ベトナムの英雄レ・ロイと魔剣の伝説
ベトナムの道路名には歴史上の人物の名前がよく使われており、ベトナム各地の都市にレ・ロイの名前がつけられた道路があります。ホーチミン市だと中心部のホーチミン市人民委員会庁舎の真ん前を横切る道路がレ・ロイ通りという名前で、現在、道路下に日本のODAによる地下鉄工事が進んでいます。今回は、ベトナム人が大好きな歴史上の英雄であるレ・ロイについて書いてみます。
ベトナムの歴史は、中国の侵略とその撃退の歴史です。中国に強力な王朝が成立し、中国の国力が充実するとベトナムへの侵略が行われ、ベトナム人がそれを迎え撃つ戦争となるということの繰り返しでした。
明朝は1368年に朱元璋によって建国され、王朝成立からしばらくの間は内政を重視した政策が続きました。しかし第3代皇帝の永楽帝は積極的な海外進出をはじめ、1406年にベトナムへ侵攻し、翌年にはベトナムを占領します。永楽帝はベトナム各地の反中国勢力を軍事力で制圧する一方、ベトナム人に対して強力な同化政策を行い、それに中国人官吏の圧政や重税も加わって、ベトナム人民衆の不満が日に日に高まりました。
現在のウイグルやチベットと似ていますね。なお、永楽帝というのは、「海帝」というマンガで鄭和を南海に派遣した皇帝です。
https://bigcomicbros.net/work/6389/
ラムソンの誓い(藍山起義)
そのような情勢のもと1416年にレ・ロイとその同志18名が密かにタインホア省ラムソン(藍山)のジャングルにある寒村で「祖国と国民を救うため最後まで戦おう」という血盟の誓いをたて、明との戦いを開始します。その18名の中には、のちに有名な詩人でレ・ロイの軍師となるグエン・チャイもいました。レ・ロイは、この時31歳の一介の地方豪族にすぎなかったのですが、その時36歳のグエン・チャイは、レ・ロイの中のベトナムの民衆を糾合するカリスマ性を見抜いたのでしょう。この日から2人の長い戦いが始まりました。
レ・ロイの救国の戦い
1418年にレ・ロイは約1000人の同志を集め、ベトナム独立の戦いを始めました。戦いの初期は強力な明軍に歯が立たず、山岳地帯に立てこもってのゲリラ戦となりましたが、やがて各地の土豪や民衆がレ・ロイのもとに結集し、1424年に永楽帝が死去したあとは攻勢に転じ、1427年には「チラン関の戦い」で明の大軍を打ち破ります。そして1428年には明と講和を結び、10年にわたる明朝との独立戦争を終わらせ20年ぶりにベトナムの独立が回復します。
この流れは、それから500年後のフランスからの独立戦争と非常によく似ていますね。レ・ロイとグエン・チャイの関係もホーチミン主席とボー・グエン・ザップ将軍との関係に似ています。なお、レ・ロイはレ朝の初代皇帝となり、レ朝は後期まで含めると1788年まで360年間も続きました。
魔剣とホアンキエム湖の伝説
レ・ロイと言えば、魔剣とホアンキエム湖の伝説が非常に有名です。レ・ロイが決起してからしばらくの間は、苦戦が続きました。その様子を見ていたロン・クアン(Long Quan)という神様はレ・ロイを助けてやろうと決心しました。
ある日、タインホア省の若者レ・タン(Le Than)が漁をしていると重い剣の刀身が掛かりました。レ・タンが川に何度投げ捨てても、また刀身が網にかかります。レ・タンはそれが何か分からないまま家に持ち帰りました。レ・タンはその後レ・ロイの軍に加わり武功をあげ、部隊が自宅の近くを通りがかった時にレ・ロイを自宅に招待しました。レ・ロイがレ・タンの家に行くと突然、刀剣の刀身が光りだし、レ・ロイもそれが何か分からないまま、持ち帰ることにしました。
その後、レ・ロイがジャングルの中を通り過ぎると、木のてっぺんが光っています。木に登ってみると、その光っているものは、刀剣の柄でした。レ・ロイがレ・タンの刀身を思い出して二つを合わせてみると刃と柄はぴったりとはまり、立派な剣となりました。
それからというもの、魔剣はレ・ロイを離れず、レ・ロイは連戦連勝を重ね、ついに明軍を打ち破ることができました。戦場で魔剣がひかると明軍は恐れおののき、逃げ惑ったからです。
レ・ロイが皇帝になって、ハノイにある湖で舟遊びをしていると、湖の真ん中で金色の大亀が現れ、ロン・クアン様がレ・ロイに貸した剣を返して欲しいと言いました。レ・ロイは、直ぐにすべてを理解し、魔剣を湖に投げ入れると大亀は魔剣をくわえて湖底に帰っていきました。
それからその湖はホアンキエム湖(還剣湖)と呼ばれるようになりました。ハノイの旧市街の南にあるあの湖です。湖の周りは風情のある散策路になっていますので、機会があれば是非行ってみてください。ホアンキエム湖には本当に大亀が生息しているようで、数年に1回の割で目撃情報があり、その度にネットや新聞で大騒ぎになります。また湖の中にある玉山祠という祠には大亀のはく製が保存されているそうですが、決められた時間しか参拝できないようで、私もまだ実物は見たことがありません。コロナが終われば久しぶりにハノイに遊びに行って見てみたいなあと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?