狭い会社の中で結婚相手見つけたら会社に携わる人全員からやめとけと言われましたが、なんかめんどくさいので強行突破しました、その結果。
上着一枚では少し肌寒くなった季節、私は和風テーマパークに遊びに来ていた。同行するのは、少し丸っこいフォルムの、ニコニコした青年…私の婚約者である。
「お昼何食べる?」
「うーん、そんなにおなか空いてないんだよね……。」
和風テーマパークの中には、レトロな出店や和食レストランなどがあった。
「うわ、見て!本格すき焼きだって!」
「ホントだ…えっ、一人前……6000円?!」
日本最初の牛鍋屋を再現したという料亭は、そのテーマパークの一押しのお食事処だった。休みの日にテレビ番組特集が組まれていたのを何度も見たことがある。あまりにも高級すぎて、憧れるどころか遠くから眺めて満足したい、そんな場所として認識していた。
「せっかく来たし、食べていこうよ!予約なしでも入れるって!」
「うーん…でも、6000円はちょっと……、おなかも空いてないし。」
正直、財布の中身が心配だった。
一万円は入っているけれど、祖母に頼まれたお土産を買わなければいけない事を考えると踏ん切りがつかなかったのだ。また、それほどおなかが空いていないのにそんな高級なものを食べることに躊躇を覚えた。
「そう?僕おなか空いてるから二人前食べられるよ!行こうよ、余ったら食べてあげるから!」
婚約者はもうすき焼きを食べる気満々のようだった。めちゃめちゃニコニコしている、むげに断ったら、かわいそうだ……。
「そうだ、じゃあ、一人前頼んで、半分こしない?そしたらお金は半分で済むし無理に食べる必要もなくなるでしょう?」
「いいねえ、じゃあそうしよ!」
厳かな雰囲気の門をくぐり、料亭の中に入ると…誰もいなかった。やはりお高いお店だけあって、一般人の入店は少ないのだな、そんなことを思った。
「いらっしゃいませ、お二人ですか?」
「はい。」
奥から顔を覗かせたおかみさんに返事を返すと、婚約者は靴を脱ぎ始めているではないか。…よほどおなかがすいているに違いない。
「すみません、二人なんですけど、一人前のコースの注文ってできますか?」
「…ええ、大丈夫ですよ、どうぞお上がりください。」
靴を脱ぎ、下足箱に入れる。
おかみさんに案内されて、真新しい畳敷きの座敷に通された。
「ただいまお茶をお持ちいたしますので、お待ちくださいね。」
高そうな調度品が並ぶ空間に、ジャージ姿の青年と手編みのボレロとコットンワンピースを着こむ私がいる。こんな格式高い場所にいていい恰好じゃ……ない!……明らかに、場違いだ。
「うわあ!何あのツボ!変な形!!青いのばっかだけどでかくて派手なお皿だねえ、オムライスのせて食べたい!」
「あれは古伊万里だよ、ひとつ何十万もする日本美術史のブランドで、吉祥文様が特徴的な……。」
「あら、よくご存じですねえ、こちらはね、玉取獅子と言って、子宝祈願の意味がある縁起物でしてね。」
座敷に通され、お高そうな急須と茶碗でお茶を出される。
私の貧弱な解説を聞かれていたようで、恥ずかしくなってしまった。
婚約者は注がれたばかりのお茶に手を出し、ふうふうと湯気を吹き飛ばしている。
「ずいぶん年代物が多いようですけど、保険とかかけていらっしゃるんですか。」
「ここだけのお話ですが、レンタルなんですよ。来月は有田焼が入ってくるんです。」
なるほどね、高級な料亭?はお客さんに目でも満足していただこうとしているのか。なかなかお目にかかれない、年代物の焼き物を見て思わず息をのみ飲み、唾をごくり……。
「では、一人前のコース、作らせていただきますね。」
「えっ…給仕して下さるんですか?」
「わーすごい!貴族にでもなったみたいだ!僕この脂身好きなんですよぉー!」
丸くて大きな鉄鍋の上に牛脂を乗せ、その溶けて液状になった部分に真っ白なさしの入った牛肉を一枚のせる……。
みるみるピンク色の肉の色が変わっていくのに見とれていると、茶色いツボから白い粉をひとすくいして肉にまぶし始めた。
「昔はねえ、お砂糖も高級品でしたから。こうしてたっぷりと焼きながらまぶして火を通したんですよ。」
「これお砂糖ですか、こんなにも入れちゃっていいんですね!へぇ~。」
「わー、甘そう!マズかったらどうしよう!!」
和服の袖をちょいとつまみながら、実に手際よく肉を炒めていくおかみさん。……あたりに香ばしいにおいが漂い始める。
そこに急須?で、茶色い液体を流し入れ、ネギ、豆腐、白滝、シイタケ…具材を投入し始めた。
「こちら割り下を入れました。ぐつぐつ煮えてきたら食べごろになります、ご飯を盛ってきますので、少々お待ちくださいね。」
すたすたと座敷を出ていくおかみさんを見送り、ふつふつと沸いていくすき焼き鍋?を見つめる。
「これさあ、もう肉火通ってるよね、食べちゃおっか!」
「うーん、ちゃんと出来上がるまで待とうよ、ご飯も来るし。多分生卵も来るはずだよ。」
…なんというか、天真爛漫すぎる婚約者を見て、少々心配のようなものが、ぼちぼち胸をよぎるのは、気のせいか。
…そうだなあ、昔から私はいらぬ心配をし過ぎだと、変なところで気を使い過ぎだと親友から注意をされてきた。
…うん、たぶんこれは気のせいだ、私はもう少し目の前の無邪気な青年のお気軽さを分けてもらうべきだな、うん。
「こちら宜しければ、どうぞ!」
戻ってきたおかみさんの手には、小盛りのごはん茶碗が二つと、生卵が二つ。どうやら一人前しか頼まなかったので、不憫に思った?のか、サービスして下さるようだ……。
「わーい!イイんですか!ありがとー!もう食べていい?」
「はい、どうぞお召し上がりください。ご飯のおかわりが必要でしたら遠慮なくおっしゃってくださいね」
「あ、ありがとうございます……。」
なんだか居た堪れなくなって、あんまり食が進まなくて。
お肉も小さな切れ端を一つ貰って、満足しちゃって。
婚約者はガツガツとお肉を食べて、ご飯を三杯もおかわりして。
「……ってことがあったんだよ。だから私あんまりお金ないの、給料がでるまで飲みにはいけないな!!」
とある都会の片隅の、雑貨店の作業台でPOPを書いていた私は、バイト君たちの飲み会の誘いを断るのに必死だった。……先日の散財のつけがですね。
私は社員なんだけど、なんていうかバイト君たちとの垣根?がなくて、やけにこう仲良く毎週飲み会やらカラオケやらボウリングやらに行っていましてね。きょうびの学生は一人暮らしの貧しい大人よりも金を持っているのだ、くそう……。
「ちょ…アカさん、それマジ?!もうさ、春川さんと結婚すんのやめた方がいいよ!普通さあ、そういう時っておごるじゃん!なにアカさんの分まで食っちゃってんの?有り得ん!!絶対不幸になる!!!」
「うわあ…肉一口とネギ二本で3000円払ったの?ダメだよ、自分を安売りしちゃ!茜ちゃんは人生を棒に振る気?!」
「いくら世間知らずだからって程度ってもんがあるでしょう、完全にやらかしてるな、春川さんは。」
「いや…漬物も食べたよ、それに家まで車で送ってくれたし、ガソリン代も500円しか出してなくて……。」
「「「ガソリン代まで払ったの?!」」」
私はいわゆる職場結婚をするので、婚約者もバイト君たちにとってよく見知った人物である。
なんとなく、人の結婚を目の前にして、いじり倒して喜んでいる節があるのであんまりこういう日常のことは口に出していなかったんだけど、ついつい飲み会を断る口実としてですね。
しまったなあ、黙って腹が痛くなったから行かないとか言っとけばよかった。
「うう、かわいそうすぎるよアカさんがー!!!春川許すまじ!!」
「もう今日は良いよ、うちらでおごってあげる、食べられなかった牛肉の分、いっぱいお食べ?ね?!」
「俺ぜってー社長来たらチクろ!!つか専務にも言うわ、こんなんダメだわ!!!」
その晩私は、社会人のくせしてバイト君たちにおごってもらうという情けない展開をですね。
「春川!!お前という奴は!!!」
「ねえ、岩本さん考え直した方がいいよ、世間にはね、もっと頼りがいのある人いっぱいいるよ?こんな狭い会社の中で一生の相手見つけていいの?」
「身近なところで手を打ったら後悔するよ、僕イイ人紹介しようか、こんなあほよりも素敵な人いっぱいいるんだよ?」
「ええー!みんなひどーい!!僕ほどいい人いないのに!!!」
「は、はは……。」
バイト君たちはしっかり社長や専務、事務員さんに各店舗の店長まで婚約者のやらかし?を伝えたらしく、後日退職前に連れていかれた食事会の席で散々いじられることになったのだなあ。
退職までの間、各店舗の店長が顔を出しては、私にねぎらいの言葉と婚約者に罵声の言葉を浴びせていったのが思い出される。
あの後結婚して、わりとすぐに旦那が実家の家業を継ぐことになり、お世話になった会社を退職する事になったんだよね。慣れない工事屋の仕事を手伝いつつ家族が増え、猫が増え、犬が増え、地域に溶け込んで町内会やらPTAやら体育振興会やら市長を励ます会やら全国父親の会やら母親委員会やら伝統芸能保存会やら子ども活動推進委員やら神楽保存会やら自然を愛する市民の集いやら自営業者のクラブやらまあホントにいろんなことに手を出し足を出し口を出しで……。
旦那がいい人であることは間違いないのだが、如何せんこう、それに伴う被害も甚大でわりとたまに、ううむ……。
「お母さーん!!ねえ、これ見てよ、昔食べた牛肉!!覚えてる?!なんか花田さんに割引券貰ったから食べに行こ!!」
「ええ、何それ!!イイなあたしも食べたい!!!」
「高い肉だ!」
ボチボチ、豊かな人脈を得たことによる恩恵を受けつつ、現在はわりと普通に、暮らしているから、まあ、うん……。
昔旦那を罵倒した店長はモラハラで離婚したし、旦那を馬鹿にしたバイト君はバリバリ仕事をするようになって独身貴族を貫いている、専務は気の強い奥さんに尻に敷かれるようになって、旦那にパンチをお見舞いした同僚は昼ドラも真っ青のどろどろ展開を…うん、うちはまだ平和か。いや、ずいぶん、恵まれている方に違いないぞ。
「まあ…久しぶりに行くか……。」
「「わーい!」」
「行こう!」
まあ、安定のいつものパターンで、特級の牛肉は一口も食べられず、なぜか漬け物でご飯を食べて帰る羽目になったわけですけれどもね……。
はあ……。
いや、ホントあの肉はうますぎてね、うん……。