「ですね」「ですよ。」…、……?・・・。
どうも、どうもどうも。
わりとかなりけっこうずいぶんめちゃめちゃ気楽に、自分の書きたい物語をたくさん書いているものです。
たまに時々ぼちぼち頻繁にそうとうやらかしたり暴走したりしている、空気の読めないものです。
ところで、突然ですが、こちら、なにに見えますでしょうか。
1、でつ
2、にしこり
3、ぷ。
4、を
5、&へ
6、AAAAAA
「でつ?ちょwwwいい年して〝でつまつ語″かよマジpgrwww」
「にしこりってだれやねん!」「リアルテニスの王子様だよ!」
「ぷ。とかさあ、人の事バカにすんなよ?」
「『を』とかマジうぜえ、『お』でいいじゃん!昔の人バカじゃねwww」
「あんどwww今どき、あんどwwwマジ死語っスわwww」
「A多すぎwwwつかトリプル●ーどこ行ったんwww」
どこかからともなく、チャラい会話が聞こえてきそうな気がしないでもないのですが。
一般的には、そのまま文字として読むと思うのですが……私はどちらかというと、別のものに見える割合の方が多いんですよね。
1、 でつ
某犬のキャラクターに見えます。
「で」の、〃の部分が目、「つ」の部分が、鼻。
2、 にしこり
某元野球選手の顔に見えます。「し」が鼻、「に」の縦棒が顔の輪郭、「に」の中の「こ」の部分の上が細い目で、下が頬骨、「り」が耳。
3、ぷ。
ボウリングをしている人に見えます。「ぷ」の「゜」が頭、「。」がボウリングの玉。
4、を
池に足を突っ込んでいる人に見えます。「を」の三画目が、池の端っこ。
5、&へ
釣りをしている人に見えます。「へ」が釣り竿。
6、AAAAAA
色鉛筆が並んでいるように見えます。芯は白い。
私、文字を見る時、わりと図形認識しちゃうんですよね。
確かに文字を繋げて思いを綴ったり、繋がってる文字を見て情景や胸キュン場面を思い浮かべてうへへってなったりするんですけど、なんて言うんでしょう、文字の並んでいる場面を見て喜ぶ節があるんです。
ズラーっと並んでいる文字を読むのも好きですけど、どっちかというと、文字の並んでいる行間とかバランス、記号に符号の与える印象を見るのが好きです。
私、行間や記号に隠された心情を読むのが好きなタイプなんですよねえ。自分の感情をミックスできるような、自由度の高いお話が好きです。
きっちり情景描写をされて、みっちり登場人物の感情が書き込まれて、ストーリーの流れがはっきりしていて、作者のイメージをそのままこちらが理解しなければいけないタイプの小説は難しすぎて付いて行けないという悲しい側面はさておきですね。
私は物語を読む時、言葉の意味だけを追うのではなく、文字の並ぶ視覚的情報も見ていたりします。
私は物語を書く時、言葉の意味だけを綴るのではなく、文字の並ぶ視覚的イメージを付与していたりします。
本日は、そのあたりのことをちょっと書いてみようと思いました。
ちょっと幼い感じの主張がほとんどなので、そのあたり見逃してくださる方だけ、よろしければお付き合いください。
私はわりと普段相当かなり思ったことをざぶざぶ書いているのですが、多方向に飛び散りまくっているジャンルながら、文面を見るとなんとなく自分が書いた物語だなあとしみじみ自分が感じる程度に文字面にくせがあります。
「、」「…」「……」「・・・」などを、かなり重視してたりするんですよねえ。
しかもわりとめんどくさい感じで、自分ルールがあったりするんですよねえ。
「、」は、確認するような、噛みしめるような、ひと息入れる描写に絶対必要だと思っているんですよ。
「…」は、わりと気軽な言い淀みとして使いたいと思っているんですよ。
「……」は、言い淀んだあと呆然とした時間経過が含まれている雰囲気で使いたいと思っているんですよ。
「・・・」は、言葉が見つからなくて、気持ちが場の空気に薄まっていたり揮発していたり散らばっていたりするイメージで使いたいと思っているんですよ。
で、「。」については、生まれ育ってきた歴史的なものも相まって、もう口癖、印鑑、確認みたいなもんになっちゃってるんですよ。
「私、実は……、話し言葉の最後には、『。(まる)』を付けたいタイプなんです。」←コレ
私、生まれた時から、某小●館の学習雑誌の愛読者でして。
ベビ●ブック、マ●イ、め●え、幼●園、小●一年生、小●二年生、小●三年生、小●四年生、小学五●生、小学六●生、あとコ●コ●コミックその他もろもろ。
あの出版社の学習雑誌って…基本、吹き出しの中のセリフ、「。」ついてたんですよね。
もうね、擦り込まれちゃってるんですよ、「。」。
ないと落ち着かないんです。
言葉の最後が、ほったらかしというか、投げっぱなしというか、締まりが悪いというか、中途半端というか、うん●出したのに拭いてない感じというか。
だから、わりとかなり相当実は、最近の「カギカッコの中の文字の最後には『。』を付けてはならないという風潮」←コレ
この一般常識が、非常に…難しいのです、はい……。
要するに、私、かなり、一般常識をスルーして物語を書いていたりするわけなんですよ。
最近の常識が身に染み込んでいないくらい、最近の小説を読んでいないのかも知れないですね。
子供のころ毎日児童文学と学習雑誌を読んでいたので、今家事の合間に小説を読む程度では、自分の常識がなかなか塗り替えられていかないんですよ……。読む分には問題なく読めるんですけど(頭の中で勝手に『。』を補完してるから)、自分で物語を綴ると、どうしても自分に刻み込まれたイメージが顔を出してしまうんです。
知識として頭の隅には引っかかっているんですよ、三点リーダーは二つつなげないとダメとか、カギカッコの最後に「。」付けたらダメとか「・・・」は間違ってるとか、「?」とかの記号の前は半角空けないと見にくいとかその他もろもろの現代の常識は。
でも…老いた身からにじみ出てしまう己の歴史がですね。
作品を発表するにあたり、最低限のマナーとしてきちんと常識を守るべきなのかもしれませんが、私はあまり気が進まないんです。
なぜなら、私の文字列には、私のイメージが含まれているからです。
冒頭、私は見た目でイメージを持ちやすいと言いましたが、「、」「。」「…」「……」「・・・」これらは、見る人のために変えていいものではないと思っているんです。
私の書きたい物語は、私のイメージで文字面を形成したいのですよ……勝手ながら。
なので、私はたぶん、今後も自分ルールに則って、今の小説ファンには苦い顔をされてしまうような文字列を書いていくと思われます。
もしかして今まで私の文字列を見て思うところあった方がいらしたら、こういう理由があったので、どうかご理解とご協力をお願いしたいです……。
最後になりましたが、私の好きな文字面をいくつか置いておきますね。
普段こういう感じで書いてるんですよってのが伝わったら幸いです、はい。
ここに紹介したもの以外にもいろいろと癖の強いお話書いてます、良かったら見に来てください、ウフフ。
では、では……。←
…窓際には、君が。
※連載作品のタイトル※
気になる人が窓際にいて、すぐに声をかけるのがためらわれている感じ、君がいて、それに気がついて、気持ちが溢れだして、伝えたい言葉が埋もれてしまって…仕方なく口を噤んで終わるイメージで「。」
「……。」
何かを訴えているが声を出さない猫
「にゃ。」
短く声に出して言いたいことは言ったんだぜと完結した猫
「にゃあー!」
普通の猫
「……やーん。」
何かを訴えたいが言っては失礼かもしれない、でも口から不満が出てしまった、申し訳ないからもう口噤むねという猫
※短編作品【ごわつく猫】より※
私、本当はこんな子じゃない。
私、本当はこんな事考えてない。
私、本当はこんな事をする人間じゃない。
※短編作品【分裂少女】より※
だんだん認めたくない気持ちが増えていく感じを文字数を増やして表現していたりする、わりとよくこういうのやる
……いや、待てよ。
↑↑↑長考してる(三点リーダー二つ)
いつも…、百点満点という、うまい棒の二本バージョンみたいな
↑考えながら昔の思い出が溢れてきて長考する隙をギュッと圧縮してるイメージ(三点リーダーひとつ)
※エッセイ【大変うまい、棒について語りたい…語らせて?語るってばよ!!!】より※
この、ドアの分だけ、偽られた私がいるというのか。
この、ドアの分だけ、本当の私は逃げ出したというのか。
この、ドアの分だけ、誰かのためにワタシが生まれたというのか。
※短編作品【おーい、どこ行った?】より※
ドアの前で自分の気持ちを確かめながら、苦しい現実を噛みしめて言葉を絞り出すイメージで「、」を多用
……ウマい。
……しみじみ、美味い。
……めちゃくちゃ、うまい。
※短編作品【ホウレンソウがたらふく食べたい】より※
食べながら美味さがどんどん増していく様子を文字数増で表現
ここには、おばけがいる。
ここには、悪魔がいる。
ここには、天使がいる。
ここには、半透明の家族がいる。
ここには、モフモフがいる。
ここには、妖怪がいる。
ここには、宇宙人がいる。
ここには、二次元人がいる。
ここには、神がいる。
ここには、魔法がある。
ここには、異世界がある。
ここには、すべてがある。
※短編作品【さて、何を書こうか。】より※
なんかめっちゃいろんなもんがわんさかいる感じ、地味に文字数のバラバラした感じを背の高さがばらけているイメージと重ねていたりする
~以下蛇足的な呟き~
※このエッセイを公開した時、なろうでわりときつめの執筆論的なものが投稿されてまして…それに触発されて呟いたモノです※
小説家になろうというサイトは、誰でも自由に小説家になれるサイトですよね。
初めて文字を書いて発表する人も、ここなら小説家!
自分の書きたい物語を発表できる場所!
自分の魂を込めた作品を魅せることができる場所!
自由であるがゆえに、わりと…傷つく人がいるような気がしないでもないのです。
自由であるがゆえに、たまに…傷つけてしまう人がいるような気がしないでもないのです。
本人が楽しんで物語を書いて発表しているのに、常識を投げ込んでくる人だとか。
本人が喜んで物語を書いているのに、一般論と称してその勢いを止めにかかる人だとか。
本人が何も知らずに物語を書いてしまって、勉強が足りないと一喝する人だとか。
親切心から投げかけた言葉だとしても、受け取る人が非常に繊細であったならば。言葉は、物語を生み出す人を蹴散らしてしまうかもしれません。
その結果、書かれるはずだった、宇宙を感動させるような壮大な物語が、この世に生まれることすらできずに消滅するはめになってやしませんかってね。
常々思っているんですけど、このなろうというサイトって、小説家になりたい人と、物語を書きたい人が混在しているからもめ事が起きるんじゃないのかなあ……。そりゃあプロになりたい人だったら、お金の発生する、お金を出してでも読みたい物語を書かなきゃいけないからルールやマナー、常識が求められると思うんです。
でも、仕事としての需要や執筆作業に対する賃金とか関係なく、ただ自分の思いや気持ち、思い出や呟きを物語にして発表するだけだったら、そこまで神経質にならなくてもいいんじゃあるまいか?
自由に文字を書いて喜んでる人に、一般常識という枠をハメ込むのってどうなんだろう。常識があってはかけない世界もあるんじゃないかな…。
世間一般が認めるような文学作品ではなくて、見て楽しいアスキーアート的なものとか。作者の書かない空白の中に、読む人が己の感情を練り込むような自由度の高い物語…素敵だと思うんだけどなあ。
文章がなってない、情景が書けてない、感情がない、常識がない、ないないないない……なくてもいいんじゃない?
わりとたぶんかなり絶対無理だとは思うんですけど、プロを目指している人の印みたいなのがアイコン表示できるといいんじゃないのかなってたまに思います。アイコン付きの人にはキツいツッコミや厳しい指導OKみたいな……。