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Etude (18)「時間の力」

[執筆日 : 令和3年3月27日]

 老子という人は、生没年不詳で、実際存在した人であるのかよく分からないのですが、「道徳経」(これを「老子」という)を著し、「論語」では孔子に礼の道を悟る賢人としても登場します。「道徳経」は、「無為にして為さざるなし」という道家の思想綱領がほど尽くされている書として、後代に対する影響が大きい書であると、ブリタニカ国際百科辞典に説明があります。
 しかしながら、老子が実在した人間であったというよりも、老子のような人生観を持っていた人間が中国にはそれなりに多くいたということなのだと思います。そうした人の思想の根底にあったのが「道」です。加島祥造(1923-2015)さんは名著と思える「引用句辞典の話」(講談社学術文庫)の著者でもあり、英文学系の学者で、詩人でもありましたが、老子に関する著書も多く、この「タオー老子」は、1993年出版「タオーヒア・ナウ」(パルコ出版)のバージョン・アップした本ではなく、参考とした本の扱い方が異なっていることもあり、別物の本ということのようです。
「タオ」は「道」のことで、日本語ではドウ(道)と発音され、日本の文化の様々な分野でこの道という漢字は使われています、武士道もそうです。他方、英語では、「道」をroad、あるいは,streetといった物質としての存在名ではなく、taoを使っているのは、それが道教を意味するからであるということです。加島さんは、このタオの意味を「道徳経」の英語訳を読むことで理解出来たと述べております。
 また、加島さんの理解では、老子の著とされる「道徳経」は、総てが復帰return、という大自然の源に帰る働きを根元的な思想としているようです。確かに、人は最後には土という自然に帰る訳(昨今は、墓も持てずに土には帰れない人も多いのですが)で、自然に帰るという思想は解るのですが、実社会でどんな意味があるかというと、これはなかなか解り難いものがあります。少なくとも、今の資本主義社会で、人を蹴散らして勝ち馬になろうとする人には、何の魅力もない思想とも言えます。彼等からすれば、タオは弱者の思想とも思えるでしょう。
 他方、道教の思想は、あくせくしないで、人と争うこともなく、自然を友にしてのんびりと生きたいという、まあ、隠居的人生、仙人のような生き方を望む人には、受ける訳です。しかし、仕事を抱えた現役の方には果たしてどうかと思う面はあります。

 ただですね、この道という漢字にこだわるわけではないのですが、白川静の「漢字百話」(中公文庫)、或いは「漢字」(岩波新書)を読みますと、道はとても恐ろしい字な訳です。彼は、「漢字」の「道祖神のまつり」の中で、

「道はおそるべきものであった。もし呪詛が加えられていると、人は必ずそのわざわいを受けた。そのため道路には、これを防ぐ種々の呪禁を加えておく必要がある。道はその字形の通り、首を埋めて修 を加えて道であった。(中略)おそらく異族の首を奉じていたのであろう」

と述べており、また「漢字百話」には、「道とは恐るべき字で、異族の首を携えてゆくことを意味する」とあります。ですから、そんな怖い道という字から、道教の思想が生まれることにちょっとした違和感は抱きます。
 私が何故この「道」という漢字にこだわるのかといえば、私の生まれた部落(差別用語ではありませんので念のため)の地名は「道山(どうやま)」であるからです。
 以前にも、徒然で触れましたが、江戸時代、村の庄屋(肝煎り)を務めていた先祖を持つと言われ、本家筋の家の家系図(清和源氏の流れをくむ武士)や、また、郷土史にある文書を読んで、私の生まれた部落には、両澤神社(江戸時代の建立)があり、これは観世音菩薩堂ですが、江戸時代以前には、「道山の館」が置かれていた地区だったようです(1947年(昭和22年)9月5日発行「岩見三内郷土史」、1962年発行「河辺町郷土誌」(国会図書館に所在)参照)。
 また、山裾には墓地がありますので、その山の墓地に向かう場所でもあったとすると、道山と名付けられたのもうなずける訳です。幸にして、異族の首を携えて歩かないといけないほどに、途次に怖いものが潜んでいるような道ではありませんし、神社に向かう道も怖さは感じられませんので念のため。ちなみにその神社の写真は、「マルクは絵を描く」の「杢兵衛の夢物語」の最初のページに載っております。

 タオ、道というものは、存在するものなのか、それとも目にはみえないエネルギーのような存在なのか、それとも脳の意識が描いた世界像、あるいは、言語で表現可能な思想といったものなのか、私には、加島さんの本を読んでもよく解りません。よくは解らないのですが、感じとして、どうも、自然の力であったり、万物の生命力であったり、或いは、そうした力を生み出す根源的なもの、つまりは時間の力ではないかと思うのです。時間は、ご案内のように、人間が今までのところ作ることができない、自由に操作できない唯一のものとも言えます。ですから、私的には、道というのは、時間なんだと思います。時間の力なんだと思うのです。時間は悲しみも苦しみも癒してくれますから。
 いずれにしても、この「タオー老子」は、原文の中国語の訳ではなく、英語訳の和訳です。そういう面からは、ややもすると、伝言ゲームのようなものになってしまう危険性がないとは言えません。外国の思想を翻訳すると、そうした面はあるでしょうが、読んでもらうとおわかりになるように、これはどう見ても、どう読んでも「詩」です。詩を解説するのは野暮だと思いますので、私が気に入ったいくつかの詩をご案内しますが、より深く味わうには、実際に本を手にとって読まれるのがよろしいかと思います。詩は、歌であり、志であり、史でもあり、そして死をも語るという、まさに時間を語る言葉でありますので。

(リーダーについて)

「道(タオ)と指導者(リーダー)のことを話そうか。いちばん上等なリーダーってのは自分の働きを人々に知らせなかった。その次のリーダーは人々に親しみ、褒めたたえられ、愛された。ところが、次の時代になるとリーダーは人々に恐れられるものとなった。さらに次の代になると、人々に侮られる人間がリーダーになった。ちょうど今の政治家みたいにね。人の頭に立つ人間は、下の者を信じなくなると、言葉や規則ばかりを作って、それでゴリ押しするようになる。最上のリーダーはね 治めることに成功したら、あとは退いで静かにしている。すると下の者たちは、自分たちのハッピーな暮らしを「おれたちが自分で作り上げたんだ」と思う。これがタオの働きに基づく政治なのだーこれは会社も家庭でも同じように通じることなんだ。」
     加島祥造「タオー老子」(ちくま文庫)第17章最上の指導者とは

(俗世間との付き合い方)

「弓をいっぱい引きしぼったらあとは放つだかりだ。盃(カップ)に酒をいっぱいついだらあとはこぼれるばかりだ。うんと鋭く研いだ刃物は長持ちしないーすぐ鈍くなる。金貨や宝石を倉にいっぱい詰め込んでも税金か詐欺か馬鹿息子で消えてなくなる。富と名誉で威張る人間はあとでかならず悪口を言われるのさ。何もかもぎりぎりまでやらないで自分のやるべきことが終わったらさっさとリタイアするのがいいんだ。それが天の道に沿うことなんだ。」
                   同第9章 さっさとリタイアする

(本当の豊かさ・大切なもの)

「世間の知識だけが絶対じゃあないんだ。他人や社会を知ることなんて薄っ暗い知識に過ぎない。自分を知ることこそほんとうの明るい智慧なんだ。
他人に勝つためには力づくですむけれど自分に勝つには柔らかな強さがいる。頑張り屋は外に向かってふんばって富や名声を取ろうとするがね。道につながる人は、いまの自分に満足する、そしてそれこそが本当の豊かさなんだ。その時、君のセンターにあるのはタオの普遍的エナジーであり、このセンターの意識は、永遠に伝わってゆく。それは君の肉体が死んでも滅びないものなのだ。」
                      第33章「自分」のなかの富

「君はどっちが大切かねー地位や評判かね、それとも自分の身体かね?
収入や財産を守るために自分の身体(からだ)をこわしてもかまわないかね?何を撮るのが得で何を失うのが損か、本当によく考えたことがあるのかね?
名声やお金にこだわりすぎたらもっとずっと大切なものを失う。物を無理して蓄めこんだりしたら、とても大きなものを亡くすんだよ。なにを失い、なにを亡くすかだって?静けさと平和さ。このふたつを得るには、いまの自分の持つものに満足すうることさ。人になにかを求めないで、これでまあ充分だと思う人はゆったり世の中を眺めて、自分の人生を長く保ってゆけるのさ。」
                   第44章 もっとずっと大切なもの

(為さなければいけないこと)

「「無為」ー為スナカレ これあは何もするな、ってことじゃない。餘計なことはするな、ってことだよ。小知恵を使って、次々と、あれこれの事を為スナカレ、ってことだよ。私たちが手を出さなくても、タオの力が働いてくれるからだよ。われわれを運ぶ流れがあると知れば、小さな怨みごとなんて、流れてしまえるんだ。大きなエナジーはこの世に働くとき、はじめ小さなものとして現れる、そして大きなものへと育ってゆく。だから、難しいことだって小さいうちにやえば、易しいんんだ。大きいことは、まだ小さいうちにやれば簡単なんだ。結局、政治だって大きな問題にならないうちに片付ければ、あとは手を出さずにすむ。世界の大問題だって、みんな小さいことから次第にこんがらがったのさ。だから、タオの人は小さいうちにことを仕上げておく。じかに大きなことを取っかからない。だから、かえって大きなことが仕上がる。まだ柔らかくて小さいものを手軽く扱おうとしてはいかんよ。たとえば、他人の頼みを何でも安請けあいする人が、信じられないのと同じさ。タオの人は、小さなことの中に本当の難しさを見る。そして慎重にやるから、それが大きくなった時、ちっとも難しいことではないさ。」
                  第63章 小さいうちに対処するんだ

(了)

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