映画で学ぶフランス語
今年度の日本獣医生命科学大学での社会人講座(2023.6/20~8/29)は、数年ぶりの「映画で学ぶフランス語」をやることにして、久々に『シェルブールの雨傘』(Les Parapluies de Cherbourg、1964)を取り上げた。この作品は私のフランス語学習の原点ともいえる作品で、映画館のみならず、ビデオ、DVDでの鑑賞回数をトータルしたら一体何回になるのか見当もつかないほど繰り返し見ては、見るたびに新たな発見をしてきた。音源だけに限っても、サウンドトラックで何度も何度も、凡そ全ての台詞を諳んじることが出来るほど繰り返し聴いてきた作品である。
この作品が何故フランス語学習に適しているかというと、一つにはミュージカル映画という作品の形態によるところが大きい。普通に「台詞を喋る」芝居では、その脚本が数百ページにも及び、1時間半程度の作品でも読み切るのにかなりの時間を要することになる。尚且つ昨今の映画では現代を舞台にしている場合、日常会話の中に氾濫する俗語表現(スラング)が多用されており、余り教育的とは言えないものも多い。それに対してこの作品では全ての台詞が歌にして歌われるオペレッタ形式を採っているため、通常の芝居よりも台詞の絶対量が少なく、尚且つ俗語表現の過剰な使用が抑制されているので、フランス語の口語表現を知るのに役に立つ台詞が様々に散りばめられているのである。本作の監督であるジャック・ドゥミ(Jacques Demy,1931~1990)は、歌を口ずさみながら仕事をする両親を見て育った。そのことが彼をミュージカル映画へと大きく惹きつけたことは想像に難くないし、彼の死後に妻のアニェス・ヴァルダ(Agnès Varda, 1928~2019)が撮った『ジャック・ドゥミの少年期』(Jacquot de Nantes、1991)にも少年時代のジャックが両親の歌に耳を傾けたり一緒に口ずさんでいるシーンが登場している。
そしてこの作品には、ミュージカルの生命線である音楽の確固たる存在がある。フランス映画音楽の巨匠で数年前に天寿を全うしたミッシェル・ルグラン(Michel Legrand, 1932~2019)の美しい旋律が作品全編に渡って流れ、そのメロディと台詞が一体となって耳に入ってくるのだ。
ルグランは元々ジャズピアニストなので、彼の楽曲はクラッシック音楽をベースにした映画音楽とは一線を画している。この作品でもリリカルなメインテーマによるタイトルバックが終了すると、いきなりビッグバンドジャズの軽快な演奏に切り替わり、一気に作品に引き込まれる。静かな場面でも4ビートを前面に出して、ジャズの技法を取り入れたシーンがいくつも出てきたり、ルグランの実姉がメンバーのスウィングルシンガーズが、様々な役の歌の吹き替えを行っていたりする。そうこの映画では画面に登場する役者が歌っているのではなく、プロの歌手たちが吹き替えているのである。因みにこの作品で主役のジュヌヴィエーヴを演じているのは、今やフランス映画界の重鎮となったカトリーヌ・ドヌーヴなのだが、ドヌーヴ自身は決して歌が上手ではない。映画の中でドヌーヴのパートを歌っているのは、「スキャットの女王」と呼ばれたダニエル・リカーリである。
こうして、ミュージカルに傾倒する監督がシナリオを書き、多様な音楽ジャンルに精通した作曲家がメロディを紡ぎ、プロの歌手たちのテクニカルな歌声によって構成された本作は、アメリカのブロードウェイミュージカルとは、また一味違う「フランス的」なミュージカル映画の傑作と成り得たのである。
この大学の公開講座では比較的受講希望者の年齢が総じて高く、仕事の為に、資格取得の為にという差し迫った動機でフランス語を学ぼうという人より、楽しんで学びたいとか純粋に教養を高めたいという方が多く、そうした方々にこの教材は打って付けだと考え教材として選択した次第である。過去にも大学の専門科目の授業でこの映画を教材として採用したこともあったし、他大学の社会人講座でも何度か使用した。その都度改めて作品を見直し、音源を聴き直し、シナリオを読み直すたびに新たな発見がある。この機会に稿を改めて、今回自分なりに気が付いたことなどを少しずつ書き留めていこうと思う。