もふ山もふ彦の備忘録
私は、人非ざる者である。
人が溢ふれるこの世において、人に紛れ、人の欲を満たすために存在している。
人は…ずいぶん、欲張りだ。
人は…ずいぶん、謙虚だ。
人は…ずいぶん、不満を携えている。
人は…ずいぶん、遠慮をしている。
私は、人の求めるものを集めている。
人が求めてやまない、しかし手に入れることが敵わず諦めている、そういうものを集めている。実に奥ゆかしい、人という存在に……、望むものを、惜しみなく分け与えるために。
私の、集めているもの、それは。
……もふ欲。
犬を、もふりたい……、そう願う人は、多い。だが、人様の所有物である犬を、もふる事は……難しい。いきなり見ず知らずの他人に、大事な犬をもふらせる人は、少ないのだ。いきなり見ず知らずの他人に、貴方の犬をモフモフさせて下さいと申し出ることができる人は、少ないのだ。
……犬を飼う事がままならない人。
……触らせてくれる犬が身近にいない人。
もふ欲にまみれた、モフ欲に憑りつかれた人は、この世に五万といる。
繊細な存在である人が……、もふを求めて、欲を暴走させ、身を滅ぼさぬよう、私は存在しているのだ。
もふに飢えた人に、私が集めたもふを与え、心の平穏を保たせる……、それが、私の、使命である。
もふを与えられた人は、すべからく落ち着きを取り戻し、人のあふれる世の中を泳ぎ続けることができるようになるのだ。
もふを与えられた人は、すべからくやり場のない満たされぬ気持ちを手放し、新たな希望を胸に抱いて羽ばたくことができるようになるのだ。
私は、モフ欲配布者として、この世界で暗躍しているのである。
今日も、私は……、もふを得るために、人の世に、出かけることに、した。
「テツヤー!お散歩いくよー!」
「ひゃふぅん!へっ、へっ!!」
朝六時、赤い屋根の家から出てきたのは……、5歳の柴犬、テツヤ。
やんちゃなくせにビビりで、憎めない、犬。大好物はご主人様の作るささみのスープ、特技は……お手と、お回り。やや毛量の多い、毛足が長めの、雑種交じりの柴犬。
これは……、良い、モフが、いただけそうだ。
「やあやあおはようございます!これはいい犬だ!失礼ながら、少々…モフモフしてもよろしいですかな?!」
飼い主のお嬢さんの目をしっかと見つめ、もふ分けのお願いを、試みる。
私の、目が…赤く、光る。
「どうぞ!この子人間が大好きなんですよ!ほーら、テツヤ!お座り!」
「へっ!!へっへっ!!!」
柴犬らしからぬ、フレンドリーさ。イエローのバンダナを風になびかせ、ほらお撫でなさいとばかりに、鼻をツンと上に向け、待機している。
……良い、犬だ。
……良い、もふだ。
もふ、もふ、もふ、もふ・・・・・・。
もふ、もふ、もふもふもふもふもふもふ!
「……大変すばらしいもふでございました。これは…、心ばかりの、お礼です。では、ご機嫌、よう。」
私は、少しばかりのご縁を置いて、お暇させていただいた。
……お嬢さんが、テツヤのもふに魅せられた好青年と出会うのは……、もう、間もなく。
「プリンちゃん、お待たせ!」
「えんっ!!えん、えんっ!!!!!」
朝七時、マンションのエントランスから出てきたのは……、8歳のポメラニアン、プリン。
自己主張の強い割に攻撃性に乏しい、甲高い声を持つわりにおとなしい、犬。おやつにもらえるサツマイモジャーキーに目がなく、特技は……ごろんと、待て。雌犬らしい繊細で柔らかな毛並みを持つ、くりくりお目目が愛らしい、ポメラニアン。
これは……、良い、モフが、いただけそうだ。
「やあやあおはようございます!これはいい犬だ!失礼ながら、少々…モフモフしてもよろしいですかな?!」
飼い主のおばあちゃんの目をしっかと見つめ、もふ分けのお願いを、試みる。
私の、目が…赤く、光る。
「あらあ、よかったわねえ、プリンちゃん、よしよししてくれるって!!」
「えんっ!」
ポメラニアンらしからぬ、穏やかさ。
吹き付ける風をその身に受けかき分けられた、細く柔らかすぎる茶色い毛の根もとには、ピンク色の地肌が見える。
……良い、犬だ。
……良い、もふだ。
もふ、もふ、もふ、もふ・・・・・・。
もふ、もふ、もふもふもふもふもふもふ!
「……大変すばらしいもふでございました。これは…、心ばかりの、お礼です。では、ご機嫌、よう。」
私は、少しばかりの好奇心を置いて、お暇させていただいた。
……おばあちゃんが、プリンのもふがきっかけでパソコン教室に通うようになるのは……、もう、間もなく。
「レオ!散歩だ!」
「おんっ!」
朝八時、電気屋のガレージから出てきたのは……、7歳のゴールデンレトリバー、レオン。
大人しくて滅多に声を出さない、やや遠慮しがちな、犬。同い年のここの娘さんがたまに分けてくれるパンが大好きで、特技は……百発百中のマシュマロキャッチ。毎日のブラッシングのおかげでつやつやと輝く茶色い毛が魅力的な、ゴールデンレトリバー。
これは……、良い、モフが、いただけそうだ。
「やあやあおはようございます!これはいい犬だ!失礼ながら、少々…モフモフしてもよろしいですかな?!」
飼い主のお父さんの目をしっかと見つめ、もふ分けのお願いを、試みる。
私の、目が…赤く、光る。
「おはようございます!うちの子はねえ、娘が毎日30分ブラシしてるから!めっちゃ触り心地良いよ!」
「………ぉん。」
ゴールデンレトリバーたる、堂々とした風格。ふわっさふわっさとしっぽを振り振り、自慢の毛並みを触らせる気満々だ。
……良い、犬だ。
……良い、もふだ。
もふ、もふ、もふ、もふ・・・・・・。
もふ、もふ、もふもふもふもふもふもふ!
「……大変すばらしいもふでございました。これは…、心ばかりの、お礼です。では、ご機嫌、よう。」
私は、少しばかりの運を置いて、お暇させていただいた。
……お父さんが、レオンのもふの虜になった社長に大きなプロジェクトを任せられるのは……、もう、間もなく。
「エリー!散歩の時間よぉ~!」
「はぅーん!」
朝九時、ログハウスから出てきたのは……、5歳のアフガンハウンド、エリザベス。
声を出すのは音楽を聴いてハモる時だけと決めている、お利口さんすぎる、犬。こんなにお上品な見た目をしているのに豚の耳が大好物で、特技は……カットサロンで身動きしないでいられること。風を受けるとカーテンのように広がる、美しい三色の毛が魅力的な、アフガンハウンド。
これは……、良い、モフが、いただけそうだ。
「やあやあおはようございます!これはいい犬だ!失礼ながら、少々…モフモフしてもよろしいですかな?!」
飼い主の奥さんの目をしっかと見つめ、もふ分けのお願いを、試みる。
私の、目が…赤く、光る。
「ええ!昨日サロンに行ってきたばかりですのよ、とびきりの毛並みです、ウフフ!」
「………くぅ~ん。」
おお、この…女王たる、ゴージャス感はどうだ。上目遣いでこちらを見上げるその姿は、気品を纏い、この上なく神聖な雰囲気があたりに漂っている。
……良い、犬だ。
……良い、もふだ。
早速、もふろうと。
「ちょっと、お待ちください。」
私の目の前に現れたのは……、誰だ、この、怪しげなおっさんは。
「これは……、モフでは、ありません。」
まさか!!!そんな……、バカな!!!
おっさんの、目が……緑色に、光る……!!!
「これは、ふさです!!!!」
ふさ、ふさ、ふさ、ふさ・・・・・・。
ふさ、ふさ、ふさふさふさふさふさふさ!
「……大変すばらしいふさでございました。これは…、心ばかりの、お礼です。では、ご機嫌、よう。」
ああ、私の、モフが……。
モフでは……、なかったと?!
こんなことは、初めてだ。
目の前で、ふさ欲を集める者に、ふさを、奪われてしまった……。
……本当に、いたのか。
……ふさを集める者がいると、噂で聞いた、事がある。
名前は、たしか……。
私が、おっさんに、名前を聞こうとした、その時!
「……あの、もしかして、貴方は、もふ島もふ助さんでは?」
「いえ、違います。」
……ちょっと待て。
私以外にも、もふを集めるものが……いるという事か?
「私は、ふさ川ふさ次といいます。いやあ、同業者にお会いするのなんて初めてですよ!」
「え……、ふさ岡ふさ則さんじゃ、ないんですか?」
人の世で、人ではない同業者と、顔を見合わせた。
……人の世には、知らないことが、まだまだたくさん、あるようだ。
私は、今日のこの邂逅を忘れぬため、手帳を取り出し、備忘録を記したのであった。
もふは正義である。
ふさも正義である。