趣味、建築(0)
今日は9月4日、2023年です。ふと文章を書きたい、そんな欲求に素直に答えたいと思ったのです。
でもいざこのページをひらき「何を書こう⁉(笑)」と。
考える。発信媒体に自分を映す、今っぽい。そして現代に生きる人の特権でもある。でも「人と関係をもつことが苦手」で思ったように話もできない
一方で内在する「自分を知っていほしい」という気持ちが、またも共在するメタな自分に阻まれる。夏休みの時間は不覚にもそういった自分と向き合う時間を催す、ということに気づいたいま大学二年の夏休みです(笑)。
そういう時に出会う、SNSで世界が開けた人は眩い。いつもは、
「すごいなぁ~」と思いながら自分には関わりのない世界だと思っていた。
しかし、YouTubeで ”みなみの散歩の記録” に出会ったとき、なぜか自分のなかで醸成されていたある種の承認欲求の出先の光を見つけた気がした。この方はカメラとの向き合い方、そして動画内で語るその姿に熱量を感じ、見ていて清々しい気持ちになる。
みなみさんもnoteをやっていたこともあるが、、
「こんな風に好きなことを語りたい」これこそがふと文章を書きたいと
思った根源となる想いだと気づいてしまった。
そして私が好きなのは、建物とそれを取り巻く建築的思想である。
そもそも建築に興味を持ったのは、幼稚園に通う道程で毎日目にしていた東京スカイツリーの建設過程が理由だった。中央区の中央大橋から眺めるスカイツリーがまた格別で隅田川のさきにシンボリックに立ち上がる姿に、
今頑張って言語化すると
”もの(建物)が持つ絶対的な力”を感じたからだった。
この言葉に託す私の建築への希望はおいおい書ければいいと思っています。
上に示し写真はつい先日訪れた岩手県の陸前高田市にある震災遺構だ。市内には小学校やマンションなど当時のままの姿を残しており、前に立つと鳥肌が立った。自然を相手にした建造物たちの姿を見るとあまりに一方的であり、虚しさを覚えた。
これからの建築に何ができるか、今一度考えるきっかけになったと思う。震災以前を知らない私は部外者でしかないが、様々な建築家が建造物を建てるこのまちは非常に興味深かった。
また同じような津波が来るかもしれないという中でたくさんの資材や資金を投じ建物を建てる。一見非効率である。だが私自身にとっての中央区のように、彼にとっての高田なのである。そこに生きる証として建築を建てる。
そしてその舞台は世界中どこでも、私の介入できる隙間はそこにあるのかもしない。
物としての建物、それを裏付ける建築的思想。この両者の関係は非常に面白い。
経済的背景や施主の思い、そして建築家のエゴなどの見えないものとリアルに生れ落ち目に見えるものが、良くも悪くもその関係を隠し、もしくは曖昧にすることで建物の持つ懐が生まれると考えている。そしてここに建築的思想が実現するプロセスの面白さがあるとやっと分かってきた。
以上、まだ大学二年生といわれるがすぐに三年生のなってしまう。これまで以上に自分を見つめ、文にすることで自分を表現していきたいと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました!!
硬い締めになってしまいましたが、今後もよろしくお願いします。