和泉宏隆君のこと
坂本龍一さんの訃報に接し、同時代のミュージシャンの早逝に言語化出来ない悲しみを感じています。私がフランス留学中に、全世界で封切られた大島渚監督作品「戦場のメリークリスマス」を見に何度もLyonの映画館に足を運んだことが昨日のことのように思い起こされます。今にして思えば、あれは映画を見に行ったというよりも、坂本龍一さんのテーマ音楽を聴きに行くために何度も映画館に通ったのだと思っています。それだけあのリフレインと、ガムランチックな旋律には中毒性があったなぁと思います。
そしてミュージシャン繋がりでもう一人…今月は私の幼馴染であるピアニスト和泉宏隆君が早逝した月でもあります。あれからもう2年…いまだに彼の死を現実として受け止められていません。
和泉君とは幼稚園で一緒でした。割と仲の良い方で、いつも一緒に遊んでいた記憶があります。(写真右が和泉宏隆君、左が私)別々の小学校に行ってからは音信が途絶えてしまいましたが、大人になってT-SQUAREで世に知られた時は「あ、ひろたか君だ」とすぐ判りました。その時は遠くから活躍振りを拝見しているだけでしたが、SNSを始めて彼の名前を見つけた時、意を決して連絡を取りました。「俺のことなんか覚えているだろうか?」とも思い少し躊躇いましたが、彼からの返信は「貴兄のことよぉおく覚えております。近々にお目にかかれれば嬉しゅうござんす」といった、少し照れてふざけたような文面で彼らしいなと思ったものでした。
それからほぼ時を経ずに、彼の率いるトリオThe Water Colorsのライブが催される目黒の東京倶楽部に赴き、約半世紀ぶりの再会を果たしました。ライブ会場に入って名乗るまでもなく、ひろたか君は満面の笑みで真っ直ぐ私の許に近付いてきて両手で握手を求めてくれました。それは幼稚園の時と変わらない、ひろたか君の柔らかな表情そのものでした。
ライブ終演後に半世紀振りの思い出話を交わしました。ひろたか君と私は母親同士が同じ女学校(東京府立第三高女、現在の都立駒場高校)の先輩後輩関係だったことや、ひろたか君の幼稚園時代の数々の悪行(?)についてや、共通の知人の話などで盛り上がり、暫し時を忘れて歓談できたことを今でも時々思い返しています。その後、吉祥寺でのピアノソロライブで、彼のアルバムを購入してジャケットにサインをして貰ったのが最後になってしまいました。
幼稚園の時からピアノが上手だったひろたか君、悪戯が好きでよく女の子を泣かしては先生に怒られていたひろたか君、50年以上経っても僕の子供の頃の事を良く覚えていてくれたひろたか君、ありがとう。君の楽曲と演奏は君の人柄そのままに、美しく温かくいつまでも僕たちの心の中に残るでしょう。そして4月を迎えるたびに、きっと君のことを思い出して、大好きな「Forgotten Saga」を繰り返し聞くことでしょう。またいつか再会するその時まで、暫しさようなら。R.I.P.
https://www.youtube.com/watch?v=7as_yYvGqOw