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残念な職場
パート先の、Aさんが退職した。
「すみません、私にはこのお仕事…難しすぎて。」
年末の忙しい時期に、突然そんな申し出を受けて困惑したのは社員の面々だった。Aさんはいつもニコニコと仕事をしていたので、辞めるとは誰も思っていなかったのだ。
文句の多い中年パートのように年下の正社員たちに反論する事もなく、礼儀を知らない若者アルバイターたちの尖った言葉に声を荒げることもなく、いつもにこやかに頭を下げ下げ仕事をしていた。
急に仕事を休むこともなく、人材が足りない時に声をかければすぐに入ってくれるような、融通の利く人だった。店にとっては、非常に使い勝手のいい人材であった。
だが、しかし。
Aさんは、非常に頭の悪い人として…、店中の人から認識されていた。
商品の品出しをメインに仕事をしていたのだけれども、飲み込みが…頭の回転が…、よろしくなかったのだ。
何度説明しても品出しルールが飲み込めない。
同じことを何度も確認してから仕事に取り掛かる。
どれだけレジに入っても、機械の使い方が分からない。
正社員を呼んでは仕事の手を止めさせる。
昼休憩の時若者や中年たちの話題に付いて行けない。
それはなあに?とニコニコしているだけ。
新しい事も古い事も全然知識がない。
何度説明しても全然ゲームのタイトルを覚えられない。
「まあ、バカがいなくなった分、社員達も仕事がしやすくなるんじゃね?」
「だよねー!頭悪い人ってさあ、ホントウザい!!」
「あんな人どっこも働けないよね!うちでこき使われてればよかったのに、ホントバカ!!」
事務所内ではAさんの話題で持ちきりだった。いきなりいなくなってしまった人に対する容赦のない攻撃が、耳に痛い。
私は人見知りのぼっち気質なので…この手の話題で盛り上がっている時は、そっと姿を消すことにしている。耳触りの悪い言葉は、聞かないに限る。仕事はコミュニケーションがなくとも、ある程度はこなすことが可能なのだ。
そんな事があってしばらくしたころ、思わぬところでAさんと遭遇した。
まさかの、市P連の総会会場である。
「あれ…!!A さんじゃない!こんにちは!」
「アッ…、こんにちは、以前は…お世話になりました、えっと…今日は?」
「いえ、うちの主人が今PTA会長をやってて。母親委員会の母長がお休みだというので、私が急に借り出されることになってしまったんです。」
「あ、もしかして春川さんの?!ああ、そういえば苗字が!!ヤダ、全然知らなかった……。」
どうやら、Aさんと旦那は知り合いらしい。
思わぬところで…繋がっているものだなあ。
「あの…まだ、あのお店で、働いているんですか?」
Aさんが微妙な表情でこちらを見つめている。
……気になるのかな?
「まあ…ぼちぼちですかね。あの店は…微妙にこう、人間関係がね……。」
なんというか、Aさんが辞めてしまった理由は、わからないでもないのだ、個人的には。
私の働いている店は、非常に……人間関係が、良くない。
良くないというか、一見従業員全員が仲が良いように見えるのだが、裏がものすごいのである。誰かのミスを裏で馬鹿にしたり、社員がパートの悪口をアルバイトに言ったり、社員がお気に入りのアルバイトを贔屓したり、パートの手柄をごっそり社員が盗んだり。
Aさんは、表面上は、穏やかに対応はされていたけれども…手のかかるパートとして随分裏でいじられていた。
一回言ったことはちゃんと覚えろよ、物覚えの悪いババアはホント使えねえな、オメーが出てきても手間なんだけど人がいねえから使ってやってんだよ、最近の人気のゲーム知らねえとかどんだけ遅れてんだよ、アニメも見ねえの?つまんねえ人種だなあ、つかこんな軽いもんも持てねえとかババアのくせにひ弱ぶってんじゃねえよ……。
文句ばかり言っている、醜い社員やパート、アルバイトの連中を、これでもかと見てきた。
…私は、知っている。
一回聞いて、その通りに仕事をこなしたとしても。
―――違う!これはこうして!
言われたことを繰り返しているだけなのに。
―――何これ!誰がやったの?!
よかれと思って整頓してみても。
―――勝手に触らないでください、迷惑です。
触るなというから放っておいたのに。
―――気が利かないですね、もっと仕事したらどうなんです。
何をしても、毎回毎回…ちがう誰かが文句を言い、毎回毎回…頭が悪いと言われてしまうのだ。
仲の良いパートや社員、アルバイト同士ならばフォローし合うような気の使い合いもあるが、頭が悪い人物と認識されているAさんは、下に見られていることもあって誰も助けに入らなかった。…どちらかというと、うっぷん晴らし要員として認識されていたのだ。
毎回違う対応を求められるからこそ、Aさんは毎回確認をしていたのだが、それに気づいていたのは…人の輪に入りきれていない私、おとなしい数人の社員、達観しているパートの一部のみだった。
「……ですよね。私、バイトのB君に、頭悪いんだからもうやめればって言われて。」
「ああ、あの子キツイですもんねえ……。」
バイトのB君は、店のオープンから働いている古株で、何でも知っているしフットワークの軽い、軽すぎる青年だ。入ってくるアルバイトの女子を片っ端から食い、中年パートまで食い、頭の悪い行動を恥ずかしがりもせずに誇って生きている。好みじゃないババアと30歳以上のジジイが大嫌いで、つまらないミスを見つけてはそれを大げさに指摘して攻撃している。
「Kさんにも、もっと働いてもらわないと困るんですって言われて。」
「自分は働かないのにね。」
正社員のKさんは、ああしろこうしろと命令はするけれど、自分はパソコンの前から一歩も動かず、いつもスマホゲームを起動させながら仕事をしている。
「Rさんが、私のことをうんこババアって呼び始めちゃったから…居た堪れなくなっちゃって。こんな所にいたら、自分のレベルが、ねえ……。」
「職場の人は友達じゃないって…、わかってないんですよね、たぶん。」
パートのRさんは今どきの若者で、18歳ながら二歳の子どもがいるヤンママ。非常にパーソナルスペースが狭く、すぐに誰とでも仲良くなるが…常識がないというか、失礼な言動が多い。従業員トイレで大きい方をしている人を見つけると、大喜びでその情報を叫び、しばらくうんこ呼ばわりをされる羽目になる。転んでいるところを見られたらコケババアだし、ぶたまんを食べているところを見られたら豚ババア、目についたことをすべて面白おかしくあだ名にしては他人を馬鹿にしているのだ。
「なんていうか…こんなこと言っては何ですけど、私、あの場所では、頭の悪いふり、してました……。」
「頭いいとやばいの、わかりますよ。」
何となく感じてはいるのだけど、あの店は…学歴厨?学歴コンプ?が多いのだ。例えば、パートの面接に来た人が高学歴だとやたら高圧的に接する人がいたり、大卒と分かったとたんにトイレ掃除しかさせなくなったり、おかしな流れが…ある。時々店舗を回る高学歴の偉い人が来た後は、決まって悪口大会が開かれていた。
―――販売は現場に立たなきゃできない、学歴があるからってえらそうに。
―――あんな大学出てるのにこんな販売店勤務とか頭悪いんじゃないの。
―――学歴あるくせにギャグがつまんないんだよね、やっぱ人ってセンスがなきゃダメだわ!
「家からすぐそばって理由で働き始めたんですけどね…無理でした……。」
「精神削られますもんね。やめて正解かも?引きずられたら大切なもの失っちゃいそう。」
私も…あまりにも見苦しいので一言もの申した事があるんだけど、怒られちゃったりしたんだよね……。なんか、話すたびにこう、ゴリゴリとダメージが蓄積していくっていうか……。
―――情けは人の為ならずっていうでしょう?もっと優しい言葉を……!!!
―――知ってます!!甘いこと言ってたら人はどんどんダメになるの!!だから俺は心を鬼にして厳しくしてんだよ!!
―――俺さあ、新しい彼女できたしチョー浮足立ってんの!ひゃっほー!
―――つかこれ確信犯じゃん!頭わり―な、バレバレなのに!
―――あの人は気の置けない人だからねえ!
―――あいつは俺の琴線に触れたんだ!!徹底的に潰してやる!
―――もう潮時だよ!あいつは終わりだ!!首にしようぜ!
―――天上天下唯我独尊!俺を敬え!!難しい言葉知ってるだろー!
「あ、お母さん、探してたのに!!……あれ、なに、知り合い?!」
「ああ…元同僚だったんだよ。」
「お世話になります、すみません今日のスピーチなんですけど……。」
スーツを着込んだ旦那がやってきて、はっとわれにかえる。
……愚痴の言い合いは終了だな。
……おそらくAさんとは、今後もボチボチ交流が続いていきそうな予感がする。
仕事中はぶっきらぼうな能面面しか披露しない私だが……、にっこり笑ってお辞儀をし、その場を失礼させていただいた。
総会でAさんが流暢に英文スピーチをしているのを見て、先月サービスカウンターで揉めていたことを思い出した。
外国人のお客様がとあるお品をお探しで、いろんな社員達がああでもない、こうでもないともめていたんだよね……。
Aさんが声をかけに行ったんだけど、アンタじゃわかんないからって追い払ってさあ……。
結局お客様は怒って帰っちゃったんだよね……。
なんか、頭、悪いなあ……。
自分もそろそろ、仕事辞めようかなあ……。
強気な人がミスを擦り付けて来てるし……。
今私がいなくなったら謝る人がいなくなるけどさあ……。
最近来た上司、ちょっと癖があってめんどくさいんだよね……。
もめごとを起こして傷を負ってからでは遅いってね……。
娘の会社で、事務員の募集してるって言ってたんだよね……。
今の職場に長年勤めてるから愛着あるって、お断りしたけどさ……。
私もたぶん、裏ではかなり言われてるはずなんだよ……。
くそボッチだの、陰キャだの、デブだの、白髪ばばあだの、ガサツだの、獣臭いだの、貧乏人だの、無表情で怖いだの、ひとりごと言っててキモいだの……。
少なくとも、はじめていく会社では、いきなり悪口は言われないはず……。
資格が生かせるから、ぜひってお誘いされてるんだよね……。
そうだなあ、求められているのであれば、そっちに行った方が…いいよね……?
私は、総会の終わり、拍手が会場に響き渡る中…退職届を書くことを、決めたのであった。
リアリティがあるのはまあ、お察しくださいw
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