モンターニュの折々の言葉 371「他人のことは勿論大事ではあるけれども、自分のことで精一杯」 [令和5年4月20日]

 今日はまるで夏日の様な天気で、洗濯物も乾くかなあと。洗濯は一日置きにやっております。何故か息子の洗濯物までも。ですから、芝刈りに出かける日が洗濯日に重なると、翌日の洗濯量も増えて、それなりに。大変でもないのですが、こういう洗濯も熊のモンターニュの日常でありますから、特にこれみよがしの熊でないのですが。

 さて、今日は一つ朗報が。結末を読まないと、朗報か悲報かはわかりませんが、外務省の先輩で、フランス語で鳴らした、篠塚隆さんという方がおりますが、彼は前モロッコ大使。私が彼と最初に会った場所がどこであったかの記憶は定かではありませんが、パリのアルシュ・サミットの際に、総理通訳として来られた時に見かけた気がしております。もしかしたら、入省当時、先輩たちとの会合で出会ったかもしれません。

 で、篠塚さん、どういう風の吹き回しかは別にして、この度、共著ですが、本を出しました! 小学館出版の「英国王室と日本人」で、「華麗なるロイヤル・ファミリーの物語」という副題もついております。何故彼が八幡和夫さん(徳島文理大学教授)という方との共著を出されたかということについては、想像するしかありませんが、彼の先祖は中世においてか、あるいは江戸時代からだったかは忘れましたが、天皇家に使えた家柄のようで、それもあってか、外務省員でありながらも、宮内庁に11年もの長きに亘り出向しておりました。いかにもやんごとなき方々にお使えするような風貌をお持ちの方でもあります。そうした宮内庁でのお勤めと、外務省員として要人の通訳を勤めた実務上の経験知というものを、多少なりとも社会的に役立てたいという意識というか、目論見があったでしょう。

 他方、八幡さんという学者は、元々は実務者で、経済産業省のお役人で、フランスのエナ(国立行政学院)で一緒であったご縁もあり、八幡さんが執筆を担当された章は、学者としての専門家の知識がいかんなく発揮されているように思えました。

 本の内容の詳細について語るのは私には荷が重いのですが、私も物書きの一人であるという自意識から、この本を手に取って見たのですが、最終的には本となって多くの人に読まれる文章の書き方、あるいは、良本というものはどうあるべきかについて、考えさせられました。以下はそのまとめであります。

 文を書くというのは、書きたいこと、書くものがあるから書く訳です。しかし、この書きたいという欲求という、その欲求度は量的にも質的にも人によって異なるでしょう。司馬遷が歴史書「史記」を書いた気持ちと、モンターニュが駄文を連ねたこの折々を書く気持ちには雲泥の差があるでしょう。書く意志という意味での最上位にあるのが、この司馬遷で、司馬遷の爪の垢を煎じて飲んだのが司馬遼太郎。その次は、そうですね、例えば、「エセー」を書き残したモンテーニュか。あるいは、「パンセ」のパスカルか。日本人なら、「徒然草」の卜部兼好か。文学者ならば、スタンダール、バルザック、プルースト、ドストエフスキー、トルストイなどがいるでしょうか。学者の書き残した著書を私が位置づけするのは無理ですので、敢えて述べませんが、哲学者の書き残した、例えばプラトンの「ソクラテスの弁明」などはその魁でしょう。似たものでは、孔子の「論語」があるし、聖書も、仏教の経典もそうかもしれません。ユダヤ人で、ドイツ強制収容所から生き残った医師、V.E.フランクルの「夜と霧」もそうでしょうね。

 そうした最上位に位置するような本に較べて、実務家の書いた本というのは、筆者が死ぬ気で書いた本であれば、これは良書になるでしょうし、名著にもなるかもしれませんね。故人ではありますが、上海総領事であった杉本信行さんの「大地の咆哮」などが。この手の名著は、先の戦争時下での体験に基づく作品が多いように思われるのは、やはり人間の真価が発揮されるのは、ある種の極限状況にある時ということなのかもしれません。石光真清「城下の人」「荒野の花」「望郷の歌」「誰のために」等もそうでしょう。

 他の人が経験できない、極限状態での人間の姿を見た、あるいは、ある仕事をし、その仕事をしたから見ることができた景色を有する者だけしか書けない内容があるから、より感動も大きく、従って、多くの心を打つ、そして読まれるということなのかなあと。あるいは、研究者であれば、他の研究者が知り得ないような人物を歴史の中から見つけ、その人物に関する書を基に、希なる情報を読者に提供しているから、レア感によって、高く評価される面もあるでしょう。そういう意味では、今回の「英国王室と日本人」という作品は、知的な意味でのレア感と、経験知としてのレア感の両方を味わうことができる本ではあります。

 思いますに、あるテーマについて何かを書く場合、その手法は大きく2つ。所謂静態的アプローチと動態的アプローチ。前者は、あるものをあるがままに分析する手法。どちらかと言えば、存在自体を善的に肯定して見る分析。後者は、それ自体を善いものでも、悪いものでもなく、その変化に注目した分析ということであります。

 篠塚さんや八幡さんは、同然というか、この両方のアプローチを駆使して書いているのですが、英国の王室と、日本の皇室との類似性と違い、西欧のみならず、世界の王室・皇室マップを展開しながら、王室・皇室と国民(庶民)の関係を、居ながらにして知ることができる、地球の歩き方ならぬ、「世界の王室・皇室を知るための独り歩きの案内書」のような本でもあります。

 皇室の存在は、令和の時代では所謂民主主義の側面から喧しい訳ですが、篠塚さんにしても、八幡さんにしても、皇室の存在を前提としてのお話で、八幡さんは学者らしく、緻密な現状分析を、他方、篠塚さんは実務者らしく、外務省時代の通訳の仕事と、モロッコ大使時代の仕事をフルに活用して、よりパーソナルな面目躍如の文章を書いております。言わばスタンダールの「赤と黒」的な本が、この本と形容できるかもしれません。赤は兵隊さん、黒は聖職者ですが、王や皇帝、そして天皇は、その両方を兼ね備えている存在という比喩でありますが。

 さてさて、世界の王室、皇室というのは、どうも日本の皇室とは違うというか、日本の場合だけが違うような感じを抱いております。世界の王室・皇室のことがわかっても、日本の皇室のことはどうもわからないというジレンマに陥るような。釈迦に説法ですが、日本の皇室の歴史は、日本の国そのものの歴史でもあります。日本という国は、意識してできた国ではなく、始まりのない、原点のない国として生まれたけれども、これじゃあまずいと思って、原点探しをして、それを天皇にした国。従って、国の支配者は最初から天皇だった訳です。支配者から統治者になって、それが時代時代に変遷しながら、今は象徴的存在に。

 これは、世界の国々の王様(女王様)の存在とは似て非なるもの。彼らは、国家を統治するための機構としての制度的な役割があるから存在しているけれども、日本の天皇にせよ、皇族にせよ、これは政治的な統治ための制度ではないでしょう。何故ながら、政治(権力闘争)が発生する以前から(神話の世界において)存在していた訳ですから。そんな神話の世界から脈々と生きている存在が他の国にあるとすれば、そう、ヘブライ人というか、ユダヤ人の国だけでしょう。

 こうした基本的な点についてはしっくり来ませんが、もう一つしっくり来ないのは、この本の構成ですね。学者の文は、基本的に三人称で記述しますので、非人称構文。非パーソナルなもの。他方、実務者の文は、筆者が出てくる、パーソナルな文。このギャップがあって、仮にこのギャップを読む上での旨味としたかったのであれば、「はじめに」を挿入して、その説明をすべきではなかったのかということ。「あとがき」で篠塚さんは、本を出版した経緯を語っていますが、本を出版する際に、一番重要なことは、誰に読んでもらいたいかということ。想像するに、この本の読者は皇室関係者を念頭にしているのではないかということ。そうした二人の筆者の息遣いを感じるのです。息遣いというか、筆使いというか。

 一庶民が、私のような年金生活者が身銭を払って購入するかどうかは、筆者の知名度にもよるでしょうし、日本人がどれだけ皇室に対して関心を持っているかにもよるでしょうが、庶民にとって、皇室外交で饗される食事とか、あるいは贈呈品というのは、羨望の的でありますが、高嶺の花でしかないでしょう。貴重な資料が盛りだくさんで、皇室に関する知識を増やすことにおいては、この本は間違いなく、良書でしょうが。

 が、しかし、ご案内のように、皇室関係者の言動というものは、部外秘というか、公開されないのが世の習い。ですから、皇族に、我々が持っている庶民的な人間性のようなものを求めても所詮無理で、この本でも、皇族の人間性のような逸話は皆無であります。勿論、皇族には人には言えない苦労があるでしょう。本当はこうしたいという欲望もあるでしょう。しかしですね、彼らは個人としての存在ではない、少なくとも日本においては。寂しいといえば寂しいでしょうな。

 帯に「日本の皇室と世界の王室 深い絆と知られざる交流」とありますが、そう、我々庶民とのつながりではなくてですね、特権的階級間での交流の歴史を知るという意味では、最良の書かなと。

 以上、筆者からの批判を覚悟で書きましたが、お値段は、1540円(税込み)です。篠塚さんはお金には苦労していないかどうかはわかりませんが、書店にお見かけしたら、モンテーニュさんが書いていた本だな、どれどれと手にとって頂けると幸甚です。

 と、長々と書きましたが、私の目下の最大の関心事は、昨日、本年度のバイトの業務委託契約を得るために受けた講習会後の、理解度テストで満点を取ること。これがしかし、難しい。洗濯ではなく、選択問題で、老人には選択肢が多いのは駄目なんですな。なんどやっても満点になりません。これができないと、契約できないということで、私のお金にならないことは、手助けしたくてもできませんので、念の為。

どうも失礼しました。


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