トンネル効果を証明できない俺は、昼飯を調達するために走ることしか…できない。
…トンネル効果って知ってるかい。
ここに壁があるとしよう、そこに向かってボールを投げる。
すると、ボールは当然跳ね返って、来る。
ところが、一定の確率で、ボールが壁をすり抜けることがある。
…これを、トンネル効果って言うのさ。
そんなこと絶対あるわけ無いって?
いやいやいやいや…。
スマホなんかにこのトンネル効果の技術が使われていたりするんだよ、マジで。
身近なところで、この謎現象は技術として駆使されていたりするんだな。
…俺は昔から小難しいことが好きでね。
トンネル効果を知ってから、いつか通り抜ける時が来るんじゃないかって思って…隙あらば壁に向かって突撃していたのさ。
…確率なんてのは、数うちゃ当たる、ゼロじゃない限り「可能性は存在する」って証拠なんだよってね。
人間が単一分子構造じゃない限り、通り抜けなんてできない?
…いやいやいやいや。
すべての分子が揃って隊列を崩すことなく通り抜ける可能性だってあるだろ?
ゼロなんてのは、数学上の理論に過ぎない。
計算に不可欠な、この上なく使用価値のあるツールに過ぎないのさ。
確率においては、0%はありえない。
可能性に、0はありえない。
おかしな持論を持ちながら、ただがむしゃらに…やけに壁に突撃しがちな俺を見て、いわゆる神さまって奴が絆されちゃったんだな、たぶん。
俺は高校二年の秋、体育館裏の壁に突撃し、トンネル効果の恩恵を…微妙に受け取ることとなった。
…俺は、壁を、すり抜けたんだ。
壁をすり抜けた瞬間のことはよく覚えている。
何の抵抗も感じないまま、両手が壁にめり込む…いや、混じっていったというほうがしっくり来るな。
壁の振動が俺の中に混じって、やけに心地よく感じられた。
……あの時、体育館内部でバスケ部の連中がドリブル練習をしていて、その振動が実に規則正しく響き渡っていたのさ。
微妙な振動が壁と俺の構築粒子の結束を揺るがし、融合…違うな、すり抜けのきっかけを生み出したと思われる。
まあ、あくまでも、俺の推測に過ぎないわけだが。
…そのまま、すべて突き抜けると思ったんだ。
けれど、俺の体は、壁を突き抜けることなく、中途半端な位置で、止まってしまった。
俺は、上半身だけすり抜けてしまったのだ。
俺は、下半身だけ突き抜けなかったのだ。
…しかも。
すり抜けた俺は、壁の向こう側に顔を出さなかった。
……すり抜けた俺は、壁の向こう側に顔を出せなかったのだ。
壁をすり抜けたら、目の前に広がっていたのは多次元…俺のいた三次元の世界よりも上の高次元だった。
人が暮らす空間ってのはさ、空気があって、建物があって…物と物の間に、何も無い場所があるだろ?
あれってさ、実はすべてが物質…なんていうかな、存在で埋め尽くされてる状態なのさ。
空気が満たされていて、物質はその中に埋まっている、そういう状態ね。
多次元は、透明な空気ってのが無くて、一般的な時間の概念が無くて、空間の概念が無くて…未知がただただあって。
俺は、俺の知る常識ってのが、まったくない場所にめり込んでしまったのさ。
…俺は相当に、すさまじく混乱した。
俺という侵入者を許した、こちらの次元のほうもずいぶん混乱したようだ。
しかし、人のように感情によって意識を揺らすようなことはなく、ただ淡々と情報確認をこなしていたように思う。
意識体の様なものが、こちらの意識に直接コネクトしてきた。
一方的に繋がれた感じだが、仕方の無いことだったと思う。
この次元では、三次元のように空間を震わせて言葉を発することができないのだ。
多次元も、こんなことは初めてで、どう対応したらいいのか考えあぐねている様だった。
活動する次元が違うものが次元の壁を越えるという事例は、明らかに異質な状態なものが存在してしまうことになる。
…低次元のものは、高次元の中に擬似事象としてある程度存在することができるのだが。
基本、多次元において、別次元の存在が進入した事例は無いのだ。
…低次元のものを、高次元に存在するものが高次元の中に生み出すことはできても、それはあくまでも同次元内で生み出された別物なのだ。
俺のいた、いわゆる三次元の世界ってのはさ、縦、横、高さ、三つの要素が空間を作っているじゃないか。
そこには、点である一次元の世界も、線や面である二次元の世界も容易に確認することができるだろ?
点を打つこともできるし、線を書くこともできる。
…だが、その点や線は、三次元内で構築された別次元の存在を表したものに過ぎない。
点の世界は、線になることはないのだ。
線の世界は、立体になることはないのだ。
ノートと鉛筆を用意して、点と線を書いたところで。
点は鉛筆の粒子の集合体であるし、線は紙の上に広がった鉛筆の粒子の集合体なのだ。
俺に起きた次元越え現象を無理やり三次元の世界で例えるならば、俺は漫画の世界から飛び出した…等身大キャラクターPOPみたいなもんだ。
三次元の世界に、いきなり自由自在に動いて話す絵が現れたら…そりゃあ世間は混乱するだろ?
…等身大キャラクターPOPで俺の状況を皮肉ってみるならば。
三次元の世界に、いきなり自由自在に動いて話す絵が現れたら…明らかに世界にふさわしくない異質な存在に、見た者たちは慌てふためくだろ?
キャラクターPOPは人間ではないから、年も取らずに…ただ三次元の空間で二次元の体をさらし続けることになるはずだ。
自分の矜持をただひたすらに訴え続けても、人間にはなれない、動物にはなれない…生命を持つことはできない。
どこかの中学生に拾われるにしろ、学者に研究されるにしろ、朽ちるまでキャラクターPOPはキャラクターPOPとしてしか、存在できないのさ。
俺も、朽ちるまで俺でしかなく、この次元で…異質な存在なのだ。
しかし、ここには俺の世界のような経過する時間が存在していないから…朽ちることが、果たしてあるのかどうか。
ただ、ただ…ここに俺の意識が上半身と共に存在し続けている、たったそれだけが、俺の真実なのだ。
明らかに生きる次元が違うものが、無理やり別次元に現れたところで…その次元でできることは限られている。
むしろ、できることなどほとんど見当たらない。
…まず、根底にある認識が違うのだ。
場所という考え方、空間という認知、時間という流れ…俺の常識は、この次元で、明らかに異質であり、不足…いや、枯渇している。
…足りないのだ、感覚できる絶対的な何かが。
…存在しないのだ、感知できる絶対的な何かが。
高次元には、俺の感覚では認識不能なものがあふれている。
三次元の中では、存在する空間は確かにひとつだったが…この次元には、多次元が常に同時に存在しているとでも言えばいいのだろうか。
…次元が重なる、同時に存在する。
…三次元での認識を手放せない俺には、いつまで経っても納得のいく理解ができない。
…理解はできないが、ずいぶんこの場所に慣れては、きたのだ。
慣れることは、できたのだ。
ここに、流れる時間はない。
…しかし、時間は、ある。
突き抜けたあの瞬間は、ここにある。
…俺は、おそらく、あの場所に帰ることができるはずなのだ。
けれど、一抹の不安がよぎる。
無事戻れるのだろうか。
無事戻れないんじゃないか。
壁を通り越せなかった俺の体はどうなっているのか。
壁を通り越した俺の体はどうなっているのか。
俺の上半身は壁と融合しているのではないか。
俺の上半身と下半身はもはや結合していないのではないか。
時間の流れるあの場所に帰った瞬間、俺の体の断面部から体組織が流れ出すのではないのか。
時間の流れるあの場所に帰った瞬間、俺はどうやって酸素を取り入れたらいいんだ。
…あの瞬間のあの場所に戻ることに躊躇する俺がいる。
どこにも、俺が以前と変わらぬ俺に戻れるという確証がない。
そりゃ、無事に帰れる可能性はゼロじゃない。
けれど、無事に帰れない可能性だってゼロじゃないんだ。
…もし仮に、無事に帰れたとしても。
ここで得た知識と常識に慣れた俺が、元の次元で…以前のように生きて行けるのか、わからない。
コネクトしてくる意識体と共に、俺のおかしな持論を展開し、討論した結果、やけに偏ったものの考え方をするようになった気がする。
完全に、この次元の常識に引っ張られていると、薄々ではあるが、自覚しているのだ。
意識体が勝手に俺にコネクトすることで、互いに情報を得ることとなった。
互いに、完全に理解はできていない部分はあるものの、理解できる部分がゼロかというと、そういうわけではない。
理解できる部分は確かにあり、理解できない部分も確かにあるのだ。
中途半端な状態の俺を、この次元は…受け入れてくれているのかといえば、おそらく…答えは否。
俺がこのままここに居ることを、拒否もしなければ受け入れもしない、淡々とした…感情とはまた違う、ただの情報交換の機会としてのみ、存在を容認しているように思う。
…俺はトンネル効果に囚われて、壁を通り抜けようと試みて、壁を突き抜けることなく次元をこえて入り込むことになってしまったわけだが。
俺の意識にコネクトした意識体が言う…というか伝えるには、俺はトンネル効果とは違う確率を引き当てたのではないか、という事らしい。
壁を突き抜ける確立と、壁を突き抜けることなく途中で引っかかる確率は、違うものであるという。
…確かに、指摘されてみればその通りだ。
俺は、壁を通り抜けることができなかったのだから。
俺が壁を通り抜けていたら、きっと俺はこの次元には…めり込まなかったはずだ。
次元の壁を越える確率がゼロではなかった…確固たる証拠が俺なのだ。
…俺はトンネル効果を超えた確率に遭遇しているのかと、少々鼻が高くなりかけたのだが。
高次元では、確率という考え方はしないらしい。
有るか、無いか。
数字という概念が、確率という概念が、薄いようだ。
数は便利だが、必要ではない。
数字…数値を存在させるための可能性を確率としてあらわすことの意味が理解しにくいらしい。
確率という考え方こそが非常に興味深いのだと伝えてきた。
だからこそ、確率という考え方を使ってみたいと考え…結果として、先のトンネル効果と壁に引っかかる確率の違いについて指摘したというわけだ。
この次元に存在する意識体は、ずいぶん俺の世界の知識を学んだようだ。
…流れない時の中で、俺もずいぶん高次元の知識を学ばせてもらったのだ。
まるで違う常識の中にいながら、俺の世界の常識を自分の頭の中で発展させた。
まるで違う常識の中にいながら、この次元の常識を自分の次元に重ねて独自に理論を組み立てた。
まるで違う常識の中にいながら、俺は研究者になってしまったのだ。
時が流れないなか、ただひたすらに研究者として、コネクトされる意識体と討論をつづける。
俺の中に、俺のいた次元で意味のない知識が増えていく。
ここにいても、俺はこの次元に生きるものにはなれない。
そもそも、この次元に、命という概念は…存在は、ないのだ。
…そんな事は、わかっている。
俺は、帰るべきなのだ。
命のある場所へ、時間の流れる場所へ、自分の認知できる空間のある場所へ。
…けれど。
おそらく僕は、帰りたくないのだ。
ここでずっと研究をしていたいと願っているのだ。
ここでずっと上半身をめり込ませていたいと願っているのだ。
俺のいた世界に帰ってしまったら、もう二度とこの次元には帰ってこれないと思っている。
とんでもない確率で、この次元にめり込んだ俺が、再びとんでもない確率を引き当てる確率など、ないに等しいと思っているのだ。
確率の概念の薄い意識体は、あったのだから、存在はするのだと…ここにまた来ることもあると考えているようだ。
だが、意識体は、命というものを完全に理解できていない。
時間が流れるという事を完全に理解していない。
トンネル効果の確率を完全に理解していない。
理解できない部分が、俺がこの次元から離れがたいと思う理由を…より不明で理解不能な、曖昧なものにしているのだ。
だが、高次元の意識体はおそらくこのまま…俺をどうこうせずにこのままの状態を保つはずだ。
感情というものを持たない、ただの情報共有は…俺が変わらない限り、続くのだ、おそらく。
今、体育館裏では、上半身を壁に突っ込んだまま、俺の下半身は無様な姿をさらしているはずだが。
…誰かが、俺を見つけて助け出してくれるかも、知れないな。
…誰かが、俺を見つけて引っ張ってくれるかもしれないな。
俺は、高次元にめり込んだ上半身を、元の次元に戻すことができるのだろうか?
引っ張られた瞬間に、上半身が元の世界に戻る可能性はある。
引っ張られた瞬間に、下半身だけがボロッと壁から外れる可能性だってある。
…分からないことだらけで、この先の展開が読めない。
俺の上半身がが壁をすり抜けた瞬間に、俺の上半身は時の流れのないこの次元にめり込んだ。
俺の上半身には時が流れないが、下半身は時の流れる場所に存在しているのだ。
時の流れる場所と連結している、時の流れない次元にめり込んでいる俺。
…俺の体は、時が流れていないんだよな?
だとしたら、時の流れている俺がいた世界に残る下半身は、時を止めているんじゃないかというのが、俺の考えだ。
あちらの世界では、確かに時は流れているけれど、おそらく今の俺は、その時の流れからは完全に隔離されていて…ここに存在しているのではないか。
時が流れていないのだから、ここでの記憶は時の流れている次元では認識されず、めり込んだ事実やめり込みから戻った事実は時の流れの中には存在しないのではないか。
つまり、次元を超えた事実は、おそらく。
おそらく。
…おそらく?
…ええと、俺は何してたんだったっけかな??
「おいおい、勇ちゃん!!まーた壁に激突してんの?」
「・・・いや?」
…俺はいつものトンネル効果証明大作戦を決行してたんだった。
「焼きそばパン今日入荷少ないって聞いたからさあ、探しに来てやったんだぞ!!」
「マジで!そりゃまずい、サンキュー。」
うちの購買の焼きそばパンはさ、コッペパン部分がちょっと甘くて絶品なんだけど、たまに入荷数が少ない日があってだな…って、うん??
…なんだ、額がひりひりするな。
ちょっと勢い余って激突し過ぎたみたいだ。
額に手をやる俺を見て、目の前の健二がへらへらと笑う。
相変わらず失礼なやつだな、こいつは保育園の時からこういう笑い方をするんだよ、まったく。
「もーせっかくのイケメンなのに、なにデコにたんこぶ作ってんだよ…ガキだなあ。」
「…うっせえ!所詮文系には理系のロマンなんてわかんねえんだよ!量子力学なめんなよ!」
俺は幼馴染をディスりつつ…昼飯を買うために購買部へと…急いだ。
このあたりから学び始めるとわかりやすい…かなあ??
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