にオリジナル感が増していった。ピザソバは言ってみればロッソの汁なし版であるが、ラーメン的なジャンクな力強さと俗なピザの魅力がほどよく中和し、また、盛り付けもポップで典型的なラーメンには足りない彩りを与え、客層の幅を押し広げることになる。
ピザソバは、フォロワーを生み、いくつかのお店で真似たメニューが登場した(アメリカにもあるらしい)。ただ、残ったものはあまりない。これだけ人気の商品であるのに、だ。後に「ajito ism shinjuku base」というレシピを受け継いだお店ができたが、本店の熱狂には及ばないまま閉店してしまった。
~ ajitoがオリジナルであり続ける理由 ~
その理由は、それぞれにあるだろう。ただ、ajitoが持っていた強みから逆算すると、多岐にわたる料理への造詣の深さと愛情とハードさとポップさを中和していくイメージを持っているかどうか、つまりセンスが備わっているかどうかだろう。それはラーメンらしさへの理解や愛情にも表れる。
三浦さんが好きなラーメンを語るとき、聞いているとポイントが2つがあるように思う。ひとつは好きなお店のタイプ。名が挙がるお店は老舗や街中華が多い。よりラーメンの原点に近い魅力に気付いているのである。そして、もうひとつは「お腹いっぱいになる」こと。三浦さんは自分の店に設けたハードルを、このふたつに設定していたに違いない。
それを裏付けるエピソードがある。奥様と店に立っていた三浦さんは、営業日のご飯は、自身の店のメニュー単価以下のものしか食べないというルールがあるという。様々な理由はあるが、お客さんがどうやって同じ金額で満足に至るのかを知るため、ではないか。飲食店は、美味しいものを作ってさえいればお客さんが来るというものではない。食を通した体験で満足するかどうかである。その要素のひとつは金額でもある。限られた金額の中、どう舌と胃を満たすのか。それを自らに問い続けたとも言える。
~ 2022年12月15日閉店 ~
12月15日に閉店します、と宣言したのは半年以上前の話。11月も暮れに差し掛かるとアジトという“非合法地下組織の隠れ家”は連日行列となった。また閉店まで最終の3日間は、何度も食べたことがある人のみの営業となった。やろうと思えば招待制にもできただろうが、そうせず、門戸をある程度広げたところに(三浦さんらしい)ニヒルながら、どこか最後を惜しむ気持ちが滲んでいたように思った。
~ 店名の秘密とそこに込められた想い ~
その最後の営業日に店名の由来を聞いた。なんとなく、アジトという言葉の響きと意味がニヒリズムを貫く三浦さんの好みだったのかな、と勝手に思っていたが、答えはまったく違っていた。
人生でもっとも辛く、大変だった時期に、心の拠り所になったのが『ケロロ軍曹』だったという。その中のチビケロの舞台になったのが「アジト」という秘密基地なのだ。それがイメージだったという。
また、その時期に三浦さんはパニック障害を発症している(三浦さんご本人から許可を得て書くことにした)。ajitoのスタイルは、それまでのキャリアとこの人生のすり減った時期を経て生まれた希望であった。ケロロ軍曹に出会い、再出発をするのに小さな店が相応しかったのだ。
スナックの居抜きで始めたajitoは、移転後、ガレージのような半地下の店舗で人口に膾炙した。それはもうガレージの域を超えたホールクラスの認知度と人気だった。
ajito(ism)は2022年12月15日で閉店した。開店当初、85%がマニアで顔見知りの営業だったお店が、閉店間際には85%が知らない顔で行列を為していた。業界の異端は、メインストリームとして、多くの人が求めるお店となったのだ。
~ 希望と苦闘の歴史 ~
それは三浦さんも大好きなロック自身の歴史と同じように、多くの人が知るところになり愛されるようになったということだ。ロックの名曲が学校の教科書に登場するように、ベジポタのつけ麺やピザソバがラーメンの教科書に載っているといっても過言ではない。ラーメン情報の権威、雑誌『Tokyo Ramen of the Year(TRY)』のまぜそば部門で5連覇を果たし殿堂入りをしたのもその一端である。
ただ、それはパニック障害という不安を抱きながら人気店となるという、矛盾を抱えていたという事実も改めて知っておきたい。15年という営業期間は希望と戦いの歴史である。
アジトは非公然組織一般による地下司令部や潜窟、地下組織の宣伝司令部という意味である。非合法組織の隠れ家としての“アジト”は、味とアティテュードの正統性により、表舞台へと引き上げられた。それは“アジト”としての役割の終焉を意味し、同時に15年続いた葛藤からの解放となった。また新たな希望へと向かって。
さらば我が青春のajito
stay hungry
stay foolish