魂の一打
「こんばんは。……お久しぶり。」
残業を終えて疲労困憊で帰路につく僕の目の前に現れたのは……、かつての同僚。ずいぶん前に、自己都合で退職していったんだったよな。真面目でいつも一生懸命で…頑張りすぎていたイメージだったけど。
「あれ、久しぶりだね、元気?どうしたの。」
ずいぶん…痩せたな。昔の脂ぎった顔が嘘みたいだ。……大丈夫なのか?
「元気じゃないよ、もう終わりなんで、俺。」
「もう終わりって…まだ若いんだし、そんなこと言うなよ。」
「いえ、もうこの人は終わりなんですよ。」
かつての同僚の後ろからいきなり黒っぽい人が現れた。え、この人初めからいたっけ?!
「ああ、どうも、わたくし魂を管理しているものですけれども。」
「はあ?!何言ってるんです?!からかうのは…!!!」
黒っぽい人は、僕の目の前でふわりと空に浮いた。・・・おばけ!!!
「叫ばなくても結構ですよ、わたくしあなたに危害は加えませんので。」
「危害は加えなくても恐怖心を与えてるじゃないか!勘弁してくれよ!」
逃げ出そうとした僕に、同僚が立ちはだかる。
「待ってくれよ。……俺はね、最後にあんたに会いたくて……やってきたんだから。」
「はあ?!なんで僕?!普通は彼女とか親とかじゃないの!!僕なんて君に最後に会ったの……二年前じゃないか!!」
そりゃ働いてた時は一緒に飯も食ったし、喫煙室で一緒にタバコ吸ったりもしたけど!!一緒に遊びに行ったこともないし自宅すら知らないんだぞ!!
「俺はね、あんたが嫌いで嫌いで仕方なくて。ごく普通に楽しそうに生きてて、許せなくて。俺がこんなに一生懸命普通の人であるために心を痛めているのに、あんた本当に……普通に暮らしてたじゃないか。いやな上司にこき使われても次の日には立ち直るし、胸糞悪い客に罵倒されても次の日にはにこやかに接客してただろう。何の苦も無く普通に人生を楽しめてるあんたが……嫌いで嫌いでね。」
「はあ?!僕だって毎日嫌なことはあるし引きずることだってあるよ?!なんで僕がそんなに嫌われなきゃいけないんだ。企画部長の方がよっぽどじゃないか、君も嫌いだって言ってただろう?!」
ごく普通の同僚だったと思っていたのに、こんなにも悪意を向けられるとは。そんなに僕は同僚に悪いことをしたのか?…いや、普通だったとしか思えない。
「企画部長は、いやな上司。いやなやつという役割をしているだけの、いやなやつ。それに対してあんたは…俺の心を逆なでする。あんたを見るとイライラする。あんたがいるから俺はここまで地に落ちた。あんたがいるせいで。……だから、俺は。」
「なんで…なんでだよ!!一緒に飲んだこともあったじゃないか、笑って部長の悪口言ったこともあったのに、なんで僕を!!」
人の悪意というものは、こんなにも恐ろしいものなのか。真正面から恨みがましい言葉と視線を受けて、僕は一歩も動けない。
「もう、俺には時間が残されていない。この人から許しをもらったんだ。……魂の一打をあんたにお見舞いすると、…決めたのさ。」
「魂の一打?なんだそれは!!」
黒っぽい人が、僕の目の前にふわりと下りたつ。
「魂の一打というのはですね、魂の持ち主が一度だけ放てる打撃の事です。生きた証すべてをぶつけることができます。ぶつけられたら、ぶつけられた魂は砕け散ります。さあ、覚悟してください。」
「はあ?!なんで僕が!!!いやですよ!!」
「逃げんなよ。お前、誰にでも気軽に死ねって言ってただろ。クソして出てきた部長が通り過ぎた後で死ねよクソじじいって言っただろ。すれ違った香水くせえババアに死ねよクソババアって言っただろ。外で泣いてるガキ見て今すぐ死ねクソガキって言っただろ。テレビでふざけてるアイドル見てうぜえ女はマジで死ねよって言っただろ。コンビニで箸付け忘れた店員に今すぐ死んで詫びろよって言っただろ。お前にとって死ねよはすぐに口に出せる言葉なんだろ。人に言えるんだったら受け止めることもできるだろ。今すぐ死ねよ、ああ、違う、今すぐお前は死ぬんだよ、さあ、死ねよ。」
同僚の体がぐらりと揺れて、体が、揺れて、ふわりと何かが浮き出して、勢いよく僕に…!!!僕に…!!!だめだ!!!逃げられないっ…!!!
バッチ―――――――――――ン!!バ、ババババ…!!!
体に衝撃は来なかった。けれど、確実に、僕の心が、弾けた。散り散りに散らばる、自身のすべてを感じた。立ち尽くす僕の体から、一瞬ではあるが、魂が吹き飛ばされたのだ。その、恐ろしいまでの虚無感。その、恐ろしいまでのやるせなさ。その、恐ろしいまでの恐怖。
「やあやあ、お疲れさまでした。」
「…僕は…いったい…。」
目の前には、黒っぽい人。同僚の体は消えてしまった。今、ここに確かにいたというのに?!
「あなたの魂は一瞬砕け散ったんですよ。で、一瞬で元に戻ったというわけです。」
「僕は…生きて、いる?」
思わず、両手を開いて、握って…動きを確認する。手が、震えている。
「生きてますよ、たかだか一介の魂が生きてる人の魂を攻撃したところで壊せるはずがないんですよ。ま、この人はあなたを壊せると勝手に勘違いしてたみたいですけどね。」
「でも確かに僕の魂が…ダメージを受けたような気が…。」
僕は、一度死んだってことか…?黒っぽい人は虫取り網のようなものを取り出して、辺りに漂っている靄?を捕獲し始めた。
「まあ、魂は一瞬砕けましたがね、生きてますから、また元に戻ったんです。でもほら…この人はもう死んでますから、砕け散ったらあとはバラバラになってそれでおしまいなんですよ。…よし、全部回収した。」
同僚はすでに死んでいる?じゃあ僕がさっき見たのは?
「もう死んでるんですか?さっきまでここにいたのは…。だいたい、こいつはなんで…僕をこんなに恨んでいたんだ…。」
「いわゆる生霊ですね。死ぬ直前にどこぞの通行人に暴言吐かれて、その瞬間にあなたを思い出したみたいですね。で、一気に恨みや妬みや怒りが膨れ上がってですね。わたくしがこの人の魂刈ろうとした時に魂の一打の事を教えたらぜひとも一打を放ちたいとね、願ったもんですからね、ええ。」
とんでもないところでとばっちりを喰らったみたいだ。なんで僕がこんな目に合わなきゃいけないんだ!!
「なんで僕が…普通に生きてるだけなのに!!!」
「人の恨みをかうというのはねえ、積み重ねもあるかもしれませんけど、一瞬で膨れ上がる場合もあるんですよ。あなたはひょっとしたら、恨まれやすいのかもしれないですねえ。まあでも所詮死んだ人はね、相手が生きてるうちは敵いませんから。せいぜい悪態つきまくって元気に生きていってくださいよ、じゃあ。」
黒っぽい奴が立ち去ろうとしている。待て!僕はまだ聞きたいことがあってだな!!!
「ちょっと待ってください!!!僕は…大丈夫なんですか?!バラバラになったんですよね?!」
「大丈夫ですよ、魂ってのはですねえ、命でくっついてるパーツみたいなもんでね。命があれば、ばらばらになってもまたくっついて元の形に戻ることができるんですよ。そうですねえ、例えるならば、磁石と金属みたいなもんですかね、磁石が命で、金属が魂の欠片、パーツみたいなもんです、ええ。まあ何度魂の一打を受けたところですぐ元通りになるし気にしないで生きてってください、では失礼。」
黒っぽい人は暗闇にスッと消えてしまった。
僕は…人に恨まれる恐怖を、知ってしまった。
何気なく口癖のように呟いている言葉が、誰かの最期に思い出されて、恨みをかって、渾身の力をぶつけられる恐怖を、知ってしまった。
駅に向かう足取りは…かなり、重い。
僕は、自分の命を砕けさせてでも消したいと願われるような人間だったという事か。
夜十時を過ぎた駅構内は人が少しまばらだ。疲れている…。
ベンチに座ろうとした時。
「おい!!何やってんだクソじじい!!」
「す、すみません…。」
酔っ払いが年配の男性にぶつかったのに、悪態をついている。
「けっ!!くたばれよじじいが!!」
年配の男性はバランスを崩してカバンを落とし、膝をついている。酔っ払いはふらふらしながら反対側のホームに来た電車に乗り込んで行った。
年配男性は乗車列の前でまだ膝をついたままだ。間もなく電車が到着するとあって人が乗車番号前に集まり始めた。しかし、男性に声をかける者は…誰もいない。
…邪魔だな。いつもなら完全スルー、心の中で悪態の1つもつくところだけど。僕はおじさんの転がっているカバンを拾って、手渡しながら顔をのぞき込む。
「おじさん、大丈夫?」
「おお…すんません、ありがとう。」
ありがとうという言葉をもらって、落ち込んでいた僕の心は少しだけ軽くなった。
……軽く、なったのだ。
恨みをかって、恨みを晴らされて…こんなにも落ち込んだけれども。
……誰かに感謝されたら、こんなにも救われるものなのか?
なかなか変わるのは難しいかもしれない。
けれど、僕は変わりたいと思う。人の悪意に本気で恐怖を覚えたからだ。
魂を砕かれるのは、もうこりごりだ。
これからはできるだけ、出す言葉を考えよう。
無意味に悪態をつくのはやめよう。
…どこで恨みをかうのか、わからない。
…僕は同僚のように、恨みをぶつけて砕け散るような生き方は……したくない。
感謝の言葉なんて、きれいごとだと思っていた。
けれど、そのきれいごとに、こんなにも助けられている自分がいる。
「…ありがとう。」
魂を砕け散らせてまで教えてくれた同僚に…感謝の言葉をつぶやいた時、電車がホームに入ってきた。
「…なんだ、ついでにもう一つ魂が手に入ると思ってたんですけどね。」
どこかで声が聞こえたような、気が、した…。
今はいろんな啓発本が増えたから、わりと気晴らしのチャンスが増えたなあという印象です。
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