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61枚目 佐野元春「SOMEDAY」(1982年)/40周年によせて。「Rock & Roll Night」はストリートのゴスペルである


佐野元春さんは昨年デビュー40周年でした。今年になってからも29枚組ボックスが出たりして、その流れでコマラジで放送してる「Japanese Rock 80's」のラジオでもプリティ・フラミンゴス特集をやったわけですが。

実はそれに先駆けて、その29枚組ボックスについてレコード・コレクターズ誌で書きました。その中でいろいろ好き勝手書きましてですねw 例えば、『No Damage』は早すぎた渋谷系だとか、『THE BARN』は裏『Cafe Bohemia』だとか。
いい加減なこと書いてんじゃねーって熱心なファンに怒られそうで怖いんですがw



そして、「Rock & Roll Night」はストリートのゴスペルだって書いたんです。それについてもう少し書いておこうかなと。

この曲の歌い出しはこうです。

<たどりつくといつもそこには川が横たわっている/それはいつか幼い頃どこかで見たことのある川なのさ>

川というものはいろいろなものを象徴して使われます。
例えば、川を越えるといえば、目の前立ちはだかるものを越えるというような意味で使われることが多いですし、川の流れを人生に例える場合もあるでしょう。

でも、ここでは川は"たどりつくと横たわっている"んです。それはどういう意味なのか。それはそこが人生の転換点や分岐点であり、小さな終着点や戻ってくるべき場所だということです。
そういう場面に行き着いた時、人はどんなことをするのか。
そう、祈るんです。
つまり、川を聖なるものに見立て、祈りを捧げる場所だということです。

キリスト教では、洗礼を受けるときに川に入ります。
そこから、川は自分を見つめ直す場所、魂を洗い流す場所、神がいる場所というような暗喩を含んでいるようなところがあります。

アル・グリーンの有名な曲、「Take Me To The River」の歌詞はこうです。



Take Me To The River

And Wash Me Down

Won’t You Cleanse My Soul

ブルース・スプリングスティーンの「THE RIVER」は、若くして彼女を妊娠させ結婚した田舎のカップルの話。男は職を得るがすぐに不況がやってくる。その物語の中に川で泳ぐシーンが挿入される。そして、最後はその川は干上がってしまう。つまり、それは過去を洗い流し誓いを立てるが、いつかその気持ちを反故にしてしまう。その暗喩に聞こえます。

「Rock & Roll Night」でも、この川のイメージが物語の背後に"横たわって"いるのです。だから、<彼女は傷ついた小鳥のようにここを訪れ><同じ夜明けを迎え>た。つまり、今までの自分を洗い流し、また新しく始めたわけです。

その後は街の風景をカットアップ的に1シーンずつ抜き出して描いていくのですが、その短い描写から、その背景にある物語までを想起させて、様々な人の営みを描いてしまうそのセンスは圧倒的です。

<ルーズにみじめに汚れた世界の窓の外で/すべてのギヴ&テークのゲームにさよならするのさ>

そんな街の中でうす汚れ、夢を見失った主人公は、ここで過去とさよならして理想を取り戻すんだと誓いを立てます。

つまり、冒頭の”彼女”と重なっているわけです。
夢を叶えるために走り回ったストリートは、川と同じ神聖な意味を持つことになります。

歌の後半で、<街路樹に車を止めて/静まりかえった闇の中に息をひそめていると/世界中でたったひとりだけ取り残された気がして/楽しかった思い出が心を通り過ぎていく>のは、まさにここで過去を切り捨てて生まれ変わろうとしている瞬間です。
<静まりかえった闇の中に息をひそめている>のは、川の中に自分を浸しているのと同じですね。”真夜中に清めて"いるわけです。

では、なぜそれが「Rock & Roll Night」なのか。
この曲の中に、音楽的な意味でのロックンロールを示唆するようなものは出てきません。
ここでいうロックンロールとは、ある種の生き様のようなものだと思います。

ヘンな例えですが、昔のツッパリ(ヤンキーとか言うようになる前)や暴走族たちは、その生き様を"ロックンロール”に例えました。言い換えるなら、ケジメをつけて落とし前をつけながら生きること。例えば、クールスの掟や、横浜銀蝿のオリコン1位と武道館満杯が叶わなかったらスッパリ辞めるという宣言はそういったものの表れでしょう。
また、彼らの音楽的ルーツは、50〜60年代のロックンロールであり、アメリカン・グラフィティ。要するに、シャ・ナ・ナです。そのリーゼントとパーティ・ライフの裏に隠れた人生哲学も込みでロックンロールと呼んだのだと思います。

バディ・ホリーを敬愛しているであろう元春にも、ビートのスピリットと共に、こういったロックンロールの血が流れていてもおかしくはありません。
『SOMEDAY』が売れて、ここからというときにニューヨークに行ってしまったのも、『SOMEDAY』を1つの到達点と捉えた上での、自分の中のケジメという意味もあったはずです。



<Rock & Roll Night/今夜こそ/Rock & Roll Night/たどり着きたい>



辿り着く場所は、”結論”ではなく、 “決意”だと思うんですね。
つまり、自分の中の答えを出す、という決意です。
それはある種の決意であり、生き様を決めること。
だから”Rock & Roll Night”なんです。

もちろん、このたどり着くにはダブルミーニングで、純粋に目指す場所という意味もあるでしょう。


さらにもう1つ、<たどり着き”たい”>という願望でもあるんです。
それはある種の”祈り”でもあるように僕には思えます。
だから、僕はこの歌は”ストリートのゴスペル”だと言ったのです。
街の風景として歌われていたのは、ストリートにこだまする祈りだったわけです。
そうやって書いていくと、<瓦礫の中のGolden Ring>とは何のことなのかわかるはずです。



この曲には歌が終わった後に、2分にも及ぶ静かな後奏があります。
これは静まった町の風景を描いているのだと思います。
ストリートを駆け抜けた魂を鎮めなくてはこの曲は終われない。
だから、時間をかけて静かに終わっていくのです。



ところで、最初のところで渋谷系というワードを使いました。
実は、90年代にも街の風景と人の営みを描いたゴスペルがあるのです。

それは、小沢健二の「天使たちのシーン」です。

時代が違うので表現は違いますが、カットアップ的な手法で人々を描き、そして同じテーマを歌う。
それは”約束”です。
元春は世界への約束を歌ったが、オザケンは人と人をつなぐもの=約束を<生まれて育ってくサークル><緩やかな止まらないルール>という言葉で表現して見せた。
ちなみに、オザケンも神を<太陽が近づいてきてる>と表現していますが、これは畏れというよりも祝福の象徴として使われているように思います。



それにしてもこの純粋さ。そしてロマンティシズム。
誰もがすれっからしてしまったいまの時代には、どちらも口に出すには勇気が要る。
元春さんはそういうものを40年間も変わらずに持ち続けている数少ない人なんだと思う。

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