砂粒は誇り高く
私は砂粒である。
いつから存在しているのか、そんなことはとっくの昔に忘れてしまった、ただの砂粒である。
この地球上で、何億、何兆、何京、何垓とある砂粒の、一つである。
珪砂と呼ばれる、やや灰色みのある、いくぶん透明感を携えた、砂粒である。
私が一人の少年に捕獲されたのは、もうずいぶん昔の話だ。
捕獲されるまで、私はただの砂粒であった。
捕獲されるまで、私はただの集合を成すための存在であった。
いつから存在しているのかわからないほど存在していた私が、時という感覚に気が付いたのは、たった一人の少年との出会いがあったから、である。
人というものも、ただの集団を成すための存在だと、思っていた。
地球という場所に散らばる、80億存在している、人という、生き物。
砂に比べればずいぶん数が心もとないが…それでもかなりの数を誇っている、生命体。
地球上に生息する数多くの生命体の、一種。
翼を持たぬ体を憂い、翼を作り出し空を舞うようになった生命体だ。
海に潜れぬ体を憂い、器を作り出し海に沈むようになった生命体だ。
地を巡るのに不便な体を憂い、移動手段を作り出し地を駆け巡るようになった生命体だ。
ずいぶん強欲で、ずいぶん手先の器用な、生命体だ。
いささか構造が不安定で衝撃に弱く…生命体が持つ「時間と戦わねばならない」という制約もあってか、すべての欲を叶えるに至らない個体がずいぶん多いのが少々気の毒ではある。
欲を叶えるべく、日々欲と向き合うのが人だ。
……私を捕獲した少年もまた、強欲だったのだ。
あれは、ずいぶん日差しの強い日の事だ。
海辺で波に揺れていた私は、アサリと共に少年に捕獲されたのである。
欲に塗れた少年は、バケツ一杯にアサリを詰め込んだ。
あの日、私の数奇な運命は動き出したのだ。
アサリとともに、赤いバケツに入った私は少年の自宅へと招かれた。
アサリは食卓にのぼり食されたらしいが、私は庭の片隅に放置された。
その後しばらく、ほかの砂仲間たちと共に赤いバケツにへばりついていたが…水分はやがて乾燥し、私たちはへばりつく手段を無くし…バケツの底の方に溜まっている事しか、できなかった。
そんなある日、少年はバケツを持って公園に出かけた。
少年は砂遊びが好きだったようだ。
バケツにスコップとプリンの型、熊手にざる…砂場セットの仲間たちを入れて、意気揚々と出かけた。
砂場に着き、少年は道具を盛大に砂の上にぶちまけた。
ここで、強欲な少年の一面がまた出たのだ。
少年は、砂場遊びで使う水を汲んでこようと考えた。
たくさん汲んで、池を、川を作ろうと思ったのだろう。
バケツの中には、私を含め…砂が入っている。
このまま水を汲んだら、きれいな水が汲めなくなる、きれいな水が欲しい、そう考えたのだ。
少年は、バケツをひっくり返し、中の砂を砂場に落とし始めた。
…なかなかきれいに砂が落ち切らない。
こびりつく砂に苛立った少年は、バケツを頭の上に持ち上げ、覗き込むようにして、バケツ内部の砂を払った。
砂たちは、重力に従順に従い…少年の顔をめがけて落ちていった。
「ぎゃあああああああ!!!」
私が少年の叫び声を聞いたのは、後にも先にも…この時だけだ。
耳をつんざくような叫び声というものが…私に耳は存在しないが…こんなにも心身に響くとは思いもしなかった。
少年の叫び声を聞いた母親はあわてて駆け寄ると、水道で顔を洗わせたのだが。
「めがいたい、め、めが!!」
少年の目には、砂粒が残ったまま…痛みを与え続けることになってしまったのだ。
母親が何度も目薬を差して、砂の排出を試みるものの…砂は一向に流れてはくれなかった。
そのうち、少年の目が、赤く染まり始めた。
痛みが続き、ドン引きするような色に変わり果てた目を見て、少年は動揺を隠せない。
ずいぶん泣き続けて、ほとんどの砂粒は涙と共に少年の目の中から流れ落ちた。
ところがだ。
ずいぶんしぶとく、少年の目の中に居座り続けた個体が、いた。
いつまでたっても流れ出ない、いつまでたっても痛みを与え続ける、いつまでたっても目を赤く染める、たったひと粒の、砂。
それが、私である。
眼科に連れていかれた少年は、私を取り出すべく、検査を受けることになった。
しかし、眩しい光で照らされ、目薬を差され、暗い部屋に閉じ込められ…今まで経験したことのない状況にずいぶん恐怖を感じたようで、なかなか、なかなか目を開こうと、しなかった。
「君の目を赤くした犯人を取り出して…君にあげるから。」
眼科医は、目を赤くした張本人である私を差し出すことで…少年の恐怖心を取り除こうとした。
悪者をあぶりだし、見せつけることで…恐怖を与える行為は必要不可欠であり、健康な目を取り戻した証拠品として掲げたかったのだろう。
かくして、眼科医の策略にまんまと引っかかってしまった少年は、恐怖心に打ち勝ち…私という個と対面することになったのである。
セロハンテープに包まれた私は、少々…黄色い検査薬に浸され変色はしているものの、とくに緊張することもなく、少年と正面から対面した。
「これ、たからものにする!」
少年の強欲には、恐れ入った。
この私を、宝物として保有しようというのである。
…些か、優越感のようなものが芽生えた。
この地球上で、私だけが、この少年に…宝物として認定されたのだ。
誇りを持って、存在し続けようという気概が湧いた。
…少年は、宝物という名にふさわしい扱いをしてくれた。
宝物入れの中に、ビー玉とシールと共に鎮座し続けた。
時折宝物入れから出されて、まじまじと見つめてもらった。
夏休みの宿題のテーマとして取り上げられた。
顕微鏡で観察される記念すべき第一号の栄誉をもらった。
私は小さな額に入れられ、少年の机の上に掲げられることになった。
セロハンテープは変色し、粘着成分すらも乾燥してしまったが…私はしっかり、額の中に納まっていた。
額の中から、強欲に知識を溜め込む少年を、いつまでもいつまでも見守っていた。
少年は、やがて大人になった。
大人になった少年は、少年の頃と変わらぬ、まっすぐな目で、時折私を見つめている。
私の赤く染めた右目は、今もたまに…赤く染まる。
夜、ずいぶん遅くまで起きていることがあるからだろう。
「ぎゃあああああああ!!!」
…ずいぶん、派手な泣き声が聞こえてきた。
診察室に入ってきたのは…出会った頃の少年と同じ年頃の、少女。
少年は、今や立派な…眼科医になったのだ。
私との出会いが、少年の生きる道を決定したのだ。
私が少年の目を赤く染めたあの日があったから、少年は眼科医として名声を得るようになったのだ。
「砂場でお友達のかけた砂が目に入っちゃって…。」
泣き叫ぶ少女の右目は、真っ赤だ。
目を開かせようとしても、怖がって開けようとしない。
目薬を入れる事さえ拒む。
押さえつけている母親の手をバシバシと、叩いている。
看護師がずいぶん宥めているが…これはてこずりそうな予感がする。
大人になった少年は、いつか自分が聞いたセリフを…恥ずかしげもなく、宣った。
「君の目を赤くした犯人を取り出して…君にあげるから。」
「…ほんとに?」
少女もまた、強欲らしい。
人というものは皆、強欲なのだ、おそらく。
「昔ね、僕も目を赤くして…ほら、あれが、犯人。」
大人になった少年が指差すのは…ずいぶん大きな額に入った、私の姿である。
診察室の横の壁に誇らしげに飾られている額の中には、少年の経歴と自伝…そして私が貼り付けられている。
少年いわく、私とともに、土に帰るのが夢なのだそうだ。
私がいなければ、一人の眼科医は生まれなかったのだと、いつもいつも…酒の席で、学会で、食卓で、語っているらしい。
ずいぶん光栄だ。
ずいぶんうれしいことだ。
ずいぶん、ずいぶん誇らしいことだ。
…私は砂粒である。
いつから存在しているのか、そんなことはとっくの昔に忘れてしまった、ただの砂粒である。
だがしかし。
私は砂粒として、この上ない栄誉を賜った。
この栄誉に恥じることのないよう、いつまでもいつまでも…誇り高くありたいと、私は切に願うのである。
個人的には星の砂と海の砂の入った小瓶のアクセサリーがすごく好きです。