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腐っている

かつて、海辺の田舎町の墓地にはやけに異質なものがあふれて、いた。

足元の自由を奪いがちな、砂地が広がる、小さな、墓地。

ところどころに墓石もあるが、墓地という名称を誇っていいほどの数は見つけることができない。

この墓地に多く並ぶのは、木片と、籠。

この地区では、かつて…土葬の習慣が廃れることなく、続いていた。

籠は、土葬された亡骸を、野生動物…野犬やカラスが掘り起こしてしまわぬよう、被せられたもの。

長い竹の棒を埋められた亡骸の周りに刺してゆき、 何者も入ることのできない籠を組上げる。

籠は年月と共に朽ち、その頃には人であった名残も溶け、やがてただの砂になり…また、亡骸を埋める場所となる。

晴れた風の強い日、砂はいとも簡単に舞い上がり、少し離れた場所に通る道路アスファルトに届く。

車のタイヤに轢かれ、風圧で飛ばされ…砂は生きるものの活動する場所に混じってゆく。

何年もそういう流れで、この海辺の墓地は生きた者達の還る場所を与えていたのだ。

…この墓場は、朽ちて行くばかりの場所。

この場所に、かつて多数あった籠は、今やほとんど存在していない。

所々、砂から顔を出している木切れの端に、籠があった頃の名残を思わせるのみだ。

籠の消え去った墓地には、人であった名残の溶けた砂地が広がっている。

墓石をこの寂れた墓地に置くものはここ数年…一人も、いない。

この地区の住人は減り、墓石を手放すものがずいぶん増えた。

今年の夏も、墓石が一つ、二つと消えた。

この墓地は、墓地としての役割を終えようとしているのだ。

…砂地の広がる、この場所で。

僕は、ただひたすらに…ここに埋まって、居る。
僕は、ただひたすらに…ここで、腐っている。

なぜ、僕は腐っているのだろう。
なぜ、僕は砂地に解けることが無いんだろう。

なぜ、僕はここにいるんだろう。

僕が人としての生を終えたのは、この地区で土葬が禁止された年だった。

ずいぶん体の弱かった僕は、火葬が主流と成り始めたと聞き、頑としてそれを受け入れようとしなかった。

熱いのはいやだ、体を燃やさないで、僕をこれ以上苦しめないで…ただ、そっと、砂に埋めて欲しいと願った。

火葬が常識化する中、土葬を敢行することはずいぶん大変だったようだが、最後の土葬者として手厚く葬られた、のだ。

その様子を見て、空に浮かびながら…僕は優越感に浸ったのだ。

僕の上を覆う籠はずいぶん綺麗に組上げられて、輝いていた。

多くの人が、試行錯誤し美しく編み上げてゆかれた、僕だけの…墓標。

布団の上で毎日咳き込んでいた頃は知らなかった、青く、澄んだ空の下に。

僕の籠が、輝いていたのだ。

朽ちはじめた籠がみすぼらしく並ぶ、この墓場で。

僕の籠は、輝いていたのだ。

…籠を誇らしく思う僕の気持ちが、僕をこの場所に縛り付けてしまったのかも、知れない。

この墓地に埋められた人は皆、砂に還っていったというのに。
この墓地に埋められた人は皆、空に昇っていったというのに。

僕は、ただひたすらに…ここで、腐っている。

腐ってしまった僕は、人として存在することはできない。
腐ってしまった僕の体は、なぜか砂に溶けて逝かない。
腐ってしまった僕の体だけが、朽ちてゆく墓地にいつまでも残っている。

なぜ、ぼくはこの場所でたった一人、腐っているのだろう。

…腐った体を持て余す、僕。

僕はこの墓地から出る事はできない。
僕の腐った体が、僕を離そうとしない。
僕の魂は、僕の腐った体にしっかりとくっついている。

…腐った体に入って、ぼんやり砂に混じる日々。

…腐った体から抜け出して、ぼんやり砂の上に立つ日々。

…腐った体に囚われて、空に向かって飛ぼうともがき…あきらめる日々。

僕はなぜ、この場所でたった一人…腐っているのだろう。

…出て行こうか。

この腐った体で、助けを求めに。

…出て行こうか。

この腐った体を、焼いてくれと願いに。

…出て行こうか。

だが、しかし。

腐った体に、砂を掘る手段は、ない。
腐った体に、砂から出る方法は、ない。
腐った体に、砂を掻く力は、ない。

…僕の体は、腐ってしまったのだ。

僕の体に、砂を動かす力を持つ筋肉が存在していない。
僕の体に、骨を動かす力を持つ筋肉が存在していない。

僕の体に残るのは、かつて骨を動かした、筋肉であったもの。
僕の体に残るのは、腐ってしまった…かつて筋肉であったもの。

…目玉が抜け落ち、腐った肉を所々に纏ったこの体。

この砂の中から、抜け出したところで。
この砂の中から、抜け出せたところで。

人と対面など、できるはずがない。
人と対面など、できる訳がない。

…僕は、ただ、砂に埋まっていることしかできないのだ。

誰か、僕を助け出してはくれないか。
誰か、僕に気づいてはくれないか。

誰も来ない朽ちてゆく墓地で、僕は毎日願い続ける。

誰か、僕をここから。
誰か、僕がいることに。

誰か、誰か、誰か、誰か…。

誰かを必要とする僕がいる。

こんなにも、誰かを必要とする僕がいる。

けれど、誰一人僕には気づかず、ただただ…砂に埋もれているのだ。

なぜ。

どうして。

自問自答に暮れる日々。

ここには腐った自分しか居ない。
ここには人などいない。
ここには答えをくれる誰かはいない。

ここには腐った僕が埋まっているだけだ。

ここにはとうに人を辞めてしまった僕のみっともない体が埋まっているだけだ。

誰も、助けてくれない。
誰も、助けになど、来ない。

誰も、人であった頃の残骸に気づくことはないのだ。

誰も、僕に気づかない。
誰も、僕に、気づかない。
誰も、誰も、僕に気づかない。

僕を包み込んでいる砂は、僕を中途半端に守り続けている。
僕を包み込んでいる砂は、僕を微生物に分解させてくれない。

僕を包み込んでいる砂は、僕をどうしたいんだろう?

喉の奥までみっちり詰まっている砂は、声を出すことを阻む。

喉の奥までみっちり詰まっている砂が無かったなら。

…無かった所で。

…声を出すための筋肉は、すでに腐っているのだ。

いつになったら、僕はここから解放されるのだろう。
いつになったら、僕は思考することをやめるのだろう。

いつになったら、いつになったら、いつになったら、いつに、なったら。

誰もいない、朽ちた墓地でたった一人。

誰もいない、朽ちた墓地で、たった一人、…人であった僕は。

ただ、砂に埋もれている。

…いつか、この場所に変化がある時を心待ちにしている。
…いつか、この場所が変わるときが来ると信じている。

いつか、この場所は。

道になるかもしれない。
土が盛られるかもしれない。
一掃されるかもしれない。

…海になるかもしれない。

何かが変われば、僕の腐った体も、砂に混じることができるかもしれない。
何かが変われば、僕の腐った体を、焼却してもらえるかもしれない。
何かが変われば、僕の腐った体が、海流を巡ることになるかもしれない。

何時来るのかわからないいつかを思いながら、僕はただ、腐っている。

僕はただ、砂に、埋もれている。

僕はただ、腐ったまま…不貞腐れている。

こんなにもくさっているのに、一向に腐り切らないこの体を持て余しながら。

僕はただ、ただ…腐って、いる。



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