大航海時代
幼いころ、毎週通っていた喫茶店があった。
祖母は大変に信心深く、週に一度必ずお墓参りに行くことを欠かさなかった。私はいつも祖母に付いて行き、お墓に水をかけ、花を活け替える手伝いを、していた。
「あそこで休憩していこうか。」
「うん。」
お墓までは歩いて20分の距離。几帳面な祖母はいつも20分くらいかけてお墓を磨き上げていたので、作業が終わる頃には、疲れてしまっていたのだろう。毎回、お墓の帰りに、大きな道を挟んだ向かい側にある喫茶店に寄っていた。
サンフラワーという名前の喫茶店。
すぐ横に港があったためか、店内は豪華客船がイメージされていて、ずいぶんユニークなつくりになっていた。段差の多いフロア、船内を意識した壁絵、操舵席をイメージしたオブジェ、宿泊室そっくりなテーブル席…。
「うんてんして、いいですか。」
「はい、どうぞ!」
私はとりわけ…操舵席オブジェの横の席に座るのが好きだった。
オブジェは動かせるようになっており、大きな、大きな舵を、回すことができたのだ。
「おもかじ、いっぱーい!」
「あーちゃんが船長さんだ、ハハハ!!」
喫茶店のマスターも、奥さんも、私が喜んで舵を動かすのをいつも笑って、見ていた。
「大きくなったらうちの船で働くか!!」
「食堂でウエイトレスやんなよ!」
お客さんには、客船乗務員の人も多かったように思う。
たまにかっこいい帽子をかぶったお兄さんや、かわいい制服に身を包んだお姉さんを見かけた。
私は、舵を切るのが、大好きだった。
舵を切ると、一瞬で…自分の世界が、広がるのである。
乗務員は、座席で寛ぐ、お客さんたち。壁際の絵には船内から見た窓の様子が描かれていて、波の向こうには南の島が浮いていた。
店内には波の音が流れていたから、ずいぶんリアリティあふれる空間を楽しめたのだ。
この船は、私が運転している。
船は、広い世界を目指して、航海に出た。
私は自由に行きたい場所に、行ける。
時に大都会アメリカへ。
時に小さな無人島へ。
時に見たこともない人々が暮らす秘境へ。
夢見がちな子供であった私は、ずいぶんこの場所で、いろんな世界に旅立たせてもらったのだ。
「船長!ミックスジュースが出来上がりました!」
「はい。」
船長の役目は、ミックスジュースの完成の知らせで終了する。
私は、ただの乗務員…いや、乗客になるのだ。
出されたものを着席していただきながら、船内を、船窓を、楽しんだ。
天井には青空が広がっていた。
いつ見ても晴れ渡っている、青い空、白い雲。
飛行機雲は、いつ見ても…一本、二本。
テーブルの上には、ジョッキに入ったグリッシーニが置いてあって、自由に食べることができた。ワイルドな、海賊をイメージしていたのかもしれない。店内には、ビールの樽や宝箱なども置いてあったのだ。
ミックスジュースを飲みながら、自分の世界に、ダイブした。
―――船長!次のお宝は…あの洞窟にありやすぜ!
―――おいらは海賊、俺達海賊!
―――人魚姫を捕まえたぞー!
当時見ていた、海賊アニメの場面が浮かんだ。
まだ知らない、海の上の物語が浮かんだ。
ミックスジュースを飲み終わるのが、いやだった。
飲み終わってしまったら、自分の世界を、閉じなければ、ならない。
だが、ミックスジュースを飲む、勢いは…止まらない。
ミックスジュースは、とてもおいしかったのだ。
普段飲まない、格別においしい代物だったのだ。
週に一度しか飲めない、ぜいたく品だったのだ。
ちびちび飲んでいたら、味が変わってしまうのだ。
ず、ずずー!!!
ストローの音が、鳴り響いたら。
「よし、飲んだね、帰ろう。」
「・・・うん。」
現実に、戻らなければ、ならない。
「船長!また運転しに来てね!」
「はい。」
いつもお土産に、飴玉を一つ、もらった。
その飴を、なめながら家に帰るのだ。
飴をなめ終わる頃には、家に到着した。
…到着したのは、夢の島でも何でもない、自分の、家。
…到着したのは、小さな、何もない、自分の、家。
広くて魅力のあふれる場所では、ない。
自分の世界が、やけに小さく広がる…場所。
狭い場所があったからこそ、サンフラワーは、偉大な場所として私の中に残ったのだ。
サンフラワーは、もう存在していない。
サンフラワー跡地は更地になり、その狭さに、驚いた。
あんなに広いと思っていた場所だったのに、大型トラックが一台入らない、狭い場所だったのだ。
時が流れた今も、私の心に残る…冒険の始まる、場所。
あの時代を思い出すだけで、物語はいくらでも、あふれ出す。
存在をなくしてもなお、私に残る、サンフラワー。
幼い私が何度も航海に出た、大切な、場所。
忘れたくない、忘れたくない、大切な、場所。
私は、…今日も。
記憶をサンフラワーに飛ばして…物語を、綴る。
真面目な話をすると、私がグリッシーニ好きなのはこの頃の記憶が残っているからです。今でもやまやで酒を探しに行くたびに外国フードの棚をのぞき込んで買い占めております、ええ。