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ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~!

……私は、タバコが嫌いだったのだ。

あの独特のにおい。
目にしみる煙。
しっかり熱い火。

幼い頃、祖母の姉が経営する居酒屋に良く連れて行かれた。

タバコは大人の嗜好品、タバコを吸っていることがステータスだった時代。カウンターと、四人がけのテーブルが三つしかない小さな居酒屋の店内はタバコの煙でいつもかすんでいた。灰皿交換は私の仕事で、水の入ったバケツに火のついた吸殻を入れる時に何度かやけどをした。時折、茶色い水がはねて服や顔につくと、とてもいやな気持ちになった。

やがて私は育って、タバコの吸える年齢になった。

だが、タバコを吸いたいとは思えなかった。

友人、知人、目上の人に年下の人。
タバコをたしなむ人が目の前に現れるたびに、いやな気持ちがふわりと漂う。

友人、知人、目上の人に年下の人。
タバコを吸っている人が目の前に現れるたびに、いやな気持ちがもうもうと煙のように私のまわりに漂う。

友人、知人、目上の人に年下の人。
タバコの煙が私にまとわり付くたびに、いやな気持ちがびしゃりと茶色い水のように私に纏わりつく。

何もいえない私は、喫煙者を目の前にして、タバコの煙を、ただ、浴び続けているだけ、だったのだが。

「ちょっと!!ここヤニカスの巣窟!!キモイ!!帰るわ!!」

やけに気の強い、一人の女子が新歓コンパで発言した一言。

「おーおー帰れ!!大人の嗜みを理解できん奴は消えろ!!」
「お子ちゃまはぺろぺろキャンディでも舐めとけよ!!」

私も気の強い女子に乗っかって、退場させていただいた。

「あたしタバコ大嫌いでさあ、マジむかつくよね、ヤニカス!!!」

ヤニカスかあ。

「じゃ!!お互い健康な肺、維持しようぜ!!」

やけに気の強いさばさばした女子とは、あれ以来一度も顔を合わせてはいない。だが、たった一度の彼女との邂逅は、私の意識を存分に変えてくれたのだ。

タバコを吸う人が至高であると、どこか思い込んでいた自分がいなくなった。
タバコを吸うことが大人の魅力であると、どこか思い込んでいた自分がいなくなった。
タバコを吸えないから、いつまで経っても大人になれないと思い込んでいた自分がいなくなった。

たとえば、居酒屋で派手にタバコを吹き散らかしてるおっさんと隣席したとき。

――ヤニカスかあ。

たとえば、コンビニ前でヤンキーが吸殻を撒き散らして会合を開いているのを見たとき。

――ヤニカス、ヤニカス、ヤニカスかあ。

たとえば、SAの喫煙コーナーで礼儀正しくマナーを守ってタバコをたしなむ大人を見たとき。

――ヤニカス、ヤニカス、ヤニカス、ヤニカス、ヤニカス・・・。

私の中で、喫煙者はヤニカス呼ばわりされるようになった。

そんな、ある日。

コンビニの外の灰皿の前で、陽気な女子が二人、タバコを吸っていた。
いわゆるヤマンバ女子、タバコケースのデコり方がおしゃれすぎる。
盛り過ぎ2000%の前髪に、タバコの火が引火しないか心配になったのだが。

♪♪♪ひみつひみつひみつひみつひみつーのラッコちゃん♪♪♪

マンバギャルのぬいぐるみだらけの携帯の着信音が鳴り響いた。

―――ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~ってね。

頭の中に、魔法のコンパクトを広げるアニメキャラがふわりと、浮かんだ、そのとき。

――――ねえ、たばこ吸うと痩せるらしいよ!
――――ええ、マジで!めっちゃすお!!パパの盗んでくるー!

頭の中に、白い煙がぶわっと広がり、その煙が晴れるまでの数秒間に、場面が、映った・・・?

どう見ても、ごく普通の、可愛い女子が、二人、咽込んでタバコを吸っている画面。

煙が晴れると、煙をもうもうとはいているマンバギャルが二人、目の前にいた。

「あ、吸います?」
「あ、いえ、ごめんなさい。」

マンバギャルは、私の視線に気が付いて灰皿前からどこうとしてくれた。
…マナーのある、ちゃんとした子だ。

しまった、なんか私…嫌味な嫌煙家みたいじゃない…?

そそくさとコンビニの中に入り、雑誌の棚とガラス越しに、タバコを吸う女子を垣間見る。

・・・前髪に火がつきそうになって笑っている愉快な女子が二人いるだけだ…いや、前髪をパタパタはたいてる、ああ、やっぱり引火したのか、怖い怖い。

もう一度心の中で、ヤニカスの呪文を唱えても、私の頭の中に煙は出現、しなかったのだが。

とある、パーティーで隣の席に座ったおじ様が、私に一言声をかけたとき。

「すみません、灰皿があるので一服しようと思いますが、煙草は大丈夫でしょうか。」
「どうぞ。」

実に品のいい、申し出を受け、快く返事を返した。

―――ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~、かあ。

頭の中で、魔法のコンパクトを広げるアニメキャラを思い浮かべると。

――――お前も20となった、これはわたしからの祝いだ、受け取りなさい。
――――ありがとうございます。

頭の中に、白い煙がぶわっと広がり、その煙が晴れるまでの数秒間に、場面が、映った。

若い青年が、恰幅のいいおじ様にタバコとジッポをいただいている画面。

煙が晴れると、煙を優雅に吐き出すおじ様が、目の前にいた。

「ありがとうございました。」
「いえいえ。」

私は、どうやら・・・ヤニカスの魔法を会得してしまったようだ。

どういう理屈かわからないが、喫煙者の、タバコを初めて吸った日?タバコと出会った日?が、見えるようになったのだ。

一日に何人でも見ることができるが、一度見た人の場面は二度と見ることができない。

居酒屋で、灰皿がテーブルの上にあるにもかかわらず、吸ったタバコを床に投げ捨て踏み潰したおっさんがいた。

―――ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~。

――――なあなあ、こいつにタバコ吸わせたら面白い顔すんじゃね!
――――確かに!吸えよ!!ギャハハ、変な顔!写メとっちゃおー!

頭の中に、白い煙がぶわっと広がり、その煙が晴れるまでの数秒間に、場面が、映った。

少年が、ヤンキーに無理やり押さえつけられている画面。

煙が晴れると、タバコの空き箱を投げ捨てるおっさんが見えた。

喫煙室で、一人タバコの煙を見つめながら腕を組むおじさんがいた。

―――ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~。

――――タバコの自販機前で腕を組む、青年。
――――俺は口下手だから、タバコでも吸って、間を持たせるしか、道は、ない。

頭の中に、白い煙がぶわっと広がり、その煙が晴れるまでの数秒間に、場面が、映った。

青年が、しかめっ面をしながら、煙を吸う画面。

煙が晴れると、おじさんはタバコの火を消して、喫煙室から出て行った。

ファミレスで、ここは禁煙ですという店員の言葉を無視してタバコを吸い続けるヤンキーがいた。

―――ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~。

――――父ちゃんのタバコぱくって来た!
――――ヤベ、警察じゃん、おまえのもんって言えよ、いいな!!

頭の中に、白い煙がぶわっと広がり、その煙が晴れるまでの数秒間に、場面が、映った。

少年が、警察に連行されるトモダチを隠れてみている場面。

煙が晴れると、ヤンキーは警察に連行されていった。

喫煙所で、ぼんやり煙を噴出している女性がいた。

―――ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~。

――――恋人の遺品を抱きしめる女性が見えた。
――――なきながら、タバコに火をつける女性が見えた。

頭の中に、白い煙がぶわっと広がり、その煙が晴れるまでの数秒間に、場面が、映った。

煙の向こう側に、愛おしい人の姿を見ている女性が、いる、画面。

煙が晴れると、女性は子供連れの男性と共に喫煙所を出て行った。

ヤニカスの魔法は、タバコを吸わない私にさまざまな背景を教えてくれた。

喫煙者の、喫煙者になった日の出来事は、なんでもない日常的なひとコマであった。
喫煙者の、喫煙者になった日の出来事は、その人の人生のターニングポイントとなるような瞬間であった。
喫煙者の、喫煙者になった日の出来事は、一人の生きる道筋が決定した重大な場面であった。

「ねえ、最近フレーバーミストって言うのが流行ってるの、知ってる?」
「なに、それ。」

ある日、流行に疎い私のもとに、同僚が何やら差し出した。

「すごくいいにおいするんだよ、試してみない?」

差し出されたのは、水色の細長いボールペンに良く似た、棒。
イチゴのにおいや、コーヒー、ミント、お茶、他にも色々あるらしい。

「これってタバコじゃないの、私タバコなんか吸ったことないよ、吸えないよ。」
「タバコじゃないよ、ニコチンもタールも入ってなくて、ビタミンがかわりに入ってるの。」

最近はおしゃれなビタミンの取り方ができるんだなあ・・・。

「あたしも一本もらったよ、ためしに吸ってみれば。要らなかったらあたしがもらう!」

別の同僚はもうすでにもらったらしい。
彼女のポーチの中には、色とりどりのペン…いや、フレーバーミストが入って、いる。

「どうやって吸うの、解らない。」
「普通に吸うだけ。・・・ほら、こうやって。」

同僚が目の前で、フレーバーミストを口にくわえて・・・煙を吐き出した。

・・・私は、思わず。

―――ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~。

――――頭の中は曇らない。
――――目の前にはニコニコした同僚が、二人。

ああ、なんだ。

フレーバーミストは、タバコじゃないから場面が見えないのか。
フレーバーミストは、タバコじゃないのか。

じゃあ、タバコが嫌いな私でも、吸っていいかな。

水色のフレーバーミストを口にくわえて、恐る恐る、吸い込んでみる。

スーッとした清涼感が、のどを通ってゆく。

ふうっと吸い込んだものを吹き出すと、口の中にミントの爽やかさが広がった。

私の吹き出した、煙が、広がる。

「ちょっと!!!!喫煙は喫煙室でっていってるでしょう!!!」
「え、これってタバコじゃないんでしょ?」

事務所の奥で作業をしていた経理さんが、ものすごい勢いで私達のもとに飛んできた。

「一般的認識は電子タバコです!!はい、しまってしまって!!!」

経理さんの一言で、はっと我に返った。

もしかして、私は、タバコというものを、吸ってしまった・・・?!

何だろう、やけに・・・胸が冷えている。
何だろう、やけに・・・罪悪感が漂っている。

私は、タバコが嫌いだったよね?

なのに、こんなにも、すんなりとタバコを受け入れた・・・?

受け入れて、しまった・・・。

・・・。

喫煙者の皆さんのなかにも、何も考えずに、すんなりとタバコを吸うようになっていた人は、わんさか、いたなあ。

こういう感じで、喫煙の道が、開かれるのか。

なるほどねえ。

納得してしまったのがいけなかったのか、私はヤニカスの呪文をなくしてしまった。

どれほど呪文を唱えても、頭の中には、もう煙は広がらなくなってしまったのだ。

・・・そのかわり。

私は、やけに清涼感のある煙を吐くようになった。

フレーバーミストに、すっかりハマってしまったのだ。

煙草が嫌いなくせに、タバコの煙の漂う喫煙室の中で、煙草をふかしている同僚の横に立つ。

私はフレーバーミストを吸っているのであって、有害なタバコは吸ってなどいない。

私は、煙草が、嫌い、なのだ。

私は、タバコではない、電子煙草を、マナーを持って、たしなむのだ。

「ヤニカス、ヤニカス、ルルルルル~ってね・・・。」
「なにそれ。」

今日も、私は。

ヤニカスの横で、ヤニくさい空間の中で…清涼感あふれる煙を、吹き出して、いる。

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