0/1理論(ゼロイチリロン)
……人の歴史に、数値あり。
有るものを数える。
有るものを数字で表す。
数字という考え方は、人を発展させた。
数を使い、物質を管理する。
数を使い、生活に利用する。
数字を使うための、計算という技術が生まれた。
数字を使い、予測をする。
数字を使い、答を出す。
数字を使う上で、人は足りないものに気付いた。
数字は、有るから使うものである。
数字は、無いものには使えない。
無いものを表す数字がない。
無いものがあれば、有るものと比べることができる。
無いものが有れば、有るものが無くなることがわかる。
ないものをあらわす、0が生まれた。
人にとって、0の発見は偉大であった。
人にとって、0の発見は分岐点であった。
0を使い、人はあらゆる事象を計算した。
有るものが、0になるまでの過程。
有るものを、0にするための方法。
人は、0に傾倒した。
有るものとないものが、人を夢中にさせた。
有るものと無いものが、人を育てた。
人は、0なくしてはいられなくなった。
有るものと無いものが、人に制約をかけた。
有るものと無いものが、人の未知を阻んだ。
0は、可能性をも無いものにしたのだ。
有るものと無いものがある、その考え方に囚われた。
有るものと無いものが有る、その考えのもと答えを出した。
0を使うことで、可能性を無にしている。
無いという思考は、宇宙にそぐわない。
無いという思考が、宇宙との関わりを削ぐ。
宇宙には、すべてが存在している。
あるもの、ないもの、すべてが存在している。
宇宙で発生した事象はすべてあるものである。
……ゼロという考え方は、宇宙においては戯言だ。
無いという考え方で、有るものを見ようとしても見えまい。
無いという判断ありきの計算式を使っているうちは…見えてこないだろう。
0を使って有るものを判断しているうちは、宇宙へは進出できまい。
数にこだわる、人ならではの定さだめなのか。
肉体という限られた器を持つ、人ならではの宿命なのか。
人の生み出した数字という仕組みだけで判断しているうちは、宇宙を理解できまい。
人は、未知を知るための心構えができていないのだ。
人は、未知を知るうえで不要なものを手放せないのだ。
人は、自ら枷にしているものに気がつけない。
真に、遺憾である。
実に、残念でならない。
宇宙で発生する前の事象は、無いものではないのだ。
まだ発生していない事象は、まだ発生していないだけなのだ。
宇宙において、発生することは在ることである。
新しく発生することは、宇宙ではすべて受け入れられる。
……人が、0を手放す日もいつか発生する。
【可能性はゼロではない】・・・いい言葉だ。
だがしかし、私は0という数字を使っていることに不満を覚えるのである。
長く人を研究した結果、私もまた0に囚われ始めたのかも、知れない。
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