一番
「入院ですね。」
「それは困る!このまま連れて帰る!!」
嫁が倒れた。
大げさに、道のど真ん中で倒れやがった。
通行人が余計なことをして、救急車を呼びやがった。
「何言ってるんですか?!もう…。」
若い看護婦が俺の顔を覗き込む。
嫁は重症らしい。
なんでも、立っていられるのが信じられないくらいの検査結果が出ていると若い医者から別室で聞いたばかりだが。
ふん!検査結果なんてのは数値上のものであってだな、動けるうちは動きゃいいんだ!!
「私、わかってますから。ここで、最後なんでしょう?」
奥様への告知はどうされますかと言われたので、俺は知らんと答えておいた。フン、結局ばれているんじゃないか。
「最後ならなおさらだ、おい、今すぐ帰るぞ!飯を作れ!!」
「…あの、ほかにご家族はいらっしゃらないのでしょうか。」
「娘がいますけど、家に寄り付いていなくて。連絡はしましたが、来るとは思えません。」
あんな親不孝な娘!
小さい頃はホイホイという事を聞いてたくせに、変な知恵を付けて反抗するようになりやがった。挙句の果てに勝手に家を捨てて出来の悪い男と所帯を持ちやがって。
ここに来たらぶちのめしてやる!
「あなた、申し訳ないですが、ここでお別れです。お一人でお帰り下さい。」
「飯は!風呂は!明日の理事会の服の用意は!やることを放棄することは許さんぞ!」
まったく身勝手なやつだ!
ふざけるな!!
俺が稼いでこいつが家を守る、それが当たり前だろうが!!
俺が稼ぐために必要なものはすべてこいつに用意させてきたんだ!!
俺が稼ぐために必要な体を維持するべく、バランスのとれた食事を用意させ。
俺が稼ぐために必要な外見を維持するべく、清潔で見栄えの良い服装を毎日用意させ。
俺が稼ぐために必要な家庭を維持するべく、聞き分けの良い子供を作り育てさせ。
俺が稼いでいるんだから、俺のいう事はすべて聞かせてきた。
俺が稼ぐだけ稼いだ金を使って、不自由のない暮らしをさせてやっていたんだから当たり前だろう。
俺が養ってやったから、こいつはこんなにも裕福で満たされた生活を送れたんだ。
俺の稼いだ金を使って今日までのうのうと生きてきたくせに、自分の仕事を放り出してお別れですだと?!
そんなの許すわけないだろうが!!!
「奥様は…全身猛烈な痛みがあって…。」
「痛み?!俺だって持病の神経痛が痛くて痛くてたまらんわ!俺の痛みの方がきついんだ!こいつはベッドで横になって休んでるじゃないか!俺はこんな安いパイプ椅子に座らされて、痛みが限界なんだぞ!」
最近は痛み止めも聞かなくなってきているんだ!
こんなに痛いのに、医者はこれ以上対処できませんと抜かしやがる!
俺の痛みを知らん健康な女が痛みを語るな!!!!
「……私ばかり、体を休めてすみません。でも、私…もう、動けないんです。」
「動こうとしないからだ!」
俺が、嫁の手をつかみ、ベッドから引きずり降ろそうとすると女が叫び声をあげて飛び掛かってきやがった!
この…無礼者がああああああ!!!!
俺が女を振り解くと、無礼者は床の上に転がった。
…なんだこいつは!
目上の者を睨み付けるなど、失礼すぎるだろうが!!
この病院の教育はどうなっとるんだ!!!
「本当に動けないんですよ?!…先生呼んできます!!!」
恰好だけは一人前の、何も知らない女は病室を出ていった。
人の痛みもわからないような若輩者が看護婦の格好をするな!
紛らわしい!一般人は、みすぼらしい服を着て洗濯でもしてりゃいいんだ!
「おい、行くぞ。」
上半身を起こさせると、嫁は大げさに顔をゆがめた。
思えばこいつは若い時からずっとそうだったんだ!
こいつはたいしたことがなくても、すぐにこういう表情を見せて、周りの同情を引こうとする。
長年一緒に暮らしているが、本当に変わらないな。
こんな表情を見せたところで、俺は嫁を助けるつもりはない。
今までだって、こんな表情を見せた後もこんな表情のままでやらなきゃいけないことをさせてきたし、こいつはやってきたんだ。
「行けません。」
初めて見た、嫁の拒絶に、一瞬怯んでしまった。
…こいつは、何を、言っている?
「あなた、私はもうあなたと暮らすことはできません。今まで養っていただき、ありがとうございました。」
「…ふざけるな!自分の役目を放棄するというならば、今まで養っていた分の金を返せ!今すぐ出せ、今すぐ!!出せんだろう!出せんのだからお前は帰るしかないんだ!」
「為実さん!!!困ります!!!」
俺が声を張り上げ右腕を振り翳した時、さっき飛び出して行った女と医師が二人病室に飛び込んできた。ガタイの良い医者が俺の前に立ちはだかる。
「あの、これお財布です。住所は、入院の同意書に書いてあるので、すみませんがタクシーを呼んでいただいて…。」
「…分かりました。」
嫁から財布を受け取った女がパタパタと病室を出ていく。
医者はここに残るのか、ふん、遠慮を知らんやつらだ!
「タクシーが来たらお前も帰るんだぞ!」
ようやく家に帰れるのか。ああ、昼間っからめんどくさかったな。
…そういえば訪問すると連絡していた自治会長の家はどうなっている?
まさか相手方に何も連絡していないとかないだろうな。
「おい、片岡さんへの連絡はしたんだろうな。」
「ええ、先ほど連絡しました。…お世話になりましたと。」
「お前の事じゃないだろう!俺が遅れる非礼をわびたのか、それを聞いている!!」
「言いましたよ、奥様が私の声を聞いて心配してくださったから…。状況を少し、お話しただけです。…あなたの事は、一番に、お話しました。」
「奥さんはなんと?」
「訪問はいつでもいいとおっしゃってました。お体ご自愛下さいという言葉をいただいて…。」
「ああ、俺の神経痛の事か、俺は本当に体中が痛くてかなわんからな!優しい言葉は身に染みるな!そうだ、お礼の菓子包みを用意しておけ。3000円のやつだ。」
「私には、もう用意することはできないから…あなたがご自分で」
「はあ?今から帰る途中に買っていくんだ!お前が選べ!」
「奥様は、入院するんですよ!」
医者が夫婦の会話に割り込んできやがった。
「何を言っている?俺は入院なんか許可していない。こいつは連れて帰る。」
「無理です。全身…痛みがあって、今は薬が効いているから起きることもできて…。」
人の家庭にずかずかと乗り込んでくる恥知らずな医者だ。
「薬が効く程度の痛みなんだろう!!俺はな!薬も効かない神経痛の痛みに日々毎時間毎秒苦しめられているんだぞ!」
「ただの神経痛じゃないですか!!奥さんはね、神経痛なんか比べ物にならないくらい」
「ただの神経痛だと?!お前に俺の痛みの1%もわからんくせに何をぬかすか!」
この病院は藪医者ばかりだ!意味不明なことを偉そうに言いやがって!
話にならんな、一刻も早くこの場を去らねば。
嫁を連れていこうとするが、いつの間にか増えていた医者二人が立ちふさがって…邪魔をする!
「あなたの痛みは…一番です、私、わかっておりますよ。」
「ほら見ろ!嫁はな、わかってるんだよ!どけっ!!!」
嫁はきちんと理解しているというのに、部外者が入ってくるんじゃない!!
藪医者どもは、嫁を守るように俺の前に立ちふさがっている。
「あなたと私、二人の順位は、いつでもあなたが一番だと…知っています。」
「当たり前だろう、俺は稼いで、お前は俺が養ってやったんだ。」
稼ぐ奴が優先されて当然だろう。金を持つ者の不満は養われる方の不満よりも重いんだ。不満を抱えていては金を稼ぐこともできんだろう、ほんの少しの不満が破綻につながるんだ。
ただ養われているだけのやつに不満を訴える資格はない。
どうせたいしたこともないくせにすぐに事を大げさにして喚くなんてのはだな、人としてのレベルが低すぎるんだよ!
「私が骨折した時も、あなたの打撲の方が痛かったわ。」
「私が肺炎になった時も、あなたの風邪の方が症状が重かったわ。」
「私の親の臨終のときも、あなたのお母さんのごはんを作りに行ったわね。」
「私の親友の事故の時も、あなたの会合到着時刻の遅延を伝えるために出向いたわね。」
「私はいつも、あなたに養ってやっていると言われ続けていたけれど。」
「私はもう、あなたに養ってもらう価値がなくなったのよ。」
「あなた、私をここに捨ててってください。」
捨てていく?
なんだ、それは!!!
「お前…!!自分の役目を放棄するのか!!!ふざけるな!俺は何もできんぞ?!お前がいないと何もできん!なぜなら、俺は金を稼ぐことだけに集中し、人脈を広げ、雑多なことはすべてお前にやらせていたからだ!お前にできる事は、金を稼ぐ俺のためになることを文句を言わずにこなし続ける事だけだっただろう!お前を信頼してすべて任せて、お前をここまで養ってきた俺に対して…どういうつもりだ!!俺を最優先するのがお前の役目だ!お前は俺が安らかに眠るまで…俺に仕えなきゃならんのだ!!俺が、俺が一番大切にされないといけないんだぞ!俺が一番なんだ!!」
一気に不満を捲し立ててやったわ!!!
黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!
嫁のくせに、俺に物申すとは何事か!!!
…ふん!医者どもも目を丸くしておるわ!!!
「大丈夫よ、私たち夫婦で…いつもあなたは一番優先されていました。二人いる夫婦の、いつも一番でいた。私がいなくなったとしても、あなたはずっと一番でいられるわ?・・・だって、あなたは、一人になるのだから。一人しかいないの、二番になることはないから。」
一人に、なる?
「タクシー来ました!行先もお願いしてあります。」
「為実さん!行きましょうね。」
「お見送りしますよ、もう、ここへは来ないでください。」
俺は、無礼な医者二人に両手を取られて…椅子から引きずり降ろされた。
女が車いすを持ってきて、そこに無理やり座らされる。
「ありがとうは、言いませんよ、あなた…さようなら。」
俺は、嫁の顔を見ることなく、タクシーに乗り、帰宅することとなった。
あれよあれよという間に、状況が変わっていった。
嫁があっという間に死んじまった。
娘が全部手続きをしたらしい。
ふん、いつの間にきたのやら。
俺は死んだ奴のことなど気にしないからな。
めんどくさい事は全部やってもらって万々歳だ。
ある日いきなり湯が出なくなった。
近所の風呂屋に行くようになり、自宅のふろ場のドアを開けることはなくなった。
ある日いきなり電気が止まった。
電話をして業者を呼びつけると、金を払えという。
公共料金?よくわからんのでほっておく。
毎月毎月、金をせびりに来るやつらに金を渡す。
手紙がたくさん届いているが、一通も見たことがない。
めんどくさいんだ、目もあんまりよくないから読めないし。
知人の訪問も減った。
手紙の返事を出してないからな、まあ仕方ないだろう。
金はあるんだ、散々稼ぎまくったからな。
カードがあれば金が下せる。
食いたいもんを買って、食いたいときに食う。
冷蔵庫なんか使わなくなった。
コンビニがあればいいんだ。
ゴミは飯を買うたびにコンビニのごみ箱に放り込む。
服は多少穴が開いても平気だ。
医者に行けば薬ももらえる。
ある時病院に行ったら保険証の期限が切れていると言われた。
保険証の新しい奴なんて来てない。
市役所にわざわざ出向いてやったのに、難しい事ばかり言って肝心の保険証を渡してくれない。
怒鳴りつけると警察が出てきた。
俺は何も悪いことをしていない、早く職員を捕獲しろといったが、俺が捕獲された。
あり得ないことが続くようになる。
携帯を新しくしたら、よくわからないボタンのないものになった。
使い方がわからないので説明させたが全く理解できない。
わかるような説明をしろと言ったら、警察を呼ばれた。
無礼で頭の足りない店員を捕獲しろと言ったが、俺が捕獲された。
コンビニに行って無礼な若者がいたので叱り飛ばしたら、警察を呼ばれた。
無礼で頭の足りないバカ者を捕獲しろといったが、俺が捕獲された。
俺は怒りをあらわにすることが増えた。
俺は、怒りをあらわにせずにはおられない日々を過ごすようになった。
俺はテレビに向かって怒鳴り声をあげるようになった。
俺は誰にでも怒鳴り声をあげるようになった。
俺は一番なんだ、俺が一番なんだ!
いつしか、俺は何に怒っているのかさえ分からなくなった。
いつしか、俺は、何をしているのかさえ分からなくなった。
いつしか、俺は、何を、していたんだっけ…?
俺は、今何を…?
俺は…?
おれ・・・?
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