ショーウインドウの向こう側
僕にはどうにもこうにも気になる女性がいる。
時折通勤の時に見かける、百貨店のショーウインドウの向こう側の女性。
初めて気になったのはいつのことだろうか。
はっきりと思い出せないくらい、彼女と僕の出会いは昔なのだと思う。
ショーウインドウは、一か月に一度模様替えをする。
そのたびに、ガラスの向こう側で、彼女は一生懸命入れ替え作業をしていた。
時にはマネキンを着替えさせ、時には天井から飾りを取り付け。
僕はファッションに明るくないので、どういうブランドだとか、センスの良さなんてのはわからない。
けれど、毎月彼女が作り上げるショーウインドウという舞台を、心から楽しみにしていた。
黒くて腰まである艶やかなストレートロングが、マネキンを動かすたびにふわりふわりと靡く。
細身の体が、大きなマネキンを支えている。大変そうだなあと、漠然と思っているうちに、その後ろ姿に、いつの間にか恋をしていた。
毎月一日に入れ替えをするショーウインドウ。
朝の通勤時間帯、都会のオフィス街に続くこのショーウインドウ前に立ち止まることは許されない。時間に追われる社会人たちの流れを、僕一人の煩悩で止めるわけにはいかない。毎月一日だけは、少しだけ歩く速度を遅くして、ショーウインドウ前を通過していた。
印象深いのは、梅雨の時期のことだ。
あの日、僕は傘をさしてショーウインドウ前を歩いていた。
梅雨の時期なので、傘などのディスプレイを陳列していた女性。
椅子に乗って、高い位置に丸いオブジェを取り付けようとしていたのだが。
ぐらりと女性が、バランスを崩した。
僕はあわてて、ガラスがあるというのに、ショーウインドウに駆け寄ってしまった。
「ちょっと!!危ないじゃないか!!」
知らない年配の男性とぶつかってしまった。慌てて、頭を下げる。傘の陰に隠れて、女性がこちらを向いているのが、見えた。初めて、女性の顔を見ることができる!そう思って顔をあげたら、年配男性が僕に向かって説教をしだしてしまった。
「こんな人混みで急に方向を変えるとは何だ!!そもそもだな…」
会社の出勤時刻に遅れるわ、女性の顔を見逃すわで、酷い目にあった。
僕は、ずいぶんこの道を通ってきたのだけれど、転勤することになってしまった。
……もう、この道を通ることは、できない。
僕の心残りは、ショーウインドウの、彼女。
今日、六月一日は、入れ替えの日のはず。
僕はこの地を去る前に、この恋心を伝えたいと思った。
言葉を一度も交わしたことがないけれど。
運命というものがあるのだとしたら。
動かなければ、手に入れることはできないはずだから。
今日は、休みを、とった。
この勤務地でとる、最後の有給休暇。
話しかけて、運命が動き始めたら、丸一日かかってしまう事もありうる。
ショーウインドウ前に、差し掛かる。
ドキン、ドキン、ドキン…。
彼女が、ショーウインドウの向こう側に、いる。
しばらく見つめていたが、やはりこちらを向くことがない。
僕は意を決して、店の中に入っていった。
「いらっしゃいませ。」
初めて入った店内には、女性用の服が並んでいた。
「あの、こちらは女性用のお店なんですけれど、何かお探しでしたか?」
若い女性が、僕に声をかけてきた。
女性の服装は、ショーウインドウの女性と同じもの。
だがこの女性はショートカットでやや太ましい、ショーウインドウの女性ではない。
「あの、ショーウインドウのディスプレイが素敵で、どんな方が作っているのか気になって訪ねてきました。」
嘘は言っていない。
「ああ、そうでしたか、少々お待ちください、花沢さーん!」
女性が、ショーウインドウの女性を呼んでくれた。
いよいよ、僕の運命が、動き始める!!
・・・あれ。
「はいどうも、この人は?」
「なんか花沢さんのディスプレイ気に入ったんだって。」
「ああそう、ありがとさん!」
僕の目の前には、おかんと同じくらいのおばちゃんが。
はいぃ―――――――?!
「あの、毎月素敵なディスプレイを見せてもらってました。」
「そうなんだ。」
正面から見ると、小じわがすごい!!
「あの、髪キレイですよね。すごくスタイル良いですよね。」
「なーにー、こんなおばちゃんからかっちゃやーよ、がはは!!!」
よーく見ると、髪の生え際が真っ白だ!!!
「これからも楽しみにしてるんで、頑張ってください。」
「はーい、ありがとね!!」
僕は、店を出た。
外はどんよりと、曇っていた。そうだ、梅雨入り宣言、してたな。
梅雨入り発表があったばかりだが、僕の心は晴れ渡っていた。
うん、もう何も心残りはないぞ。何一つない!!!
新天地で出会いが待ってるはずだ。
待ってるはずだ、待っててくれっ!!!
僕は、僕は!!
何一つ、傷ついてなど、いないんだぁああアアア!!!