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私はこれ以上老いることができるのか ー老いて死ぬまでの覚え書き  #1

生まれてから少しずつ上がって、ある地点で最大になって、
そこから死ぬまでは下りていってゼロになる。
生命力に関してそういう、曲線グラフのイメージがある。

生命力は体力・気力・知力・経済力などいろんな要素の掛け合わせで大きくなるので、最大値に至る地点がいつなのかは誰にも分からない。至ったと自覚もできないで過ぎていくんだろう。曲線の下り坂がいつから始まるかも分からないし、事故や急病、発作などで急降下して一気にゼロに行くこともある。

「持っている生命力が尽きたら死ぬ」と言葉にして考えるようになったのはいつからだったか。覚えていない。それを曲線でイメージするようになったのはつい最近で、きっかけは下のナースあさみさんのnoteだった。

(未読の人はこの機に読むべし。多分あなたにはいいnote)

今の私は確実にこの生命力曲線の下り坂にある。その曲線のカーブはどんな形なのだろう。大きめの放物線ならありがたいけれど、この先数時間数日数週間でゼロになる形かもしれない。
老いて死ぬまでの覚え書き、と始めてはみたものの、私はこれ以上「老いる」ができない曲線の持ち主かもしれない。

私の父母は双方70代前半で亡くなった。どちらも残された家族にとっては突然死だった。けれども、もし二人の生命力の曲線の全体を見ることができるなら、実際の形はおそらく突然死のそれではないし、二人とも全く違った形だったんだろう。
父は晩年に糖尿病が悪化して透析を受けていた。がんの疑いがあり、亡くなる数日後に検査の結果が出る予定だった。
母は毎年の健康診断でもひっかかる点がなく、BMIも標準体型、70代になっても薬ひとつ飲まないのが自慢の人だった。
二人とも70代まで生き、若くはなかったけれど、老人と躊躇なく言えるほど老いるまでもなかった。
私の両親は老人にはならなかった。

今のところ両親が一番身近な死者なのでこうして思い出しているけれど、
二人の生命力の曲線の形は、私のそれとどこまで関係があるのだろう。
二人からの遺伝が、私の曲線の形の重大な決定要因なのかは不明だ。
私の曲線はどんな形をしているのか。
ここで題名の問いになる。

私には今のところ、自覚できる大きな健康問題がない。
でもそれは私が自覚していないだけで、心身の中で”問題”が
すでに大きくなっているとしても、何らおかしいことはない。
自分が今、自分の生命力の曲線のどこにいるかは分からない。
最近は1日が終わると、この見えない曲線をマーカーで辿っているような気分になる。

「死ぬまで生きる」を考えるのはなかなか複雑だ。
メメント・モリと付箋を貼って生活の諸事に移るくらいにしておくのが
今の私にはよさそうだ。

ここまで書いたところで洗濯機の脱水機能が終わった。早々に干してくる。

今日は2024年5月30日。パリ郊外はまた雨だけど空は明るくなってきた。部屋干しの悪臭予防にSANYTOLが役立っている。朝食にはロンドン土産のレモンカードを黒パンにつけて1枚食べた。鳥が鳴いている。猫は寝ている。



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