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ヤジルシ

 目の前に、矢印がある。

 ……なんだこれ。

 左を、指している。
 左の方には…何もない。
 右の方にも…何もない。

 とりあえず矢印の方向に…進むか。
 ……とぼとぼと、歩いていく。

 道が、あるような、ないような。
 明るいような、薄暗いような。

 僕は今、どこを歩いているんだろう。

 ……また矢印だ。

 今度は、右か。
 とぼとぼと、歩いていく。

 周りを気にする事もなく、ただなんとなく。

 ……また矢印だ。

 次はまっすぐか。
 生ぬるいような、肌寒いような。

 ひとりぼっちで、進んで行く。

 ……また矢印だ。

 次は左か。
 気のせいか、ジメジメとしてきたような。

 ……また矢印だ。

 次も左か。

 とぼとぼ歩いているうちに、心細くなってきた。
 なんとなく居心地が悪くて、足が重くなる。

 引き返すほどではないが、進んで前に行きたくないような。
 気持ちの悪い道ではないが、 気持ちの良い道ではないような。

 ……また矢印だ。

 次はまっすぐか。

 とぼとぼ歩くのが、きつくなってきた。

 前に進むたびに『何か違う』という不安が芽生えるような。
 前に進むたびに『これでいい』という諦めが顔を出すような。

 どうしてここを歩いているのだろうという疑問が浮かぶ。
 どうしてこんな所を歩くことになってしまったのだろうと後悔が漂う。

 ふと、周りをまじまじと見ると…ひどく殺風景な事に気が付いた。

 引き返そうにも道がない。
 道どころか、何もない。

 ……また矢印だ。

 今さら……、矢印に反抗するのもな。
 このまま、従っていれば、なんとかなるだろう。

 ……また矢印だ。

 矢印のさす方に進み続ける。

 ……また矢印だ。

 ただただ矢印に従って進む事しかできない。

 ……また矢印だ。

 ポケットに手を突っ込んで、視線を落としたままダラダラと進み続ける事しかできない。

 苦しいわけじゃない、痛いわけじゃない。
 悲しいわけじゃない、腹が立つわけじゃない。

 ただ、たまらなく……不愉快だ。

 ……また矢印だ。

 ……また矢印だ。

 自分の行く場所が決められていることが気に入らない。

 ……また矢印だ。

 自分のいきたい場所に行けないのが気に入らない。

 ……また矢印だ。

 自分が行きたい場所がどこなのかわからないのが気に入らない。

 ……ああ、吐きそうだ。

 矢印の方向になど、進みたくないのに。
 矢印の方向にしか、進めない。

 ……また矢印だ。

 ……また矢印だ。

 ……また矢印だ。

 ……また矢印だ。

 知らぬ間に矢印の方向に体が向いていて…抗うことが、できない。
 矢印に従いたくないと思えば思うほどに、矢印の方向に流されていく。

 ……また矢印だ。

 ……また矢印だ。

 ……また矢印だ。

 また、また、また、また……。

 どれほど……、流され続けただろうか。

『もういいや、どうにでもなれ』という気持ちがふいに生まれた。

 無機質で何の温度も感じない矢印を、掴んだ。
 そしてそのまま、拳をぶちこんだ。

 何度も何度も殴りつけ、原形がわからなくなっても破壊し続けた。

 壊れた矢印を踏みながら、どうしてこんなところに来てしまったのだと悔やむ。
 バラバラになった矢印を踏みながら、どうしてこんな場所にしかこれなかったのだと嘆く。

 気の済むまで破壊をしたあと、呆然と立ち尽くした。

 何も見えない。
 何も聞こえない。
 何も感じない。

 動けない。
 動きたくない。
 動こうと思えない。

 ……矢印は、なくなってしまった。

 流されていく場所は、なくなってしまったのだ。

 自分の意志で動けると思えない。
 自分の足で動けると思えない。
 自分が動けると思えない。

 僕は、このまま、この場所にいる事しかできない。

 この、何もない場所にいる事しかできない。
 ここに、いる事しかできない。

 ……右を見ても。
 ……左を見ても。
 ……前を見ても。
 ……後ろを見ても。

 ……何も、ない。

 足元には、粉々になった矢印。

 頭の上には、何もない。

 何もない空を見ていた。
 何もない空を見ていた。
 何もない空を見ていた。

 何もない空を見て、空に飛んでいけたらと思った。
 何もない空を見て、空に飛んでいきたいと願った。
 何もない空を見て、空に飛んでいけるよう祈った。

 足元から、パラパラと…粉になった矢印が宙に浮き始めた。

 キラキラと光る事もなく。
 クルクルと舞う事もなく。

 静かに、上昇していく。

 右でも左でも真っ直ぐでも後ろでもなく、空へと向かっていく。

 ……空に行けば、景色が見えるだろうか。
 ……空からここを見下ろせば、自分の歩いた道が見えるだろうか。

 粉になった矢印が、集まっていく。
 矢印だった粉が、凝縮していく。
 希薄な矢印が、天を指している。

 ……僕は、矢印の方向に流されていく。

 何もない空に流されながら、自分の歩いた大地を見下ろした。

 何もない場所にたどり着き、そこから旅立った自分が見たのは。
 くねくねと曲がりくねった、軌跡だった。

 悩みの多い人生に見せかけた、ただの一本道。
 何ひとつ選ばずに済ませた、適当な生き方の跡。

 目を凝らせば気付けた、明るい場所につながる道が見えた。
 気付かないふりをして目を背けた、険しい道が見えた。
 周りの景色に合わせて横を向いた瞬間に通り過ぎた、温かい道が見えた。

 途中、周りを見渡せば、違う道に続く道がたくさんあったことに気がついた。

 流されるのは仕方がないのだと、妥協し続けた……道。

 ……ここに来たのは、仕方がない事なのだ。

 そんな事を思いながら。

 僕は、高く、高く……空に流されて行った。

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たかさば
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