盛り塩
地域のパソコン教室の手伝いをすることになった。
民間のパソコン教室の建物の一室を貸し切り、町内在住のパソコン未経験者のためにレッスンを行うのだが、助手の人が体調不良でこれなくなってしまったので、急遽呼ばれてしまったのである。
「ここかあ…初めて来たけど、なんか、うーん、なんだろ??」
パソコン教室の建物は、明るい色調なのになぜだか雰囲気が…暗い?自動ドアは電源が切られていて、開きっ放しになっており…その端には、二つ盛り塩がしてある。へえ、最近見ないけど、ちゃんとしてるんだな。…その割になんだか、うーん??日当たりがいいのに、建物の中が薄暗いというか、くすんでいるというか。掃除も行き届いていてゴミ一つ落ちてないのに、なんだか薄汚れているような?
入り口で少し中の様子をのぞき込んでいると、奥の階段から男性が下りてきた。慌てて、建物の中に入る。…空調が効いているのか、少しひんやりとしている。
「すみませんね、今日はよろしくお願いします。」
物腰の柔らかい中年男性が本日の講師である。普段出張でマンツーマンのパソコン指導をしている人らしい。
「いえいえ…でも私何も資格持ってないし大丈夫なんですかね??」
一応普段パソコンを使う事は多いものの、人に教えるとなると無理がある。ブルースクリーンとか出ると焦るし、セーフモードでの起動にはおおよそビビりがちだし。いまいちパソコンの性能や仕組みがわかっていないからさあ、詳しい説明なんかできないっていうか。
「文字が打てたら大丈夫ですよ。一応テキストも使うし…目だけ通しておいてもらっていいですか?」
手渡されたテキストは三枚つづりのコピー用紙。…意外と薄っぺらいな。まあ、無料講座だからこんなもんか。パラっとめくると、電源の入れ方、マウスの使い方、キーボードの使い方、ネットの使い方、便利な機能についての説明…うお、意外と本気の初心者向けだった。これなら私でもなんとかなるかな…。
「けっこうかなりの初心者向けなんですね。」
「二時間じゃこれくらいしかできないんですよ。使い方教えて、検索してたらすぐに時間過ぎちゃいますから。」
今日の参加者は30人。全員パソコン未経験者らしい。薄いテキストを30台のパソコンの前に置いていく。講師の男性はプロジェクターのチェックをしている。
「すみません、玄関で受付をしてきていただいてもいいですか?これが名簿です、来た方の名前に〇をうっておいてください。」
「わかりました。」
メモボードに挟まれた名簿を受け取り、階を降りて玄関に向かうと、すでに受講者が並んでいた。うう、開始時刻は30分後なのに、すごいヤル気だ…。入り口ホール内に10人ほどの高齢者が待っている。
「お待たせして申し訳ございません。今から受付をしますので、一列に並んでいただいてもよろしいですか?」
「こんな所で並べるか!あんたが一人一人に名前を聞いて回ればええ!」
杖をついた男性は少し声を荒げている。…もめ事を起こすとめんどくさいな。ホール全体に声が届くよう、大きな声を張り上げる。
「私がお名前を聞いて回りますので、受付を終えた方から順番に二階の教室にお入りください。」
ばらばらに立っている参加者に声をかけて、〇をうっていく。
「私一番最初に来たのに…。」
五人ほど名前を聞いて声をかけたご婦人に苦言を呈されてしまった。
「申し訳ありません、席は参加者分用意してありますが…上に講師の先生がいるので、もし希望の席が空いてなかったら一番に来ていたことを伝えてください。」
ご婦人は返事をせずに階段を登って行った。…やだなあ、手伝いに来たけど、絶対にアンケートで受付が手際悪いとか書かれるやつだよ。
参加者は続々とやってきて、途切れることがない。しかし、だんだん自然と列になってくれたので受付はしやすくなった。
「なんだ、二階でやるのか。登れんじゃないか、一階でやれ。」
「一階は教室がないので…無理ですね。」
この建物にエレベーターはない。自力で二階に上がってもらうしか、ない。
「じゃあ、お前がおぶっていってくれ。」
148センチ38キロの私が、このだるまみたいな爺さんをおんぶしろと?!無理だ、完全に無理。
「無理ですね。」
「なんだその態度は!!!」
なんで私怒鳴られてるんだろう…。
誰も手伝いがいなくて困ってるから助けてあげてって言われてきただけなのに。無報酬だけど、人助けってなかなかできる事じゃないからって、意味不明なこと言われてきただけなのに。
仕事休みだからって、気軽に引き受けるんじゃなかった。良い人になりたくってでしゃばるんじゃなかった。…逃げ出したい、正直。
が、がちゃん!!
だるま爺さんににらまれて何も言えずにいる私の耳に、何かが割れる音が聞こえた。
ぶ、ぶわぁあっ!!!!
突然、強い風が吹いた。冷たいような、生ぬるいような、重たい風が、開きっ放しになっている自動ドアの方に一気に流れたのである。
玄関ホールの色が、ぱっと明るくなった。…?電気がついた?いや初めから電気などついてはいない。
「お姉さん、私がこの人のサポートしながら上行くからいいよ。」
クソじじいの後ろの女性がサポートを申し出て下さった。なんていい人なんだ。
「僕も手伝いますから。」
そのさらに後ろのおじさんも声をかけてくださった。
「ありがとうございます!!」
なんだ、いい人も結構…いるじゃないの。クソじじいは二人の良い人に手助けしてもらって二階へと消えていった。
参加者が全員受付を済ませたので、私も二階に向かおうとしたのだが、さっきのがちゃんという音が気になったので…開きっ放しの自動ドアを見に行った。確か音がしたのはこの辺りで…誰かが杖でもぶつけて扉を割ってたりしてる可能性もあるからね。
「あ、盛り塩がこぼれてる…ああ、お皿を誰かが踏んだのか。」
入り口から向かって右側の盛り塩が派手に崩れて散らばっている。…ヤバイ、これって盛り直した方がいいのかな?でも手で触っちゃっていいもの?なんか盛り塩って呪術的なやつでしょ?下手に触って障ったら困るしどうしよう…。
「ああ、こぼれちゃいましたね、こっちも撒いちゃいましょうか。」
いきなり後ろから声をかけられてびくっとなって、振り返ると…このクソ暑いさなか、真っ黒な服に真っ黒な日焼け除けマスクをしたおじさん?がいた。この人どんだけ日焼けしたくないんだよ。ちょっと怖い。
「いやあ、ずいぶんたまってましたね、おかしなものが。いっぱい飛び出てきてびっくりしましたよ。」
真っ黒な人は、小さな盛り塩の皿の上の塩を勢いよくぶちまけた。いいのか、勝手にそんなことして。
「ここは立地が良くてねえ…。いっぱい入り込むんですよねえ…。」
「はあ。」
…まあね、入り口ドアが開きっ放しになってるから虫もいっぱい入るんでしょうね、きっと。
「入り込んだはいいけど、盛り塩されちゃうと出れなくなっちゃうんですよねえ…。」
…盛り塩って虫よけ効果もあるのかな?
「入り口ホールに、相当溜まってたんで、心配してたんですけどね、いやあよかったよかった。」
「何かたまってたんですか?」
なんとなくホールが暗かったのは、シーリングライトに虫がたまってたから?ああ、そういえば変な風が吹いたけど、あの時?
「妬みや苛立ち、不満や不安、そういうものも残りやすいですからね、この世界から浮きそうな人は影響を受けやすいというかね。もう今は溜まってないし、すっきりしたので、ええ。」
なんだろう、少し話がずれているというか…私この人と話してるんだよね?なんとなく、かみ合ってない感じが…。
「あ、桜庭さーん!全員そろったんで、始めたいんですけどー!」
階段の上から講師の先生が私を呼んでいる。しまった、急がねば。
「じゃ、頑張ってください、ええ。」
「はあ、ありがとうございます?」
私は日焼け対策ばっちりな人にお礼?を言って、二階の教室へと向かった。
初心者向けパソコン教室はかなり穏やかな進行で、私も楽しくお手伝いができた。クセの強そうな人が何人かいたので完全に身構えていたのだけど、終始和気あいあいと、にこやかに時間が過ぎていった。…待たされると人というものは苛立ちがちなのかもしれないなあ。
無事教室も終わり、部屋の片づけをして今日のお手伝いはおしまい。
「今日はありがとうございました、ええとこれはお礼です。」
講師の先生が封筒を差し出す。
「いえいえ、私何もしてないんで。今度私のパソコン壊れたら見てくださいよ、それでいいです!」
もともと何も出ないって聞いてるし。
「そういうわけにはいきません、ぶっちゃけ今日の講習料金は5000円でね、副講師には2000円渡すつもりだったんで。あなためっちゃ生徒さんとお話してくださったから。副講師の3倍は働いてるから!!!」
むりやり封筒をカバンの中にねじ込まれてしまった。
「いいんですか?ありがとうございます、いただいておきますね!」
「よかったらまたお手伝い…いや、講師のバイトとか、しません?」
そこまで言うとね、お世辞が過ぎます!!!
「あはは、手伝えることがあるならまたどうぞ。」
講師の先生はパソコンのクリーンアップをしてから帰るとのことで、私は先に帰らせていただくことにした。階段を降り、玄関ホールに行くと。
「ちょっと!!この盛り塩をまいたのは誰?!」
何やら女性が怒っている。…しまった、あの塩、まいちゃダメだったんじゃん…。しかし無視していくわけにもいくまい。腹をくくるか。
「あの!ごめんなさい、今日ここの二階でパソコン教室を手伝ってた者ですけど、参加者の人がこぼしてしまって…通りすがりの人がこぼれたからまきましょうって言って…。」
おずおずと申し出る…。
「勝手なことしないでください!!」
「すみません…。」
なんか今日はやけに感情をぶつけられる日だな。こういう日もあるか…はあ。
建物の管理の女性は大きな塩の袋を靴箱横の戸棚から出すと、型のようなものに塩を詰めて、皿の上に盛り付け満足そうにしている。
「これで良し…悪霊がこの建物に入ると困るんです、気を付けてくださいね!!まあ、二時間くらいなら大丈夫だとは思うけど…悪霊は何時入り込もうとするかわかんないんです、塩で結界作っとかないとどんどん入ってきちゃうんですよ、あなたも気を付けた方がいいですよ、ホント。」
血走った目で悪霊を語るお姉さんがちょっと怖い。
「わかりました。」
でも、まあ、この場所にはもう来ることないと思うからね。開けっ放しの自動ドアを通り抜ける。むわっと熱気が私を包み込む。ああ、真夏の空気だ…。くそう、駐車場の車熱くなってるだろうな…。
開けっ放しのドアからは、微塵も冷気が漏れ出していない。足元にはきれいに盛り付けられた盛り塩が二対。盛り塩は冷気すら逃がさないというのか。うちでもやってみようかな…いやいや、しかし私は毎日きれいに塩を盛るような几帳面さは持ち合わせていなくてですね…。
盛り塩に守られたパソコン教室の建物の内部が、やけにくすんだ色合いに見える。ああ、真夏の炎天下、ずいぶん明るい外から見ると暗く見えちゃうんだよね。
けっして、盛り塩で、悪霊が中に閉じ込められてて暗い…とか、ないよね。
…気付かなくていいことは、気付かないに限る。
「はー暑い暑い!もらったお小遣いでアイスでも買って、かーえろ!!!」
蝉さえ泣かない、猛暑日の真昼間12:00、私はマイカーのもとへと急いだ。
かわいい……。