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神はいましたか。
いつのころのお話だったか、ずいぶん昔のことです。
その時代、天変地異が多く、人々は神に祈りをささげておりました。
おお、神よ、私たちをお救いください。
神よ、私たちは、この娘を生贄とし、ささげます。
どうか怒りをお鎮めいただき、わが領地に安息と平穏をもたらしたまえ!
生贄に選ばれたのは、町の外れの子沢山の貧しい農家の、一番上の娘でした。器量よしで働き者、誰もが嫁にほしいと願っていた、娘でした。
娘は、身包みをはがされ、生贄を入れる棺の中に押し込められました。
幼い弟、妹たちは、泣いて姉を追いますが、みな、払いのけられ、手を伸ばすことすらできませんでした。
棺の中で、裸の娘は、涙をこぼし、自分の運命を、悲しみます。
私は、神に捧げられる。
たった一人で、知らない土地で、何も残せず、何もなさずに、死ぬのね。
生贄をささげる、神の山の中腹にある洞窟に着きました。
屈強な男たち四人の力を合わせて、ここまで運ばれてきた棺のふたが、開きます。
男たちは、いらだっていました。二日間にわたって、重たい棺を担いでここまでやってきたのです。誰一人として、神を信じてはいませんでした。
褒美はたったの20枚の小銭。
足りない。
足りない。
足りない。
……足りない。
男たちは、目の前にある、手付かずの無垢な体に手を出しました。
俺たちは、働いたのだ。
報酬をもらっていいはずだ。
これは貢物などではない。
貢物を受け取るものなどいないのだ。
これはただの肉。
ただの肉。
貪られた肉は、大きな鉄の鎖で洞窟中央の広場に、つながれました。
がっちり嵌った鉄の足輪は、短い大きな鎖とつながっていました。
鎖の先には、大きな岩が乗せられていて、とても動かすことはできないようになっていました。
少女は、目を覚まします。
痛い。とても痛い。
体中が、ひどく、痛い。
体中に、汁がこびりついていましたが、それをぬぐう方法がなかったので、そのままでした。
体中から血が流れていましたが、やがて血は止まりました。
洞窟の中央は、湿った空気が漂っていました。
草も生えておらず、ただ、つるりとした岩盤が何枚もありました。
ごつごつした岩肌が、広がっていました。
時折水音がするのは、おそらく水源があるからだとは思うのですが、岩肌に隠れていてよくわかりませんでした。
上を見上げると、月の一部が見えました。
岩と岩の間に少し隙間があり、そこからほんの少しだけ、空をみることができるようでした。
少女は神を待ち続けました。
しかし、いつまで経っても、神は少女をさらいに来ませんでした。
私が穢されてしまったから、神はここにはこないのだと、少女は思いました。
少女は、一人で、死を待つことを受け入れました。
何日か過ぎて、少女にまとわりついていた汚れは、すべて乾いて剥がれ落ちました。
この洞窟は、朝と夜はとても湿気を含んだ空気が流れているのですが、昼間、岩の間から光が射すうちは乾いた空気が流れていたのです。
湿度をまとった汚れは、乾燥した空気に乾かされて、剥がれ落ちていったのです。
何日か過ぎて、少女はおかしいなと思いました。
おなかがすかないのです。
食欲は、棺に入ったときから消滅していました。
最後に食べ物を口にしたのは、棺に入る前日。
最後に水を口にしたのは、棺に入る前日。
おそらく10日は、過ぎている。
なのに、私は、なぜ生きているのだろう。
なぞが解けないまま、少女は毎日、神を待ちました。
まだ、神は現れません。
まだ、神は現れません。
まだ、神は現れません。
少女は、自分の体の異変に気が付き始めます。
食べること、飲むことを忘れた体が、ふと、動いたような気がしたのです。
体が、少し、膨らんできたと、気が付きました。
日に日に、大きくなる体。
日に日に、動きを増して行く、腹の中で動き回る、何か。
ある日、少女は、激しい苦しみに襲われました。
岩の隙間から月がのぞき、日が差し、再び月がのぞいた頃。
少女は、命を、誕生させました。
血にまみれた命は、やがて声を上げ、少女の乳を吸いました。
少女は、ここに神は来なかったけれど、神はいるのだと思いました。
神が、この命を、私の元に下さったのだと思いました。
命は、どんどん育っていきました。
血にまみれた体は、すっかり綺麗になっていました。
少女は、命の求めるままに乳を含ませ、互いの体温を分け合い、生きていました。
神が私を迎えに来るのであれば。
この鎖のついていない、この命を。
どうかもっと日のあたる場所へ。
そう願おうと、決めていました。
命は、抱かれているだけでなく、動き回るようになりました。
しかし、少女は鎖でつながれているので、ほとんど同じ場所にいることしかできません。
少女は、不安を覚えました。
手の届かないところに行かないよう、決して手は離さないと、心に決めました。
命は、歩くようになりました。
命は、どうしても、手を離してみたくなりました。
命は、手を、離して、少女から離れました。
少女はあわてて、手を伸ばしますが、歩くことに楽しさを感じ始めた命は、すすんでしまいました。
岩の段差で、命が、転び。
別の岩に頭をぶつけ。
命は、動かなくなりました。
どれだけ手を伸ばしても、少女の手は、命であったものには届きませんでした。
少女は、やはり神はいないと考えを変えました。
何日も何日も、命だったものを見つめました。
何日も何日も過ぎて、命だったものの形は、すっかり消えてなくなりました。
命だったもののしみすらも、そこには残りませんでした。
何日、そうして過ごしたでしょうか。
ある日、少女のいる広場に、大きな衝撃がありました。
地面が揺れて、月をのぞかせていた岩の隙間が、落ちてきたのです。
少女の、大きな鎖がつながれている、岩の上に、落ちてきたのです。
岩が割れ、鎖が抜けました。
少女は、何日も、何日も見つめ続けてきた、命のあった場所に向かいました。
歩くことを忘れた少女は、一生懸命、命のあった場所に向かって、手を伸ばし、足を動かして、たどり着きました。
命のあった場所を、いとおしく、なでました。
命のあった場所に、そっと体をのせて、涙を流しました。
「待たせてしまって、ごめんなさい」
少女が声を出したとき、大きな岩が、少女の上に、転がり落ちました。
神は、いたと、あなたは思いますか。
神は、いたと、私は思いたいのです。
だから、私は、この話をお聞かせしたのです。
神は、いたと、思いますか?
ブレサリアン、ご存じですか?
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