「アンチこそが黒い羊」に見るダイバーシティ(2019.11.24)

以下は2019年11月24日に旧アカウントに登録したものです。

「正直欅坂46はもうダメだ」ブログが話題になっている中で、ケヤオタ界のダイバーシティについて考えてしまったので、備忘録的に書いてみました。
とても狭い私の頭の中だけの考えですので、強引なこじつけや飛躍等もあると思います。もし全て読まれた方がいらっしゃればご意見などもいただければと思います。

鳥居坂46という乃木坂の妹分アイドルとして集められてデビューした欅坂。
デビュー当時の欅坂を支えたのは、いわゆるアイドルオタクの方たちでした。

私自身もアイドルオタクと言っても良いと思いますが、基本的には、クラシックからミュージカル、仏像、能まで芸術が大好きで、かつこれまでに無い新しいもの、カッコいいものも大好きなのです。
当時の私は、初期AKB、初期乃木坂の進化のスピードが落ちてきて興味を失っていたので、鳥居坂募集には大いに期待していました。

デビュー曲のサイレントマジョリティでは、アイドルオタクでは無い人たちも数多く引きつけ、笑わないアイドルとしても話題になりました。
2ndの世界には愛しかない、3rdの二人セゾンはアイドル路線に回帰したものの、4th不協和音以降は一気に既存アイドル路線とは違う唯一無二のものへと進化していき、これまで女性アイドルグループに興味が無かった中高年や女性などを含めて、幅広い層を虜にしてきました。

今では、人に寄り添う歌詞・曲・そしてそれを伝えるということにグループとして全力傾けるパフォーマンスで、女性アイドルグループでありながら、カワイイでは無くカッコイイという評価を受ける「欅坂46」という全く新しいジャンルを確立したと思っています。
私自身もサイマジョで受けた衝撃が不協和音で激しくなって、めちゃくちゃのめり込んでしまって現在に至るという経緯があります。

そうした中で、自らの価値観と合わなくなって去っていく人が出るのは当然ですし、期待値と違ったことに対して文句を言いたくなる気持ちもわかります。だって、女性アイドルグループとして、AKBの公式ライバルである乃木坂の妹分として期待させたのですから。
彼らの視点や価値観からすれば、当然の批判であり、彼らの側に立てば言っていることは一々まともなのかもしれません。
ですから、私は彼らのことを単なるアンチとは違うと捉えています。

今の欅坂のファンには、大きく二つの層があるように思います。
一つは、欅坂(特にセンターである平手友梨奈)への無償の愛を注ぐ層。
もう一つは、欅坂の唯一無二のパフォーマンスを楽しみにしている層です。
ただ、これら二つの層は別々に存在しているわけではなく、下の図のように重なりあって存在しているように思います。
一方のアンチと言われる人々についても、単なるアンチと現状の欅には批判的な層があると思います。

ケヤオタ図2

①は唯一無二の欅の楽曲やパフォーマンスが大好きな層です。パフォーマンス以外はあまり関心が無い層です。
②は欅に無償の愛情を注ぎ、やること全てが受け入れられる層です。俗に信者といわれる人や、ガチ恋の人も含まれます。もちろんパフォーマンスも大好きです。
③はパフォーマンスもそれ以外の活動もまんべんなく好きなだけど、信者とまでは行かない層です。大多数のオタクはこの層かもしれません。①②に比べるとサイレントマジョリティのように感じています。
④は欅は好きなんだけど、最近のパフォーマンスがイマイチだとか、自分の推しが目立たないとか、もう少しアイドルらしくして欲しい等様々な理由で現状には批判的な層です。批判的な声を上げたために、ファンなんだけどアンチと言われている層です。

昨今、話題になっている「正直欅坂46はもうダメだ」ブログに書かれてる内容は、②や③の層にとっては受け入れがたい批判ですが、①の層の人は、常に素晴らしいパフォーマンスを期待していますから、うなづける面もあるわけです。

私自身は、①に近い③ですので、ライブによっては不満もあるわけです。例えば、真っ白全ツ神戸なんて平手が出なくなってガタガタで見るに耐えませんでしたし、全ツ2018の神戸も「えっ欅ってこんなもん?」って思って当時のFFさんと「今日ちょっとひどかったね」と会話したものです。
一方で、全ツ2018幕張千秋楽では二度と見れないとんでもないガラスを見せてもらったし、転落後に一切動揺無くやり遂げたメンバーには感動を覚えました。平手不在でも2ndアニラや2019全ツはとても素晴らしかったし、平手が復帰した武道館の羊やドームは涙を流して見たものです。

例のブログについて、大半の人は悪口と捉えて(事実そういう部分が大半ですが)非難していましたが、私は当時の欅坂は進歩が見られないという部分には共感しました。
唯一無二のものを作り出してきた欅にはお手本がありません。常に自ら進化し続けるしか無いのです。従来のアイドルなら同じパフォーマンスをやって時々サプライズや新曲を出すことで変化をつければよかったのですが、欅に期待している①の層はそれだけでは物足りないのだと思います。
私自身も、3rdアニラ大阪はマンネリを感じましたし、武道館も千秋楽の羊が無かったら感じたかもしれません。
もちろん、その後の全ツやドームで「とんでもないもの」を見せてもらってそんな考えは吹き飛んだのですが。

思い出したら熱くなって書きすぎましたが、これまで欅のファンには健全な多様性があると感じていました。
ただ、今回の「正直欅坂46はもうダメだ」ブログについては、感情的に排斥するようなツイートが多くあり、全て受け入れなければファンじゃないから去れ!みたいなものが多くのイイネを集めたりしていました。

「私も考え方違うからファンやめなきゃいけないのか?いや、欅大好きだから絶対やめないよ!」

今の、グローバルに競争していく環境において、日本の社会が成長していくためにとても重要なものの一つが「ダイバーシティ」です。
ダイバーシティというと、男女比や国籍、LGBT等のセクシャリティなどの形式的な面を意識しがちですが、本質は「多様なものの見方」であると思っています。
例えば、「ペンライト」を見た時に、ケヤオタなら欅坂の応援グッズと見る人が大多数だと思いますが、交通誘導の道具と見る人、新型の照明と見る人、斬新な光るオブジェと見る人がいるかもしれません。
要するに、一つのものの見方だけではなく、様々なものの見方があるということを理解して、それを活かすことが重要なのです。

特に、SNS上では自分と同じ考えの人が集まりやすく、違う意見は見なくなるため認知バイアスにかかりやすいようにも思います。

欅坂という唯一無二の新しいジャンルに対して様々な見方があるのは当然ですし、好きな部分が違うのもまた当然。過激な悪口は見たくもないけど、健全な批判を見たら一度考えてみるのも良いかもしれません。

感情的に難しいのかもしれませんが、多様なファンが健全な形で共存し、「黒い羊」を受け入れずとも排斥しないケヤオタの世界であって欲しいと願います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?