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なりすまし

知らないうちに自分が乗っ取られてしまった。

とあるサイトで、自分のHN(ハンドルネーム)が使えなくなったのである。

どうやら誰かが私のHNを乗っ取って、成りすましている、模様。

わりと…客観視している自分がいる。

私は仕事用とプライベート用、二つのHNを持っていて、乗っ取られたのはプライベート用のHNであり…ほとんど利用していなかったというか。軽く愚痴を吐いたりアメリカンジョークを言って寒がらせたり、そういう使い方をしていた…いわば捨てHNだったことも、大きい。

乗っ取った本人は気づいていないようだが、乗っ取られたHNは、仕事用HNですべてのぞくことができる。

不届きものの動向は、手に取るようにわかるのだ。

何か問題を起こしたら、即仕事用のHNで叩き潰そう、そう思いつつ何もしない日々が過ぎていく。

私ではない誰かが、私のふりをしていろいろと毎日を楽しんでいる。

初めのうちは、私に成りすますことに快感を覚えていたようだった。

私ならば絶対に言わないようなことを、私っぽく話しているのを見て笑ってしまった。

さも私が言いそうなことを、実に違和感なく話していた。

私だったらこういうだろうなという事を、ほぼそのまま話しているのを見て笑ってしまった。

いつの間にか、偽物の私の動向をチェックするのが楽しみになっている自分がいた。

よくわからないが…金銭的な不正や荒らし行為をするつもりはないらしい。

私という人間になりきることで、日々を楽しんでいる?らしい。

だんだん偽物の私が活動的になってきた。

やけに明るいキャラクターになっていく。

やけにテンションの高い毎日を送るようになってゆく。

やけにうまそうな弁当の写真をアップするようになった。

やけに見ず知らずの人の相談に乗るようになった。

やけに見ず知らずの人から感謝されるようになった。

知らぬうちに、私の偽物は…「私」という魅力的な人物になっていた。


「最近井本さんさあ、めっちゃサイト内でモテモテじゃね?!」

同僚の声に、私は微妙な笑顔を返す事しかできない。

なぜなら、充実しているのは、HNを乗っ取った誰かであり、私ではない。

「現実でこんなにもしわしわしてるのにウケる!!!」

サイトに登録している同僚は、わりと、多い。

社員グループの部屋もあるのだ。

「今日のトップ絵、井本さんの手作りケーキだったよ、ねね、一回くらい持ってきてよ!!」

サイトのトップには、人気の部屋が表示されるようになっているので、人気のある部屋はいやがおうにも注目を浴びるようになっている。

「そうだそうだ!!自分ばっか充実しやがって!!分けろ!!」

いつもお弁当画像を投稿しているくせに、毎日の昼ご飯がスナック菓子だったり。

お洒落なワンプレートディナーの様子をこれ見よがしに投稿しているくせに、夕方から場末のスナックでホッピー飲んでいたり。

はじけたボタンのままみっともなく受付に立って怒られた日の夜に、手作りテディベアの写真を載せたり。

…どう見たって別人だろう、なぜみんな気が付かないのか。

「充実してるのは『いもっち』であって…私じゃないっていうか。」

「なにそれ。」

ばらさなくてもいいかと思ってたのだが、流れでHN乗っ取りを公表することになってしまった。

「マジで!!これは…懲らしめんといかん奴だな…。」

「ねえねえ、あたしいいこと思いついた!!」

「どこでぼろ出すかな!!」

よくわからないが…同僚たちの結束感が…すごい。

「私は傍観が楽しいんだから、派手なことはしないでよ…。」

私は、私ではない私の満たされた生活を楽しみにしているのだ。

私は、私には経験することのできない生活を、私が楽しんでいることに満足しているのだ。

ささやかな日々の観察ができなくなるのは、困る。

「わかったわかった!!!」


同僚たちのいたずらが始まった。

過去の部屋から、いろんな情報を引っ張り出して重箱の隅をつついて楽しむ。

「あれ?三年前は牛肉より鶏肉が好きって言ってたよね!」

同級生を装い、懐かしい故郷を語らせて慌てさせる。

「故郷の海って…ああ、工事現場の泥水のこと?詩的な表現すぎてびっくりした!」

友達と称して、在りもしない飲み会での失態を暴露して恥をかかせる。

「この前ビール飲んでひっくり返ったくせにお酒飲めない発言とかwwwカマトト乙!!」

私・は、実に華麗に同僚たちのいじりをかわし続けた。

言い訳が面白すぎて、ますます目が離せなくなった。

「食の好みって加齢で変わりますよね!」

「最近詩にはまってるの、あなたも書いてみない?」

「だって飲めないふりしてた方がかわいく見えるでしょ!」

がぜんやる気になったのは同僚たちだ。

どうにかして潰してやろう、凹ませてやろう、ぎゃふんと言わせたい。

「くっそー、こうなったら口説くしかない!」

女性なら灰になっても惚れさせる自信があると、日ごろから豪語しているタラシの帝王が乗り出した。

「君の画像から、君の姿を想像することを許してほしい…愛おしくて、たまらないから。」

「君のつぶやきを見ると心が躍るんだ、ねえ、丸ゴシックにどんな魔法をかけたの?」

「わかった、君の素っ気ない態度、それは何気ない言葉に優しさを感じさせる、君だけのテクニック。」

「そっか、今頃…気が付いたよ…おそらく、僕の最後の恋の相手は、君。」

ドンビキする女性同僚たちをまるで気にせず、タラシの帝王はそれはそれはクサいセリフで…偽物の私を口説き倒した。

気が付けば、偽物の私とタラシの帝王によるイチャラブ部屋が激しく盛り上がっていた。

タラシのくさいセリフに少しづつ心を許してゆく、偽物の心の葛藤。

タラシのくさすぎるセリフを恋焦がれる、切ない呟きが共感を呼ぶ。

タラシのくさすぎるセリフをもらった後の甘すぎるポエムは、多くの女性の涙をかっさらった。

偽物は、甘すぎるやり取りの…書籍化の打診を受けたらしい。

だが、打診を受けたところで、HNの持ち主たる私が存在する以上、踏ん切りがつかないようだった。

もはや偽物は…私ではない偽物が、「私」という存在そのものになっている。

別に乗っ取った後の展開は、偽物自身が掴んだ姿なんだから…気にしなくていいと思うんだけどな。

だが、まさか私が「私」に向かって書籍化すればいいじゃんと言うわけにもいくまい。

「・・・俺さあ、偽物の、兄と・・・会う事になった。」

書籍化の打診は、タラシの帝王にも来ていたのだ。

タラシのくさすぎるセリフ集と返信のポエム、それを一緒に一冊にまとめたい、そういう企画のようだ。

空の写真や手作りご飯の写真、ハンドメイド作品の写真に地域の猫の写真、そういったものを毎日欠かさず投稿していた私の偽物は、実は相当体が弱くて出歩くことができず、代わりに兄が書籍化交渉の場に来ることになったらしい…。

「…めちゃくちゃ怪しいよねー!絶対健康なやーつだ!」

「兄が本人じゃね?」

「つかブスすぎて出られないとか?」

「・・・おい、やめろよ!!!」

「えーなに、タラシのくせにマジぼれしちゃったとか?!」

「遊びが本気になるとかどんな三文小説だよwwwウケるwww」

「偽物庇っちゃう展開かー、割と面白い!」

「そんなんじゃ、ねーよ!!」


なにがそんなんじゃなかったのかはわからないが、甘ったるすぎる書籍は発売されることになり、そこそこ売れた。

タラシの帝王は、なぜか女性をタラすことがなくなって、やけに真面目な毎日を送るようになった。

時折何か言いたそうな顔をしていたけど、転勤が決まったタラシの帝王とはそれっきり会う事はなくなった。

しばらくサイトトップに甘ったるい部屋は存在していたけれど、ある日突然更新がストップし、偽物はいつの間にか…消えてしまっていた。

「やっとHN取り返せるじゃん!」

「今更?もう別人だし…。」

盛り上がっていたサイトもいつの間にか…新しいアプリに押され始めて、人気に陰りが差すようになった。

「なーんか落ち着いちゃったね!」

「あーあ、おもしろい事、ないかなー!」

平凡な日常に戻ってしまった。

盛りあがりのない、つまらない毎日が過ぎてゆく。


サイトが閉鎖されることになったらしい。

私の偽物がいた記録も、もう、無くなってしまうのか。

…そうだよね、いろんなものが、移り変わって、ゆくんだもんね。

私も、つまんない日常にかまけてないで…新しい世界に飛び込んでみようかな。

善は、急げってね。

私は、皮を、脱ぎ捨てて。

・・・宇宙へと、飛び去った。


脱ぎ捨てたい皮…。

【解説】

大昔、ハンドルネームの乗っ取りを経験した記憶を思い出しながら描いたお話です。そう、このお話はまさかの実話が盛り込まれているのです。…というよりも、私の書く物語は往々にして事実が元になっていることがほとんどなのですが。

その昔、とあるチャットルームに常駐していた私は、学生時代から使っていたハンドルネームを使っていたんです。和気あいあいとした、とても楽しいルームだったんですけど、ある日旧知の友人の突撃を受けたことで愕然としました。まさかの、某掲示板に私のハンドルネームでスレッドがたてられていたんです。しかもいわゆるクソスレ化しており、明らかに浮いている、場違いな感じでした。勝手に自分の名前を使われたこともさることながら、自分の知らぬところで自分の知らぬ言葉が自分の発言としてまかり通っている事実に恐怖を覚えました。仲のいいチャットルームだと思っていたのに、こんなことをする人がいるんだというショックもありました。

さらに、旧知の友人が某掲示板にどっぷりつかっていることが判明して、さらに恐怖が増しました。私は当時、某掲示板の知識をほとんど持っていませんでした。しかし、掲示板に書き込むほどの愛好者であると思い込んだ友人は、事あるごとにこの件を持ち出してはいじるようになってしまったのです。よくわからない専門用語でメールをよこしてきたり、このスレ立てたのアンタでしょうと推理をしてみたり、炎上しているスレはすでに目を通している前提で乗り込んで来たり…。

知識のない人にいきなりキタコレとかワクテカとか警備員乙とかぬるぽとかm9(^Д^)プギャーとかgkbrとかROMれカスとかふじことか…それはそれは大変に学ばせていただいたのですが、非常に困惑しました。というのも、この知人、実に清楚系の大人しい人物で、こんなにも汚い言葉を吐くとは到底思えないような知識人だったのです。

当時掲示板はかなり偏見の目を向けられることが多く、常駐者の中には肩身の狭い思いをしていた人も多かったのかもしれません。見ているけど書き込めない、書き込んでいるけど公にできない、そんな抑圧された毎日が、きっと友人のタガを外させてしまったのだと思います。何度私じゃないよと言っても一切信じてもらえず、返ってくるのは「ハイハイ定期」「全部げろっちまいなwww」「陰キャバレを恐れんな」真面目で優しい人を装っていたらしいこの友人、私の前では凶暴な本性を堂々と晒すようになりました。私が掲示板中毒者のような扱いをし、共通言語を学んでいると認識し、遠慮という言葉を忘れ次から次へと乱暴な言葉を投げつけられるようになり、とても疲れるようになってしまいました。

さらに、それをまた別の知人に広められるという悲劇まで起きてしまいました。なにがすごいって、「あの子あの〇ちゃんでスレッド立ててるんだって、知ってる?スレッドって!なんか教えてもらったんだけどね、自由に人の悪口を言える場所でね…。」自分のことは棚に上げ、私を攻撃するようになってしまったという事です。人の恐ろしさを学んだあの日のことを思い出したら、あっという間に物語が完成してしまったという背景があります。

このお話の主人公は、いわゆる宇宙人ですね。日本人に成りすまして生活を送っていたら、自分に成りすます人に遭遇し、いろいろ学んで、また宇宙に飛び出して行ったという事です。今頃遠い宇宙で成りすましながら、日本で起きたなりすまし事件を懐かしがっているのかもしれません。

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