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『銀の匙』の泉を求めて -中勘助先生の評伝のための基礎作業 (62) パラダイスの滋味
安倍さんに宛てた第54書簡には「皆が中の二階で欄干の所で話をして居るだらう」などという言葉が見られます。小日向水道町の中先生のお宅の二階が一高の仲間の集う場所になっていて、みなで語り合っている情景が目に浮びます。山田さんが一高に入学したのは明治35年の9月。中先生と親しくなった時期やきっかけなど、詳しいいきさつは不明ですが、それから明治38年6月あたりまで、およそ3年弱の間に山田さんはひんぱんに中家を訪ね、末子さんとも親しくなりました。明治38年9月26日付の中先生宛の第57書簡を見ると、
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中勘助先生は『銀の匙』の作者として知られる詩人です。「銀の匙」に描かれた幼少時から昭和17年にいたるまでの生涯を克明に描きます。
●中勘助先生の評伝に寄せる 『銀の匙』で知られる中勘助先生の人生と文学は数学における岡潔先生の姿ととてもよく似ています。評伝の執筆が望まれ…
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