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秘湯めぐり

 ……今日の温泉巡りは、南から。

 佐々木さんちの横を通って、ゴミ捨て場に続く小道を抜けると。

 ……これは、ヒノキの湯か。

 ふわりと香る、森林の気配。
 しめったアスファルトの匂いをかき消す、穏やかな風。


 温泉巡りは続く。

 市営住宅の横を通って、小学校のわきを抜けると。

 ……これは、バラの湯か。

 ふわりと香る、ローズガーデンの気品。
 幾重にも重なる腐葉土の匂いをかき消す、気取った風。


 温泉巡りは続く。

 豚骨ラーメン屋を通って、小学校の横を抜けると。

 ……これは、硫黄の湯か。

 ふわりと香る、天然成分の本気。

 乾いた秋の匂いをかき消す、原子番号16番、元素記号S、原子量32.1、酸素族元素…固形時は無味無臭なくせに、湯に溶け出したとたんに自己主張を始める、変わり者。


 温泉巡りはこれで……ラストか。

 ゴミ屋敷の前を通って、もさもさとしたグミの木の枝をよけると。

 ……今日も、ゆず湯か。

 ふわりと香る、フルーティーな女性らしさ。
 しみったれた庶民の暮らしをかき消そうとする、わざとらしい風。


「……ただいま」

 玄関のドアを開けると、古い家財を煮しめたような生活臭がする。
 靴を脱いでキッチンに向かえば、ニンニク臭が充満している。

「遅かったじゃないの!!ご飯冷めちゃったよ?!」

 飯を食い、着ているものを脱ぎ捨てて。
 パンツ一丁で、二階へと向かおうとしたら。

「ちょっと!!お風呂は?!」

 口うるさい母ちゃんが、ゆずと化粧水の匂いをまき散らしながら、唾を飛ばした。

「今日はいいや。いっぱい温泉巡りをしてきたんでね」

 俺は風呂の匂いは好きだが、おかしなにおいの付いた湯に浸かるのは好きじゃないんだ。
 グレーチングの網目から立ち上る、人んちのふろの匂いを嗅いできたから、もう充分なんだ。

「はあ?!ウソおっしゃい!!そんな事言って昨日もその前も入ってないじゃないの!!」

 まあ……昨日もその前も、さらにその前も、もうちょっと前も入ってないわけだが。

 風呂なんて入らなくても問題はない……むしろ自分の匂いが穢される、愚かな行為であってだな。

「今日はヒノキにバラに硫黄の湯を楽しんできたけど?」

 まあ、帰ってくる前にお姉ちゃんと一緒にシャワー浴びて磨いてもらったし……、問題はないだろ。

「あんたそんなんだから40にもなって嫁も貰えずに!!もうちょっと身だしなみに気を使って婚活しなさいって言ってるでしょ?!いとこの征ちゃんも結婚したし、父ちゃんだって草葉の陰で泣いてるよ?!女の人はね、不潔な人が一番嫌いなの、わかってる?!そもそもアンタはね……

「俺、ゆずの香りは嫌いだって言ってんじゃん…そんなの入ってる風呂になんか入りたくねーの。もう買うなよ」

 つまんねーことをグダグダいう母ちゃんをスルーした俺は、自分の部屋のドアを開け。

「……ふぅ」

 20年間愛用している、毛布に包まれて……ぬくぬくと。

 ああ……、風呂なんか入らなくても。

 こんなにも、ホッとする。
 こんなにも、癒やされる。
 こんなにも、安心できる。

 この、場所が、一番の、秘湯……。

 俺は、かぎ慣れた自分の匂いをめいっぱい吸い込み。

 目を閉じ……、夢の世界へと……ダイブ……、ぐぅ………。


こちら動画もございます(*'ω'*)


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たかさば
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