食堂
体調が思わしくないので、大きな病院に行くことになった。
かかりつけ医では十分な検査ができないので、精密検査を受けることになったのだ。
久しぶりに訪れた病院は、ずいぶん様変わりをしていた。
入院中に利用していた売店はコンビニになっているし、いつの間にかコーヒーショップもできている。医療相談室もずいぶん増えているし、ベンチがあちらこちらにあって非常に快適な空間になっている。
待ち時間の長さは相変わらずであったが、対応してくれる看護師さんや事務員さんがやけに柔和になっていて驚いた。
昔はちょっとわからないことを聞いただけで、ずいぶんあたりの強い返答が帰ってきていたのだが。
ぎゅぅーー、ぎゅるる、ぐぅうーくう!
検査を終え、診察を受けて、次回予約を取ったあたりで、腹がけたたましく、鳴った。
検査をするから何も食べずに来いと言われていたため、非常に腹が減っている。病院の食堂に行くことにした。
十年前まで…、何度も入っていた食堂は、今も営業していた。
メニューを見ると、あのころ食べたものと同じものが、並んでいる。
きつねうどん、てんぷらうどん、和風ハンバーグ定食、焼き魚定食、日替わり定食。
今日の日替わりは……ポークピカタ。
十年前、何回か食べたメニューだ。
「いらっしゃいませ。」
「日替わりお願いします。」
「はい。」
お冷はレモン入り、変わってない。
机の並びも変わっていない。
店員さんはたぶん……ちがう人だ。
作ってる人は見えないからわからないな。
値段はどうだったかな、そんなに変わってないと思うが、よく覚えていない。
「おまたせしました。」
ご飯と、おしんこと、みそ汁と、ポークピカタの乗ったお皿が、トレイの上に載ってやってきた。
……ああ、この絵面は、見覚えが、ある。
十年前に食べたものが、そのまま目の前に現れた。
味は……どうだろう。
パクリと、ポークピカタをひと切れ、口の中に入れてみる。
……変わっているのか、いないのか、よくわからない。
ものすごく大好物だったわけでもなく、ただ何となく食べていたメニューだったからか、あまり味に思い入れがないのかもしれない。
普通に、美味しいおかずとしか思えない。
ただ、見た目はずいぶん、懐かしい。
二枚の薄切りキュウリ、ピカタの微妙な焦げ目、せんキャベツの絶妙な太さ、おしんこの色味、白いご飯に、合わせみそのわかめの味噌汁。
減っていく様までもが、実に懐かしさを呼ぶ。
初めにキュウリを食べたなあ、おしんこはピカタが半分になったら食べたんだ、みそ汁はいつだって最後に飲んで。
みそ汁は、お父さんの分まで飲んでたんだった。
血圧が上がるから俺は飲まんと言って、私がもったいないと言って飲み干して。
おしんこは息子の分も食べてたんだった。
ご飯はいつも半分息子に食べさせてたっけな。
娘はいつもここできつねうどんを食べていた。
……懐かしい場面が、次から次へと浮かんでくる。
おかしな話だ、私はおなかが空いて空いて仕方がなかったはずなのに。
……なぜか、胸がいっぱいになって、箸が進まない。
トレイの上には、まだご飯が、せんキャベツが、ピカタが、みそ汁が、残っている。
ここには今、私しか、いない。
私しか、日替わり定食を食べる人はいないのだ。
食べないから食べてという誰かは一人もいないのだ。
食べられないから食べてと言える誰かは一人もいないのだ。
……ずいぶん、食が細くなってしまった。
注文した食事を残す日が、来るなんて思いもしなかった。
誰かに付き添って病院に来て食堂に入った時は、全部食べることができていたのだけれど。自分のために病院に来て食堂に入ると、こんなにも食がすすまないとは。
今まで、さんざん誰かに付き添って来た、私。
誰かに付き添って欲しいと願うことすら……贅沢になってしまった。
きっと良くなるよと励まし続けてきた私に、きっと良くなるよと励ます人は、いない。
「ごちそう様でした」
すべて食べきることができなかったくせに、ポークピカタに手を合わせる。
余ったごはんも、飲みきれなかった味噌汁も、どことなく悲しそうにトレイの上に佇んでいる。……申し訳なさが、私の中に広がる。
伝票をレジに持っていき、支払いを済ませた私は。
「ありがとうございました。」
もう、ここに来るのはやめようと決めて、食堂をあとにした。
何て言うか…孤独な人が二人いたら、孤独ではなくなることが可能だと思うタイプです。たくさんの人の中にいるのに、誰もわかってくれない、自分は孤独だと自ら遮断してしまう流れにはなりたくないと個人的には考えていて、わりかし気軽に知らない人に声をかけてはやらかすという残念な傾向がですね…。
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