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開かずの小箪笥

 私の祖母は、小箪笥(こだんす)をたくさん持っていた。

 胸の高さほどの昔ながらのタンスの上には、いくつも小箪笥が並んでいた。
 小銭が入っているもの、裁縫道具が入っているもの、アクセサリーが入っているもの、写真が入っているもの、年金手帳等の書類が入っているもの、手紙が入っているもの、切手が入っているもの、お土産で買ったキーホルダーが入っているもの、文具が入っているもの、その他小物が入っているもの…。

 几帳面な祖母は、小箪笥を使ってこまかく所持品を管理していたのだ。
 私が幼い頃、小箪笥を開けて…これはどこで買ったものだとか、これはいつ撮った写真だとか、教えてくれたことがある。アクセサリーなどを見せては、これはどこそこでいくらで買ったもの、これは誰それにいただいた貴重なもの、いつかお前にやるから待っていろと言っていたのを覚えている。

 そんなたくさんある小箪笥の中に…、たった一つ、一段だけ、どうしても開かない引き出しがあった。

 どうやっても開かないので、中身が取り出せないと言っていた。
 無理やり開けると小箪笥が壊れてしまうかもしれないから、触らないようにと厳しく言われていた。

 祖母が亡くなり、残された遺品を整理することになった時、小箪笥を開けてみる事になった。
 もしかしたら貴金属やお金などが入っているかもしれないから…確認しておいた方が良いという意見が出たのだ。

 開かずの小箪笥は、大人の力で取っ手を引っ張っても、びくともしなかった。

 どうせ捨てる事になるのだからと…、小箪笥の一番上の部分から解体することになった。
 不要品ではあるが、小箪笥はそれなりに年季の入った民芸品で…破壊することに少し心が痛んだ。

 赤茶色の漆塗りの小箪笥を解体すると、開かずの引き出しが厳重に接着してあるような痕跡が見られた。
 ……開けることを許さない、確固たる信念のようなものが伺えた。

 開けてしまってよかったのだろうかと、不安な気持ちがよぎった。

 中に入っていたのは、小さな皮袋に入った、印鑑だった。
 木製の蓋つきの印鑑で、フルネームと何らかの文字が細かく彫ってある、明らかに安くはないと思えるものだった。

 彫られていた名前は、祖母が嫁いだ先の苗字ではあったものの、心当たりがないものだった。

 印鑑の名前は、祖母の旦那さんの名前ではなかった。
 祖母の旦那さんの縁者の名前だとは思うのだが、誰なのかがはっきりしなかった。

 社印か、実印か…用途はわからないが、非常に大切なものであったであろうことは、素人目にも明らかだった。しかし、長年封印されてきた印鑑を、今さら誰に渡せばいいのか、どう扱っていいのか、知る者はいなかった。

 祖母は田舎の大きな家の長男に嫁いだものの、若くしてその人が亡くなってしまい…嫁ぎ先から追い出され、実家に帰ってきた人物だ。
 詳しい事は知らないが、祖母の旦那さんの弟が家を継ぐことになり、財産をすべて放棄するという念書を書かされて…母共々非常に不愉快な思いをしたという話を聞いている。

 なぜ祖母がこの印鑑を持っていたのか、どうして開けられないような細工をして小箪笥に入れられていたのか、全てが謎に包まれていた。

 もしかしたら、困った時にこれを使えと…渡された?
 もしかしたら、家を追い出される時に…持ち出した?
 もしかしたら、もらったけど使い道がなくて…封印した?

 小箪笥は開かないのだと、開けなくていいと言っていた、祖母。
 結局、祖母はいなくなってしまったのだから…これ以上詮索する事もないだろうという結論に至った。

 縁が切れて50年以上たっているのだから、ゆかりのある人物も既に存在していない可能性が高い。
 いまさら業者などを使って真相を探ったところで…新たな火種となってしまう事もある。

 ……とはいえ、ルーツを知るうえで、キーとなるであろうアイテムである可能性は否定できない。
 唯一残る、もう決して手に入れることのない、何かの歴史を持った印鑑を本当に処分してしまってもいいのか?

 生まれてたった半年、長い人生の中で一瞬ではあるものの…、この印鑑の苗字であった経験を持つ母に事のあらましを告げ、手渡そうとしたのだが。

 母は、手を出すことすらせず、軽く一瞥をよこしたのち「捨てといて」と言った。
 私は、母に命令されて…長年閉じ込められてきた印鑑を、紙くずと一緒にゴミ袋へ入れたのだ。

 あれからずいぶん長く過ごしてきたが、あの時見たような…重厚で細かい飾り彫りが施された印鑑とは、出会ったことがない。
 だからか、やけに印象に残ってしまっていて…今でも民芸品を目にすると、ふと、あの時の記憶がよみがえる。

 そのたびに、あらぬ妄想をしてしまって…祖母の姿が、ぶれる。

 人付き合いの多かった祖母。
 我儘だった祖母。
 派手好きだった祖母。
 自分の欲を隠さなかった祖母。
 自分が幸せであることを第一に考えた祖母。

 祖母が、何を思って…、あの小箪笥を大切にしていたのかはわからない。
 今となっては、想像の中でしか…、祖母の過去を知る事ができない。
 だからこそ、私の中の想像が膨らんで、いまもなお…物語が生まれ続けている。

 生み出そうと思えば、都合のいい展開を用意することが可能だ。
 事実のかけらもない、想像だけがすべての…あったかもしれない、なかったかもしれない、曖昧で不確かな、私が創造した過去の物語。

 ……印鑑にまつわる、いい話も、悪い話も、なんてことない話も、私の中にあるのだ。

 あの時、印鑑を捨てずに手元に残していたならば、もっと違った物語を生み出していたのかも、知れない。
 あの時、印鑑を捨てたからこそ、たくさんの物語を生み出すことになったのだとも…思う。

 開かずの小箪笥の記憶は、私にとって……財産のようなものだ。

 たまにおかしな妄想に引きずられることもあるけれど…、これからも物語の創作を続けていきたいところだ。

 乏しい祖母との思い出を、自分の思うままに増やしていくのも…悪くない。

 そんなことを思いつつ……、私は執筆ツールを開くのだった。

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たかさば
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